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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1544年(天文13年)4月16日~立花義秀、東松戸城から高城胤春との対決を楽しむ?

古河公方軍の鎌ヶ谷方面の主将、高城胤春(たかぎたねはる)はなかなかの知将の様です。


江戸太田家の東の端の要衝、鎌ヶ谷城の戦いに破れた太田資高の軍勢は東松戸城に退避して傷を癒しています。

援軍に来た立花義秀の軍勢が高城胤春の領内に侵攻しました。

東松戸城の南3キロの大野城を攻略、さらに南に4キロの小栗原城に侵攻すると高城勢は放火、全焼させて立花軍の軍事拠点に利用出来ない様に妨害しました。

1544年(天文13年)4月16日~

午前9時頃、立花家当主、立花義秀は軍勢を率いて東松戸城に到着しました。

江戸太田家当主、太田資高と初めての対面を済ませました。資高から援軍の謝意を受けて今後の戦略を確認しました。



──東松戸城、立花義秀、鹿島政家──

大きな地図を見ながら戦場になる位置に駒を並べ、武将の名札と兵力を記載した札を配置して検討しています。


殿、小金城(松戸市)から宇都宮勢4000が移動して鎌ヶ谷城の南、1里(4キロ)の金杉城に入りました。

古河公方軍の主将、高城胤春は金杉城の南半里(2キロ)の夏見城に主力の8000を率いています。

金杉城を攻める予定でしたが、かなり厳しくなりました。

もうひとつの目標の西船橋城の城兵は推定500、さらに北と南に砦が有ります。各々に200程の兵力が守りを固めております。


さらに東へ半里(2キロ)の船橋城に推定1000名~2000の支援兵力が後詰めしてる気配が有ります。


政家?

高城勢がまた、兵力が増えてるぞ?

高城家は古くから松戸、鎌ヶ谷、船橋、習志野、八千代、白井、流山、印西周辺の領主だからなぁ、領地の北部、東部が古河公方軍の支配地域に有る故、安心して兵力を船橋方面に集めるのが可能な状況だ!

簡単に潰せる相手ではないぞ!



それでなぁ、大野城(東松戸城から南に3キロ)の本多広孝の軍勢5700に金杉城の手前、馬込周辺に布陣して牽制の役目をして貰う!

太田資高殿の軍勢4000は本多勢の近くに布陣して互いに協力して牽制役を依頼する!



伊集院勢6000を西船橋城攻撃に向かわせる、我らの軍勢6000が後詰めに参るぞ!


はい!各部隊に手配致します!



前日に小栗原城付近に布陣していた伊集院勢6000は2キロ東の西船橋城の攻撃を開始しました。

西船橋城の守りは北の砦に300、

南の砦に400、城兵は700もの兵力が待ち構えていました。


前日、全焼した小栗原城の兵士が西船橋城の防衛に参加しています。

西船橋城の東2キロ、船橋城には高城胤明(胤春の弟)の軍勢2000が控えて援護する体勢にしていました。


─夏見城、高城胤春、馬込和治、


和治、立花軍が兵力を分けて来たら俺達に十分な勝機があるぞ!

夏見城に主力を配置したから立花軍は羽を広げた鳥の形に城が配置されてるのを見ている状況だ。


お前が立花軍の総大将だったらどーする?


立花軍の攻撃対象は?

①両翼の左右どちらかひとつ?

(金杉城、西船橋城)

②両方?

③夏見城に主力を集中?


殿?

不才な自分には答えなどわかりませんが?


そうか?(笑)

実はなぁ、一番怖いのは③夏見城に立花軍の主力を集中する事だ!


立花軍の立場なら夏見城に主力を集中して攻撃したら両翼の金杉、西船橋方面から包囲される心理が働く!

恐らく、この策は採用しないぞ。


我が高城勢も夏見城に立花軍の主力が集中して攻撃されるのが一番怖いのだが、恐らく来ない。


①②の両方、どちらでも立花義秀の本隊じゃない部隊を叩く!

特に太田勢は集団戦に弱い!

鎌ヶ谷城の戦いで弱点が見えてるから戦い易い相手だ!


後は古河公方様の軍勢が数日で来る迄粘る!

それで勝利が見えて来る!


殿?

万が一ですが、③の夏見城に主力を集中して攻撃されたらどーするんですか?


対策ならあるぞ!

夏見城に守備する兵力2000を残して東に下がり、金杉城、西船橋城方面の部隊に立花軍の後方から攻撃させるだろうな。

地理に疎い敵を引き込み、夏見城、高根城、花輪城の三角地帯の水田や湿地に誘って2日または3日凌げば古河公方様の軍勢が到来するだろうな。それで勝利確定になるだろうが一番やりたく無いからな!


