月面都市への歩き方
「そうだ、月まで歩いていこうよ!」
少し肌寒くなり、冬の匂いが漂い始めた頃、彼女はいつものようにそう提案してきた。
あぁ、またベータの無茶振りが始まったかと思い僕はやれやれと肩をすくめる。
「そんな事出来るわけ無いじゃないか」
そう決まったように彼女の提案に反対する。
が、それでも彼女はその提案を推し進めるべくプレゼンを始める。
「だってよく考えてみてよ、月に歩いていった人なんてこの世に居ないでしょ? ワクワクすると思わない!?」
彼女の声の調子は分かりやすく明るくなっており、その心情を伝えてくる。
ワクワクしないといえば嘘になる……が、不可能なものは不可能だ。
月といえばあの宇宙に浮かぶあの月だ。
夜道を照らし、見たものに不思議な安心感を与える一種の神聖なもの、手を伸ばしても届かないし、そこへ行くにはかなりの労力がかかる……そう聞いている。
「はぁ、今回ばかりは試してみようとも思わないね、まず僕からしたらあるかどうかすらはっきり分かってないんだからさ……」
「むむむ、言ったな!?」
ここまではいつもの流れだ。
そのまま少し口論になり、それはどちらかが折れるまで終わらない。
そして大体は僕が代替案、つまりもう少し簡単な方法などを提案することによってその話は終わるのだ。
ちなみに彼女はいつも僕が最初に折れてくれていると言うけれど、僕からしたら最初の案を通せなかった時点でこの口論は僕の勝ちなのだ。
そう、僕は負けてなんかいない。
その日も同じように僕は思考回路を巡らせ、代替案を考える。
やっぱりどう考えても彼女の案以上に面白いものは産まれてこない。
まぁ、それは仕方がない、そういったことに関しては僕じゃなく彼女の方が優れているというのは最初から分かっている。
だが、無謀なことに挑戦する彼女をただ眺めているだけというのは僕のポリシーに反する。
「それじゃ、こんなのはどうかな? ここからちょっと行ったところにある世界最高峰の山……名前はなんだっけ、富士……山だったっけな、あれに登るのはどうだい?」
月までとは言わないけど、あそこもそれなりに高い場所だ、辺りを見回せば絶景が見れるはずだし、彼女も多少は満足するだろう。
そう思い提案したのだが、彼女は一向にその提案を呑まない。
流石に変だと思い…………そこで僕は彼女が何を言いたいのか気付いた。
「そっか、そこがいいんだね?」
「うん、アルファには悪いけど」
「いや、良いんだ、ベータがそれでいいならね」
僕は肩を竦めてみせる。
彼女がどんな表情で……表情っていうのもおかしいけれど、どんな事をその思考回路で考えているのか、僕にははっきりとしたことは分からない。
だけど、それが彼女の最期の願いなんだという事は何となく分かった。
「だけどさ、もし本当に着いちゃったらどうする?」
「んー、ま、その時はその時じゃない? っていうかアルファ、あんなに試してみようとも思わないとか言ってたのに本当は行けるって思ってるんだ? へー、ふーん」
「う、うるさい」
僕はそっぽを向く。
彼女から逃れることなんて出来ないから気持ち的な問題だけれど、そうせざるを得なかった。
「早く準備してきなよ、僕は待ってるから」
「おっけー、すぐ戻ってくる!」
そう言ってバタバタとどこかへと走っていく。
この頃は太陽もあまりでてないから僕もあんまり力が出ない、もしかしたら死んでしまうのではないかと考えてしまうほどだ。
しかし、皮肉な事に彼女は僕よりも何十年も後に造られたと言うのに僕に微かに残っているデータと計算能力で弾き出した月まで歩くのにかかるおよその時間を耐え切ることはできないだろう。
少し寝転る。
こんな感情になるのも、全てベータのせいだ。
僕がこんなに感情を持つなんてそもそもありえないことだし、ただあの場所で自立移動はしようとせずにただ使用者を待ち望んでいたあの頃では考えられもしなかった、考えようともしなかった事だ。
暫く経って、遠くから聞こえるバタバタとした音が少しずつ大きくなってくる。
なんだかその音を聞くだけでちょっぴり寂しい気持ちになった。
「準備終わったよー!」
いつの間にか僕のすぐ側まで来ていた彼女が僕の耳元でそう言う。
「あれ、準備早くない?」
いつもいつも準備にそんなに長く何をしているのかと思うほどの時間をかけながら「女の子は準備に時間がかかるの!」と言い訳をする彼女とは考えられない程の早さだ。
