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不運少女と喋る『鞘』と猪と

 祠に差し込む一筋の光の中、リリィは未だ呆然と、手の中にあるはずの鞘を見つめていた。いや、見つめているつもりだった。実際には、頭の中で響いた声の衝撃で、思考が完全に停止していた。


『──歓迎します、リリアナ。あなたのその『不運』、私と一緒なら、世界を救う『力』になるかもしれませんよ?』


 力に? この、忌まわしいとしか思えない不運が?


「だ、誰……なの……? あなたは……一体……?」


 ようやく絞り出した声は、情けないほどに震えていた。


 すると、先程と同じ、凛とした美しい声が再び頭の中に直接響き渡る。それはどこか優しく、リリィを落ち着かせようとしているかのようだった。


『私は『サヤ』。そう名付けられた意思持つ鞘です。古の時代、世界を恐怖に陥れた伝説の魔剣──『災厄の刃』。そのあまりにも強大な呪いを封じ、いずれ完全に浄化するために生み出されました』


 サヤ、と名乗った声は、淡々と、しかしどこか誇らしげに自身の来歴を語る。


『永い、永い間、私はこの場所で待ち続けていました。魔剣の呪いを解き放ち、その影響から世界を救済する使命を果たせる『主』の到来を』


「あるじ……?」


『ええ。そして、あなたです、リリアナ。あなたがこの祠に足を踏み入れた瞬間、私は感じました。あなたが放つ、常軌を逸した『不運』のオーラを。そして、その絶望的なまでの厄災の奥底に、微かですが、確かに輝く……未知数の『可能性』の光を』


 サヤの言葉は、リリィにとってあまりにも突飛で、信じがたいものだった。自分のこの体質が、ただの不運ではない? 規格外? 可能性?


「私の……この不運が……ただの迷惑じゃなくて……なにかの、役に立つっていうの……?」


 震える声で問いかけるリリィに、サヤは確信に満ちた声で応じた。


『ええ、そうです。あなたのその体質は、単なる不運などという矮小なものではありません。あるいは魔剣の呪いが引き寄せた副産物か、あるいはそれに対抗するために世界が生み出した稀有な『素質』か……いずれにせよ、それは使い方次第で、計り知れない力を発揮するでしょう』


 リリィの心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。ほんの少しだけ、ほんの僅かだけ、暗闇の中にいた自分に、一筋の光が差し込んだような気がした。


 その、まさにその時だった。


 グオオオオォォォォンッ!!


 森の奥深くから、獣の咆哮と地響きが、二人の(正確には一人と一本の)静かな会話を無慈悲に引き裂いた。木々がメリメリと音を立てて薙ぎ倒され、土煙を上げて姿を現したのは──巨大な猪だった。


 いや、ただの猪ではない。体長はリリィの背丈の三倍はあろうかという巨躯。鋭く湾曲した一対の牙は、まるで血で濡れたように赤黒く輝き、爛々と血走った双眸が、明確な殺意と共にリリィを捉えていた。涎をだらだらと垂らし、荒い鼻息を立てている。紛れもない、魔獣だ。


「ひぃぃぃぃぃぃっっっ!! で、出たぁぁぁぁぁっ!!」


 リリィは腰を抜かし、へなへなとその場にへたり込んだ。情けない悲鳴が、祠の中に木霊する。目の前の圧倒的な暴力の気配に、体中の震えが止まらない。


 だが、サヤの声はあくまで冷静そのものだった。


『マスター、落ち着きなさい。私がいます。まずは私を──この鞘を、両手でしっかりと握り、魔獣から決して目を離さぬように』


「ま、マスター!? わ、私なんかが!?」


 混乱しつつも、リリィは本能的にサヤの言葉に従った。震える手で、目の前にある美しい鞘をギュッと握りしめる。まるで、それが唯一の命綱であるかのように。


 その瞬間、サヤが淡い青白い光を放った。


 魔獣は、獲物を見つけた狩人のように、リリィに向かって猛然と突進を開始する! 地響きと共に迫りくる巨体! もうダメだ、食べられる! リリィが恐怖で目を固く閉じた、まさにその時──


 ゴウッ!!


