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初めてのパン屋バイト!-後編

 リリィが額に大きなたんこぶを作り、半泣きで「私、クビになっちゃいますか……?」と呟いたその時。 絶望に満ちていた店主ゴードンの顔に、ふと疑問の色が浮かんだ。

「……ん? あれ……?」

 ゴードンは、リリィが頭をぶつけた衝撃で少しだけ位置がズレたように見えるパン焼き釜の側面を、怪訝そうに覗き込んだ。釜の火力は、なぜか先程までの暴走が嘘のように、穏やかで安定した状態に戻っている。

「お嬢ちゃんがぶつかった時、何か……変な音がしたような……」

 ゴードンは、釜の壁をコンコンと叩いてみる。すると、今まで気づかなかった、レンガの継ぎ目のような部分から、微かに空気が流れているような感覚があった。

「まさか……!」

 彼は慌てて、試しに残っていたパン生地をいくつか釜に入れてみた。長年、この釜は火力が安定せず、どうしてもパンに焼きムラができてしまうのが彼の悩みの種だったのだ。だからこそ、リリィが火力を暴走させた時は血の気が引いたのだが……。

 数分後。釜から取り出されたパンを見て、ゴードンは目を剥いた。

「なっ……なんだこの完璧な焼き色は……!?」

 いつもなら、どこかしら焦げていたり、逆に生焼けだったりするはずのパンが、今日に限って、まるで教科書に載っているかのように、均一で美しい黄金色に焼き上がっているではないか!

 一口ちぎって食べてみると、外はパリッと香ばしく、中はふっくらモチモチ。これまで自分が焼いた中で、間違いなく最高の出来栄えだった。

「う、美味い……! これだ、これこそ俺が求めていたパンだ……!」

 ゴードンは感動に打ち震えた。まさか、リリィが頭をぶつけた衝撃で、長年詰まっていた釜の隠れた通気孔が奇跡的に開通し、理想的な熱効率を実現するなんて、誰が想像できただろうか!

「お、お嬢ちゃん……あんた……もしかして、釜の構造に詳しかったりするのか……?」

 ゴードンが半信半疑で尋ねると、リリィはブンブンと首を横に振った。

「い、いえ! 全然! 私はただ、つまずいて頭をぶつけただけで……本当にすみません!」

(やっぱり、釜を壊しちゃったんだ……!)と、リリィはさらに青ざめる。

だが、ゴードンの反応は予想外のものだった。 「いや……これは……壊したどころか、直してくれたんだ! この釜の長年の持病を、あんたが治してくれたんだよ!」

 感極まったゴードンは、リリィの手を掴んでブンブンと上下に振った。

「え? ええっ!?」

 訳が分からず混乱するリリィ。

さて、釜の奇跡に沸き立つ一方、店の隅にはリリィが作った「カチカチのパン生地」がまだ残されていた。 ゴードンはそれを見て苦笑い。「ははは、釜は直ったが、こいつはどうしたものかな。まあ、ダメ元だが、せっかく火加減も良くなったことだし、これも試しに焼いてみるか……」

 そう言って、石のように硬いパン生地の塊をいくつか釜に入れた。

 数分後、釜から取り出されたのは、もはやパンと呼んでいいのかどうかすら怪しい、まるで石ころかレンガの破片のような、カッチカチに焼き固まった物体だった。見た目も色も悪く、コンコンと叩けば乾いた音がする。

「……やっぱりダメか。こいつは薪にでもするしかないな」

 ゴードンが諦めかけた、その時だった。

 偶然パンを買いに来た一人の衛兵が、その異様な「石のようなパン」に目を留めた。彼はパン屋の常連で、町の警備隊に所属している。 「ん? 店主、これはまた……随分と個性的なパンだな。新作か?」

 衛兵は、興味深そうにカチカチパンの一つを手に取った。そして、コンコン、と指で叩いてみる。硬い。

 ゴードンは慌てて言った。

「あ、いや、そいつはちょっと失敗しちまったもんでして……」

「失敗作?」

 衛兵は顎に手を当て、何やら考え込むような素振りを見せた後、おもろむにそのカチカチパンにかじりつこうとした! ……が、当然、歯が立つはずもない。

「ぐぬぬ……! 硬い! だが……!」

 衛兵は諦めず、腰の剣の柄でパンをコンコンと叩き割り、小さな欠片を口に放り込んだ。そして、しばらく咀嚼した後、目をカッと見開いた!