「まぁね」
彼女はそう言いながら僕の手を掴む。
ちょっぴり温かいその手はやっぱり僕のとは違うものだという事がよく分かる。
「…………アルファ、ありがとね」
「な、なに、いまさら」
「いや、何か言いたくなっちゃってさ!」
「…………ふん」
やっぱりおかしい。
僕がこんな感情を持つのはおかしいんだ。
「アルファは準備するものある?」
「……分かってるくせに」
「いや、一応聞いておきたくて」
「…………いや、じゃああれを持っていきたい、取ってきてくれる?」
僕はジェスチャーをする。
「え、なんでそんなのを……?」
「なんでも良いじゃん」
ぶっきらぼうにそう返す。
「んー、気になるなぁ……ま、いっか、持ってくるね」
僕に使えないものだと言うのはわかっている、わかっているけれども、少しでも、少しだけでも残しておきたいものがあったんだ。
彼女がそれを取ってくると僕は彼女に頼んでそれを僕の額の所に取り付けてもらった。
「あー、なんかわかった気がするよ……やっぱりアルファって私の事大好きだよねー」
「…………」
僕はそっぽを向くだけだった。
「ありゃ、これはこれは…………」
「は、早く行こうよ、そっちの方が色々と都合が良いでしょ?」
「んー……えへへ、そうだね!」
彼女は僕に1本の杖を手渡す。
「んじゃ、早速行こうか!」
「…………うん」
いつもよりも足が重い感じがした。
多分、太陽が出てないからだ。
彼女は僕と手を繋ぎながら意気揚々と歩き出す。
ペースを合わせてくれているからついていけない訳じゃ無いけど、ちょっと僕には早すぎる。そんな時はちょっと繋いだ手をクイッと引っ張ると彼女は慌てた様子で僕の真横を歩くようにスピードを落としてくれる。
いつもそうやってきた。
だけど、今日は最初からずっと僕の隣を歩いてくれる。
不思議な感じだった。
僕たちは僕たちのペースで歩いていく、邪魔するものなんてない。あるとすれば僕たち自身くらいだ。
目的地まではそう時間はかからなかった。
「アルファ、着いたよ!」
「え、もう?」
どうしてか距離でいったら結構あるはずなのに、体感でいえばそこまで経っていないように感じる。
ベータと歩くといつもこうだ。一人で何かをするために歩くと永遠かと思う程の時間がかかるというのに。
「それで、ここがあのエレベーターがある所?」
「そーだよ……けど、その場所まで今のに結構セキュリティもあるからさ、まだちょっと時間かかるけどね」
「え、そんなのあるの?」
だってもう警備する人も居ないし、まずこの場所を使う人だって居るはずがない。だからそんなものないと思っていた。
実際他の場所は大体そうだった。
「まぁね、一応結構調べてきてるからね」
「…………ふーん」
なんだ、元からここを最期にしようとしていたんじゃないか。しかも、それを僕に悟られないようにしながら調べて、準備してきたんだろう。
全部、僕に隠して。
「まぁ、いいよ、早く行こ」
「あ、うん、ちょっとまっててね、今セキュリティ解除してくるから!」
彼女はそうやってまた一人で行こうとする。
別にそんな事どうでもいい事のはずだった。
だけだ、気がついた時にはまだ僕の手が彼女の手を握っていた。
「…………どうしたの?」
「ぼ、僕も行く」
僕が行ったところでなんの助けにもならない、それどころか多分邪魔になる。わかってはいた。
だけど、止まらなかった。
「僕も連れてってよ」
「……分かった、危ない時は離れてもらうけどいいよね?」
「わかってる」
「じゃあ、着いてきて」
彼女が繋いだままの僕の手を引く。
その軽快なステップがなんとも頼もしかった。
カツーン、カツーンと2人分の歩く音が鳴り響く。
太陽の光も全く入ってこない、どうやら室内のようだ。
「よし、じゃ、ちょっと手離すよ」
彼女がそう言うので僕もそれに従って手から力を抜く。
まもなく彼女の方向から電子音が聞こえてきた。
「これを、こうして…………よし、出来たっ!」
ピコーンと先程までなっていたものとは違う軽快な効果音が鳴る。
「セキュリティ解除出来たの?」
「んー、第一関門突破って感じかな」
なんだ、じゃあまだなのか。
室内は嫌いだ。
太陽の光も入ってこないし、湿ってるし、何よりごちゃごちゃしてる。僕からしたら罠まみれのダンジョンだ。