「……え?」


 衝撃は来なかった。恐る恐る目を開けると、魔獣がリリィの数メートル手前で、まるで透明な壁にでも激突したかのように、勢いよく弾き飛ばされていたのだ!


「な……なにこれ……!?」


 驚愕するリリィの目の前で、魔獣は巨体を地面に打ち付けられ、混乱したように頭を激しく振っている。リリィが握る鞘からは、まだ淡い光の粒子が立ち上っていた。


『ふむ、手応えはこの程度ですか。見た目ほどの脅威ではないようですね』


 サヤは事もなげに、しかしどこか満足げにそう分析する。


「さ、サヤが……守ってくれたの……?」


『当然です、マスター。私はあなたの盾ですから。ですが、いつまでも守られてばかりでは、先に進めませんよ?』


 サヤはそう言うと、少し悪戯っぽい響きを声に含ませた。


『マスター、今です! あなたの『不運』、せっかくですから有効活用してみましょう!』


「え? か、活用って……どういうこと!?」


 リリィはまだパニックから抜け出せない。


『あの魔獣、よく見れば眉間に古い傷跡がありますね。おそらく、そこが弱点でしょう。そこら辺に転がっている石ころでも拾って、思いっきり投げつけてみなさいな。あなたの不運なら、きっと“面白いこと”が起きますよ』


 面白いこと、って……そんな呑気な! でも、このままではジリ貧だ。リリィは半信半疑のまま、恐怖とヤケクソがごちゃ混ぜになった心境で、足元に転がっていた手頃な大きさの石を掴んだ。


「こ、こうなったら……えいっ!」


 涙目で、ほとんど的も見ずに、力任せに石を投げつける! 当然のように、石はあらぬ方向へと大きく逸れて飛んでいく──かに見えた。


 次の瞬間、信じられない光景がリリィの目の前で繰り広げられた。


 リリィが投げた石は、まず近くの木の幹に「カコン!」と当たり、予測不能な角度で跳ね返った。跳ね返った石は、あろうことか、偶然上空を通過していた別の鳥(そう、また鳥だ。この森は鳥が多いのだろうか)の脚に「ポコッ!」とソフトヒット。驚いた鳥はバランスを崩し、口に咥えていた木の実を「ポロッ!」と落とした。そして、その木の実が、まるで狙いすましたかのように魔獣の片方の目に「スポン!」と命中!


「ギィ!?」


 魔獣が片目を押さえて怯み、一瞬動きを止めた、その眉間にある古傷へ──リリィが最初に投げた、あらぬ方向へ飛んでいったはずの石が、まるで精密誘導されたミサイルのように「カツン!」とクリーンヒットしたのだ!


「ギィィィィィィィンッッ!!」


 魔獣は甲高い、断末魔としか思えない叫び声を上げ、その巨体をぐらりと揺らし……次の瞬間、大きな地響きと共に、その場にドサリと倒れ伏した。ピクリとも動かない。


「…………え?」


 リリィは、自分の手と、倒れた魔獣を交互に見比べた。何が起こったのか、全く理解が追いつかない。


「え……ええええええええ!? う、嘘でしょ!? 私が……倒したの……?」


『ご覧なさい、マスター。これこそが、あなたの不運が引き起こす『奇跡』の一端です』


 サヤの声には、隠しきれない満足感と、ほんの少しの得意気な響きが混じっていた。


『まあ、あの鳥の出現確率をほんの少しだけ操作し、石が最適な角度で跳ね返るよう、微弱な魔力で風の流れを調整し、ついでに木の実が目に当たるようにターゲットロックを……いえ、何でもありません。ともあれ、最終的に石を投げたのは、あなた自身ですよ』


