通行証が欲しいだけなんです!
パン屋での大騒動から数日。リリィはメープルウッドの町で、すっかり「奇跡の聖女様」として有名人になっていた。 日銭を稼ごうと、老人の家を掃除すれば、転んだ拍子に壊れた木箱から数十年間無くしてた思い出の品が見つかり、裏道を歩けばひったくり犯と遭遇し一緒に転んでしまう。
パン屋「小麦の穂」は連日大繁盛。店主ゴードンからはもはや神様のように崇められる。道を歩けば町の人々から「聖女様!」「いつもありがとうございます!」と感謝の言葉と共に果物や花を差し出される始末。 しかし、リリィ本人はいつ自分の不運がバレて、今度こそ石を投げられるのではないかと気が気でない毎日を送っていた。
「サヤ、私、もう普通のバイトはできそうにありません……。このままだと、いつか本当に聖女様としてお城とかに連れて行かれちゃいそうです……」
宿屋の一室で、リリィは項垂れて溜息をついた。
「確かにこれ以上この町で目立ちすぎるのも、今後の事を考えると得策ではありませんね。情報も概ね得られましたし、この少女の姿もそろそろ疲れてきました」
サヤはリリィの言葉に頷くと、にっこり微笑んだ。そして、ポンッ!と軽い音と共に(リリィにはそう見えた)、サヤの体が淡い光に包まれる。 光が収まると、そこには先程までの美しい少女の姿はなく、手のひらに乗るほど小さな、愛らしい白いフェレットがちょこんと座っていた。つぶらな黒い瞳がリリィを見上げている。
「ぴょん?」とでも言いたげに小首を傾げるフェレットに、リリィは目を丸くした。
「か、可愛い!さ、サヤ、こんなこともできたんですか?!」
驚きと感動で、リリィは思わずその白い体をそっと撫でる。ふわふわとした毛並みが心地よい。 サヤ(フェレット)は気持ちよさそうに目を細めると、器用にリリィの肩へと駆け上がった。
「この姿なら魔力消費も最小限に抑えられますし、裏の情報収集にも何かと好都合ですからね。それに、マスターの肩はなかなかの乗り心地です」
肩の上から、先程と変わらぬ理知的な声が聞こえてくるのが、少し不思議な感じだった。
「さてマスター、そろそろこの町を出て、本格的に魔剣の呪いの手がかりを探すとしましょうか」
サヤが、リリィの耳元で囁く。
「次の目的地として、東の古都『ルミナリア』を考えています。あそこならば、古い伝承や魔剣に関する何らかの情報が残っている可能性が高いでしょう」
「古都ルミナリア……分かりました! でも、町を出るには通行証が必要ですよね?」
「ええ。役所で手続きが必要になりますが……マスター、くれぐれも慎重にお願いしますよ。役所というのは、些細な書類の不備や、ちょっとした不手際が、それはもう面倒な事態に発展しやすい場所ですからね」
サヤの楽しげな声に、リリィは「そんなプレッシャーをかけないでください…!」と顔を引きつらせながらも、役所へと向かうのだった。
町の役所の役場にて。
担当の役人は見るからに横柄で、書類の山に顔を半分うずめながら、リリィが来たことにも気づかないふりをしている。
「…あのー……あのー?」
何度か声をかけて、ようやく面倒くさそうに顔を上げた。その目つきは、明らかに「厄介ごとはごめんだ」と語っていた。
(うわぁ……絶対に関わり合いたくないタイプの人だ……。でも、通行証のためなら……!)
通行証発行の書類を役人から受け取ろうとしたリリィ。緊張と、足元の少しデコボコした床のせいで、ほんのわずかにバランスを崩し、役人の机の端にポンと手をついてしまった。
「あ、すみません!」
その拍子に、机の上に乱雑に積まれていた書類の山が、ほんの少しだけグラリと傾く。
悪徳役人は、その些細な出来事に「チッ」と舌打ちし、面倒くさそうに書類の山を押さえようとした。
「邪魔だ、小娘! さっさと書いてどっか行きやがれ!」
彼が乱暴に手を伸ばした際、自分の袖が机の上に置いてあったインク壺の縁に、ほんのわずかに引っかかったのだ。
カタンッ。
小さな音を立てて、インク壺がゆっくりと傾き──そして、バシャッ!と倒れた。 幸い、インクの量はそれほど多くなく、リリィや周囲の重要な書類にはかからなかったが、倒れたインク壺は机の上をコロコロと転がり、巧妙に隠されていた机の小さな引き出しの鍵穴に、ゴチンとぶつかって止まった。
「はぁ…いい加減にしろよ!テメェ…!……あっ!いや、とっとと向こうに行け!」
彼はインクよりも、何か別のことを気にしたように顔色を変え、慌ててその小さな引き出しを庇うように押さえた。だが、その不自然なまでの狼狽ぶりが、かえって周囲の注意を引いてしまう。
サヤが、リリィの耳元で囁いた。
「マスター、あの役人さん、ずいぶんと慌てていますね。あの小さな引き出し、何かよほど大切なものでも隠しているのでしょうか?」
「え……? そうなのかな……?そうなのかも…」
不審がる同僚に対して、役人は「な、何でもない! ただの私物だ!」と顔を真っ赤にして否定するが、その目は泳ぎっぱなしだ。
「それなら、中身を見せてもらっても問題ないはずですね?」
冷静な声と共に現れたのは、役所の中でも特に正義感が強いと評判の若手官吏だった。彼は以前からとある役人が不正を行っているという噂を耳にしており、内偵を進めていたのだ。
「不自然に隠すということは、何かやましいことがあるのでは?」
若手官吏の鋭い追及に、悪徳役人はますます狼狽し、引き出しを頑なに守ろうとする。
揉み合いの末、ついに引き出しはこじ開けられた。 そして、中から出てきたのは……町の税金を横領し、私腹を肥やしていた証拠となる、びっしりと数字の書き込まれた裏帳簿だった!
「これだ! これが長年我々が追い求めていた不正の証拠だ!」
若手官吏が叫び、悪徳役人はその場で取り押さえられた。
町の役所は一時大騒ぎとなったが、長年町を苦しめていた悪徳役人が逮捕されたことで、人々は歓喜に沸いた。そして、そのきっかけを作った(と皆が信じている)リリィに、再び称賛の目が向けられる。
「おお!聖女様がまたもやお奇跡を!」
「聖女様が役所にお越しになったからこそ、悪事が白日の下に晒されたのだ!」
「聖女様、万歳! メープルウッドに正義の光をありがとうございます!」
リリィは「わ、私は本当に何も……ただちょっとバランスを崩して机に手をついただけで……見つけたのは私じゃ無くて官吏さんです!」と縮こまるばかりだが、その声は熱狂的な歓声にかき消されてしまう。通行証は、残った良識的な役人たちによって、最大限の丁重さをもって即日発行されたのは言うまでもない。
こうして、またしても本人の意図とは全く無関係に、町に一つの「奇跡」をもたらしたリリィ。 サヤを肩に乗せ、町の人々の熱烈な見送りを受けながら、二人は新たな目的地、魔剣の気配がするという東の古都『ルミナリア』へと旅立つのだった。