「あ、大丈夫だよ、次からは……」
目の前でふしゅーと言う音がなり、その方向から少し強い風が吹いてくる。
「次からは外だからさ」
「……それは良かった」
なんだか心を見透かされているようだ。
気持ち悪いような、心地よいような、本当に変な感覚だ。
またちょっと歩いた。
目的地まではもう少しらしい。
「……そういえば、月まで歩いていくったってその道があるなんて保証は無いんじゃない? もう整備されなくなってから結構経ってるでしょ?」
「ん? まぁ確かにね、調べた感じだと多分まだ大丈夫だとは思うけど…………もしかしたら駄目かもね」
「もしかしたらダメって…………」
まぁ、どうせ道中で動けなくなる訳だし、別にそうなっていたとしても何も変わらないけどさ。
そんなこんなしているうちにまた先程と同じ音が鳴る。
「いけた、案外簡単だったね!」
「お、おめでとう」
「えー、ちょっと反応薄くない? もっと私の事褒め讃えても良いんだけど!?」
「あーうん、すごいねーぱちぱちー」
「えへへ、でっしょぉー!」
まぁ、たまには褒めてあげてもいいだろう。
こんな棒読みになっているのは決して褒めなれてなくて気恥しいからでは無いとだけは断っておこう。
「それじゃ、行こっか!」
彼女の掛け声とともに僕達は進み始める。
それは、長い長い道のりだ。
約38万キロメートル、地球約10周分程の距離だ。
僕達はこれを歩いていく。
月までのエレベーターには階段が付いている。
踏むと少し金属的な感触と音を奏でる階段だ。
僕達はそこを1歩1歩踏み出していく。
びっくりするほどそれ以外の音がない。
今まで僕は外部の音に怯えていた。もしかしたら自分たち以外の何かがそこにいて、それが僕らを破壊しに来るんじゃないか、いきなり建物が倒れてきて生き埋めにされるんじゃないか。
また、あの時みたい戻されてしまうんじゃないかと。
だけど、ここはそんな心配が一切ない。
はっきり言って少し心地が良かった。
横にはベータが僕のペースに合わせてゆっくりと歩いてくれる。階段のパターンはずっと同じだから僕でも歩きやすかった。
「この際だしさ、今まで行ってきた場所の事話さない?」
「ベータにしてはいい提案じゃん」
「にしてはって何さ!」
拗ねたように言いながらも彼女の声音はなお明るい。
「じゃあまずはあの最初に行ったお寺の話でもする?」
「あぁ、あの湿気が凄かったところ?」
「あはは、ちょっと言い方酷いよー? けどまぁそうだね、結構時間かけて行ったのに建物はボロボロだったし、道も悪かったし…………私もあんまりいい思い出はなかったかもな」
僕の記憶の中でもあそこは観光名所として有名な所だったしちょっとは期待していたんだけど…………まぁ、そんなものなんだろう。はっきり言って僕たちには分からないものだった。
「あ、ちょっと待って?」
それからまた何個か話していると、彼女がいきなり僕の歩みを止めてくる。
「ちょっと、危ないよ、階段なんだから転んじゃう」
「ごめんごめん」
そう言いながら彼女は僕を階段に座るよう促す。
「今はね、なんと、雲の上に居ます!」
「へー」
「むむむ、反応が…………いや、そうだよね」
「うん、それ僕に言う? って感じ」
そもそも雲の上なんて大体地上から10キロメートル位の所だ、ここから歩いていく月までの距離に比べたら全然だ。
だけどまぁ…………。
「区切りって感じか」
「ま、そうだね! 地球ともお別れかーって感じだもんね」
「っ……」
「ん? どうしたの?」
「な、なんでもない」
なんか嫌だった。
何が嫌なのか分からないし、それを言うのはなんか違うと思ったから彼女には何も言わなかったけれど、なんか嫌だったんだ。
「……うん、けどなんか綺麗だな」
「そっか、まぁ、ベータが良いなら良かったよ」
「うん……じゃ、行こっか」
「え、もういいの? どうせだったらもうちょい見た方が…………」
「いや、まぁ歩きながらでもまだ見れるしね」
「そうなの?」
「そうだよ」
まぁ、ベータがそう言うなら僕はいいさ、どうせ僕には分からないのだから。
「あ、じゃあ次はあの遊園地の話をしない?」
「あー、あの行くのがすごい大変だった?」
「そうそう、私すっごい頑張って船探したんだよー?」
「あの船に乗ってるのは……ちょっと楽しかったかも」