 何やら物騒な単語がいくつか聞こえた気がしたが、リリィはそれどころではなかった。倒れた魔獣を見つめる。確かに、自分が投げた石が当たったのだ。もちろん、サヤの言う通り、何か「ありえないこと」が連続して起こった結果だとしても。


 それでも、リリィの胸の奥には、今まで感じたことのない、小さな、しかし確かな高揚感が芽生えていた。自分の行動が、初めて明確な「良い結果」を生んだ(かもしれない)のだ。


『マスター』


 サヤが、改めてリリィに語りかける。その声は、先程までの楽しげな響きとは少し異なり、真摯なものだった。


『あなたのその特異な体質は、やはり魔剣『災厄の刃』の呪いを解くための、そしてあるいは世界を覆う他の呪いや穢れを浄化するための、重要な鍵となり得るでしょう。私と共に、その呪いを完全に浄化するための旅に出てはくれませんか?』


 旅。それは、リリィにとって縁遠い言葉だった。村を追われた今の自分に、行く当ても、目的もない。このまま森で朽ち果てるか、あるいはどこかの町でまた「歩く災厄」として疎まれながら生きていくか。そんな未来しか見えなかった。


 でも──。


「(このまま、誰にも必要とされず、ただ不運を振りまくだけの人生はもう嫌だ…!)」


 リリィの脳裏に、村人たちの蔑むような目、悲しそうな村長の顔、そして、なにより自分の不運で傷つけてしまったかもしれない多くの出来事が蘇る。


「(もし、この不運に本当に意味があるなら……この、サヤっていう不思議な鞘と一緒なら……私、何か変われるかもしれない……!)」


 リリィは顔を上げた。その瞳には、もう先程までの怯えや絶望の色はなかった。代わりに宿っていたのは、か細くとも、確かな決意の光だった。


「……行く…行きます!サヤ! 私、あなたの役に立ちたい。この不運が誰かの役に立つなら!」


 力強く宣言したリリィに、サヤは心から満足したような、優しい声で応じた。


『──よくぞ決断なさいました、マスター』


 その言葉と共に、リリィが握りしめていた鞘が、これまで以上の眩い光を放ち始めた! まるで太陽が地上に降りてきたかのような、目をくらませるほどの強い輝きだ。


「きゃっ!?」


 リリィは思わず目を固く閉じ、腕で顔を覆った。光は数秒間続いた後、ふっと収まった。


 恐る恐る目を開けたリリィは──息を飲んだ。


 そこに、先程まであったはずの美しい鞘の姿はなかった。


 代わりに立っていたのは、リリィと年の頃もさほど変わらないように見える、一人の美しい少女だった。


 月光をそのまま溶かし込んだかのような、艶やかな銀色の髪がさらさらと肩まで流れ、深い湖の底を覗き込んでいるかのような、吸い込まれそうなほど澄んだ碧眼。その肌は雪のように白く、やや小柄ながらも均整の取れた肢体は、リリィが森で拾った鞘に施されていたものと全く同じ、精緻な銀の文様が美しい、どこか神官服を思わせる白いドレスに包まれていた。


 その少女──サヤは、リリィに向かって優雅に微笑み、軽くスカートの裾をつまんで、恭しく一礼した。


「この姿の方が、人間社会での活動や、マスターとのコミュニケーションも円滑でしょう。それに、こちらの形態の方が、私の能力をより細やかに、そして広範囲に行使できますので」


 鈴を転がすような、可憐な声。しかし、その声には先程までの鞘の声と同じ、凛とした知性と力が宿っている。


「改めまして、私はサヤ。あなたの剣であり、盾であり、そしてこれからの旅路を共にする仲間です。どうぞ、よろしくお願いいたしますね、マスター」


 リリィは、あんぐりと口を開けたまま、目の前で起こったあまりにも非現実的な光景に、完全に言葉を失っていた。美しい少女の姿になったサヤは、ただニコニコと、愛らしい笑みを浮かべてリリィの反応を待っている。


 リリィの、波乱に満ちた新たな旅が、今、まさに始まろうとしていた。

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