「こ、これは……!! 店主、このパン、とんでもないぞ!」

「へ? とんでもないって……やっぱり食べられたもんじゃないでしょう?」

「いや、逆だ! この噛み応え、そしてこの凝縮された小麦の風味! 何より、この異常なまでの硬さ……これは、湿気を全く寄せ付けない! つまりだ……驚くほど日持ちするんじゃないか!?」

 衛兵は興奮気味にまくし立てる。

「我々警備隊は、長期の巡回任務も多い。そんな時、一番困るのが食料の保存なんだ! このパンなら、何日でも、いや何週間でも品質を保ったまま持ち運べるぞ! まさに、兵士のためのレーションとして最高の逸品じゃないか!!」

「れ、れーしょん……?」

 リリィもゴードンも、ぽかんとしている。

衛兵は目を輝かせ、ゴードンに詰め寄った。 「店主! このパン、ぜひとも我が警備隊に納入してほしい! 隊長に話を通せばかなりの予算が出るはずだ!」

「え、えええっ!?」

 ゴードンは、カチカチパンと衛兵の顔を交互に見比べ、そして、額にたんこぶを作ったままきょとんとしているリリィを見た。

釜の奇跡的な復活。 そして、失敗作のはずだったパンが、兵士のための革新的な保存食としての価値を見出される。 立て続けに起こった、ありえないほどの「幸運」。

 ゴードンは、ぶるぶると震え始めた。そして、次の瞬間、リリィの前にどさりと膝をつき、涙ながらにその小さな手を両手で握りしめた!

「お、……お嬢ちゃん……いや、お嬢様! あなた様は……あなた様こそが……! きっと、このメープルウッドの町をお救いになるために、天がお遣わしになった聖女様に違いありません!!」

「……えっ?」

 リリィの口から、素っ頓狂な声が漏れた。

その衛兵は、すぐに仲間たちにこの「奇跡」を報告しに飛び出していった。

「パン屋『小麦の穂』で奇跡が起きたぞ!」

「聖女様が現れて、釜の呪いを解き、兵士のための魔法のパンをお作りになられたそうだ!」

 噂は尾ひれどころか、翼とジェットエンジンでも付いたかのように、あっという間にメープルウッドの町中に拡散していった。

 数十分後。 パン屋「小麦の穂」の前には、どこから聞きつけたのか、おびただしい数の町の人々が殺到していた。

「聖女様はどこだ!?」

「奇跡のパンを分けてください!」

「一目お姿を拝ませてくれ!」

 店の中は、もはやパンを買い求める客というより、聖地巡礼に訪れた信者のような熱気に包まれていていた。

「ええっ!? ち、違います、皆さん! 私はそんな……聖女様なんて、とんでもないです! ただの村娘なんです!」

 リリィは、押し寄せる人々に囲まれ、完全にキャパシティオーバー。顔面蒼白で、必死に訴えかけるが、興奮した群衆には全くその声が届かない。

 その、カオスと化した店内に、ふらりと一人の少女が入ってきた。 月光のような銀髪、湖のような碧眼。それは、朝に別れたはずのサヤだった。 彼女は、パン屋の異常なまでの賑わいと、人々のリリィへの熱狂ぶりを一瞥し、そして、群衆の中心で半泣きになっているリリィを見て、優雅に微笑んだ。

「おや、マスター。これはこれは。私が少し目を離した隙に、この町で人気者になられたのですね?」

 その声は涼やかで、どこか面白がっている響きがあった。

「あなたの『徳』の高さが、早くも人々に知れ渡るとは。実に喜ばしいことです」

「サ、サヤ! 助けて! 私、聖女様なんかじゃないのに! どうしたら……!」

 救いの女神(に見えた)の登場に、リリィは必死で助けを求める。

 しかし、サヤは悪戯っぽく片目を瞑り、リリィにだけ聞こえるような小声で囁いた。

「マスター、彼らがそう信じているのなら、それはそれで色々と『利用価値』があるやもしれませんよ? 例えば、今後の私たちの活動資金とか、……ね?」

「えっ……り、利用価値って……そんな……」

 サヤのまさかの提案に、リリィはさらに困惑を深めるばかり。(私、聖女なんかじゃない!普通の村娘なのに!)


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