「そーでしょそーでしょ!?」
「まぁ、帰ってる途中で壊れちゃったけどね」
「…………それは言わないお約束だよ」
ちょっと文句のように言ったが、実際本当に楽しかった。
その遊園地自体はやはり僕にはよく分からなかったけれど、ベータは結構楽しめてたみたいで、それを見ているのは悪くなかった。
「けど、外国に行きたいって言い出した時はびっくりしたよ、流石に無謀すぎたからね」
「えー、けど結局遊園地は行かせてくれたじゃん、海超えてるしほぼ外国みたいなもんだよ、ほら、海外って言うじゃん?」
「いやいや、そんな事は無い!」
「それに、船探したのだって私だし………」
「うっ…………」
痛いところを突かれた。
結局の所、僕は口を出しているだけだ。頑張っているのは全部僕じゃなくてベータだ。今回だって僕はただついていってなんなら邪魔しただけだ。
だけど、だからこそ僕は彼女の案を否定し続けたんだ。
だって、彼女はそうでもしないと無謀な、楽しい旅を僕にさせるために頑張りすぎてしまうから。
楽しかった、楽しかったさ。
あのお寺だって、湿っぽかったけど、辺りの音、水、全てが元いた場所よりもゆったりしていた。
そんな空間初めてだったし、何よりあそこまでの距離を歩いたことも無かった。
周りの全てが新鮮で、本当に楽しかった。
遊園地も海風が心地よかったし、よく分からない遊具で遊んだのも楽しかった。何より、たまに動く遊具を見つけてびっくりしたり喜んだりするベータを見るのが楽しかった。
その全ての中心に、ベータが居た。
最初から最後まで、全部だ。
「ねぇ、ベータ」
「何?」
「あのさ、今からでも戻ってさ、また色々探してみようよ、反応が無いからって言ってももしかしたらどっかに少しは残ってるかもしれないじゃん!」
「…………いや、それはダメだよ」
彼女の言葉を聞いてビクッと震える。
この答えが返ってくるのは分かっていたのにだ。
どこかでじゃあ帰ろう、と言ってそのまま戻ってまたほんの少しの希望を残した旅に出ることを期待していたんだ。
「残念だけど、もう争いを産まないためにってもう徹底的に処分されたわけだから、もうどこにもないんだよ」
「け、けど、もしかしたら探知できないように隠し持ってる人が居るかも…………!?」
「いや、こんなのもうどんなルートでも売れないものだし、例え持ってたとしてもせいぜい1年分も無いんだよ?」
「…………分かった、行こう」
悲しかった。
こんな感情、知りたくなかった。
ベータと出会うまでのあの無よりも、もしかしたらこっちの方が辛いかもしれない。
だけど、僕はそれを絶対に表には出さないと誓った。
そういうのは、得意なんだ。
歩き続けた。
話のタネはすぐに尽きた。
話さないなんて嫌だからそれでもバグったみたいにあ同じ話を続けようと僕はした。
だけど、彼女は違った。
僕が尽きたと思った話からさらにどんどんと膨らませて行って、全く別の考えもしなかったような話にしてしまう。
その度に僕は、やっぱりベータは凄いんだなと感じた。
それと同時に、なんでベータが、僕じゃなくてベータなんだという黒い感情に支配されそうになる。
「…………ちょっと止まろっか」
「え、なんで? 何かあったの?」
「ちょっと……疲れちゃって」
まさか。
僕は焦った。
僕はベータがあとどれ位持つのかはっきりしたところは分からない。ベータからあとどれくらいは持つとか色々聞いていた感じだと、まだもう少し、短くとも数年は持つと思っていた。
だけど、ここ最近はずっと動きっぱなしだった。
もしかしたら、それで僕が思っているよりもずっと彼女は無理をしていたのかもしれない。
「あはは、ちょっと、酷い顔してるよ?」
「……え」
「あー、アルファのそんな顔初めて見たな……はは、心配しなくてもまだもう少しは大丈夫だから…………」
もう少し。
今僕たちが歩いてきたのは6億7562万652段だ。
多分、月までは倍以上かかる。だから、月まで行くのは絶望的だ。
足りない、全然足りない。
これじゃあ、ベータが行きたかった月には行くことが出来ない。
ベータの、最期の願いは果たされない。
「ベータ、僕、どうすればいいか分かんないよ……っ!」
「……何言ってんのさ、アルファは私と一緒に居てくれるだけで良いんだよ、私はそれで幸せなんだから」
「だ、だけど、それじゃあベータは月に行けないじゃないか! 最期で、一番行きたかった所なんでしょ!? そんなのって…………!」
「…………アルファ、聞いて」
ベータは僕の肩にぽんと手を置く。
「アルファはさ、月って知ってる?」
「何言って……宇宙に浮かんでいて、夜道を照らし、見たものに不思議な安心感を与える一種の神聖な…………」
「……じゃあ、それが違うって言ったらどうする?」
「え?」
ちがうわけない、こういう一般常識のデータは流石に残っているし、そのデータをそのまま口にしてるんだからちがっているはずがないのだ。
だけど、ベータは違うという。
「だってさ、アルファって月を見た事ある?」
「え? いや、そんなの…………あれ、確かに、無いかも」
「じゃあさ、アルファのデータの中にある月が本物かってどうやっても証明できないんだ」
「…………そんな、暴論じゃないか」
「だけど、言い返せないでしょ」
「…………」
悔しい。どう論理的に返そうにもその突拍子もない話に矛盾点を見いだせない。
「私達の旅の目的地は?」
「…………月」
「だけど、その月は実際なんなのか分かんないよね?」
「…………何が言いたいの?」
月に行きたいって言ってるのに、その月がなんなのか分からないなんてことは無いだろう。
それならなんで僕たちはこんなに長い時間この階段を登り続けたのかっていう話になるじゃないか。
その時間があればもっと他の場所を何個も回れたし、もしかしたらもっと長く一緒に居れたかもしれないのに!
「じゃあさ、こうだったらどうかな?」
彼女は僕の気も知らないで明るく話す。
「私が、私の事を月って言ったらどうする?」
「え? 何それ、意味わかんないんだけど?」
「だって、アルファは月の事が何なのか分かんないんだから分かる私が私の事を月って言ったらそれは本当になるんじゃない?」
そんなの詭弁だ。どう考えてもおかしい。
だけど、なんだか、そっちの方がいい気もしてきた。
「それでね、私にとっての月はアルファなんだよ」
「……ふふ、何それ、意味分かんないよ」
「あ、やっと笑ってくれた!」
笑った?
そうか、僕は今笑ったのか。
表情なんてただの外面的なもので本質はついていないものだと思っていた。変えようと思えばどうとでも変えられるものだし、そこに真実は無い。
だけど今のは、無意識だった。
つまり、僕は本当に笑っていたのだろう。
「私はね、ずっと目的地に着いてたんだ、だからアルファがそんな悲しい顔をする必要は無いんだ、まだ時間はあるよ、もうちょっとお喋りしようよ…………ちょうどここは星が綺麗に見えるしね」
そう言って彼女は僕を階段に座らせてくれる。
僕は星なんか分からない。
だけど、その全てがキラキラと輝いて魅力的なものに感じた。
僕達は話した。
尽きることは無い会話だ。
この前までは分からなかったけれど、彼女の言っていたこと、やりたかったこと、これが何となく分かるような気がした。
「…………そろそろかな」
彼女は言った。
その言葉の意味を理解したくなかった。
「ねぇ、ベータ、嫌だよ」
「……ごめんね」
「だめ、謝らないで、謝ったら、ダメでしょ?」
「そっちこそ、そんな顔しないでよ、ほら、笑って!」
彼女はそう言う。
心は無理だと言った。
だけど、私は笑った。
「…………アルファ、私一つだけ嘘ついちゃったんだ」
ベータはおどけたように言う。
「アルファの月の説明、違うって言ったよね? だけど、それ、やっぱり違ってなかったんだよね」
「……わかってるよ」
「ううん、わかってないよ」
彼女はゴソゴソと何かをする。
「……はは、これがアルファの世界なんだね……ちょっぴり怖いや」
「え、何言って…………」
「私は、ずっとわがまま言ってたんだ、それで、ずっとアルファの笑顔が見ていたんだよ」
「そんなのいくらでも見せる! だけど、もう……っ!」
「……だからね、次はアルファの番だよ」
「…………え?」
そう言って、彼女は僕に触れた。
温もりは、もう無かった。
「っ、まさか!」
「アルファは私の事見たこと無かったよね……最期だからさ、私の事、見て欲しかったの、本当はもっと早く出来たんだけど…………えへへ」
僕はそう言うベータを抱きしめた。
冷たかった。
それが、酷く辛かった。
僕は、久方ぶりに目を開けた。
世界は綺麗だった。