はい、殿が勝ったとしても犠牲者多数になりそうです。


とにかく、粘るだけ粘るぞ!



東松戸城の南3キロ先の大野城から本多勢5700が出発しました。

馬込城の北2キロに布陣しました。


東松戸城から太田勢4000が出発

、本多勢の陣地から西に1キロ離れた場所に布陣しました。



伊集院勢6000は小栗原城付近から2キロ先の西船橋城に向かいました。伊集院勢は海岸沿いに進み、西船橋城の西から接近します。


東松戸城から立花義秀の軍勢6000が出発しました。西船橋城まで8キロです。時短で予定の場所に向かう為、北から向かう道と西から向かう道の二手に別れて進軍します。

万が一の奇襲に備えて立花義秀は西なら向かう道を進みます。


西船橋城から高城胤春が布陣する夏見城まで4キロです。奇襲を避ける用心深さが必要な地勢でした。


立花義秀が西船橋城の西、1キロに布陣しました。

すでに伊集院勢が西船橋城の攻撃が始まっていました。


伊集院忠久は西船橋城の南の砦に兵力を集中しました。

高城勢は船橋城から高城胤明(胤春の弟)の軍勢2000が援軍に現れました。

伊集院勢は砦の攻撃を中断して高城胤明の軍勢と戦います。

暫く戦うと東に下がる高城勢、南の砦を攻撃すると邪魔しに現れる高城勢との攻防が続きました。


この様子を見た義秀は軍勢3000を北の砦の攻撃に集中しました。

西船橋城の西と北から軍勢2000を配置して援護を封じました。

北の砦の北、西、南を封じて東門をがら空きにして攻撃をつづけました。やがて劣勢になった砦の兵士は東門から脱出、1時間の攻撃の末に陥落しました。


続いて西船橋城の北、西から攻撃を開始すると城兵達は東から退避して行きます。高城胤明からの指示で退路が空いてる僅かな間に退避を命じたからでした。


高城胤明の軍勢が必死に耐えて殿軍

を努めました。城兵の大半は2キロ東の船橋城に退避に成功しますが、南の砦に残された兵士の大半は仲間を生かす為に立花軍の攻撃を引き受けて全滅しました。

彼らの奮闘が無ければ高城胤明の軍勢も壊滅したかもしれません。


午後2時過ぎ、西船橋城の攻防戦が終わりました。

西船橋城を攻略、立花軍の鬨の声が響きました。


──馬込方面


正午過ぎでした。

馬込に到着した本多勢5700に小金城から出撃した宇都宮勢4000が東の方角から待ち構えて攻撃を開始しました。


宇都宮勢は本多勢の動きを事前に察知して木下街道沿いに軍勢を配置して待ち構えています。

有利な地形に待ち構え、包囲体勢を取る陣形で行軍中の本多勢を攻撃しました。


行軍中に不意打ちの包囲をされては兵力に勝る本多勢の先頭部隊、加賀美利久の部隊が分断されてしまいました。

後方に居た本多広孝は部隊を一旦北に迂回させて退避しました。

斥候を放ち、周囲を確認、宇都宮勢の北側から攻撃を開始しました。


加賀美利久の部隊は一方的に包囲されていましたが、本多広孝の機転が幸いします。

敵の攻撃が一旦停止した事で崩壊を免れました。

加賀美利久の部隊も北へ迂回して退避しました。


本多広孝の部隊と合流して反撃に加わりました。


そこに東松戸城から来た太田資高の軍勢4000が戦いに気がついて駆けつけました。


宇都宮勢の西側から攻撃を開始しました。木下街道を行軍しながら民家や畑を抜けて戦場に駆けつけます。

大きく広い戦場と違い、部隊が分散して各々小部隊同士の戦いになりました。

太田勢の先頭部隊が奮戦する中、木下街道に中軍と後軍が先に進めず、停滞していました。


そこに金杉城の2キロ南の夏見城から現れた高城胤春の軍勢7000が地元の利を生かして間道から接近して奇襲しました。


油断していた太田勢は先日の鎌ヶ谷城の戦い同様、奇襲に対処出来ずに分断されてしまいました。

間道を知り尽くした部隊に一方的に叩かれた太田勢は一瞬で崩壊しました。


太田勢の醜態に気がついた本多広孝が北へ退却する決断を下しました。

互角の状態に持ち直した今、退却しなければ、太田勢を粉砕した高城勢が戦場に加わり、全滅の危機になります。


先日全焼した鎌ヶ谷城方面に向かいます。鎌ヶ谷城は高城勢も確保せずに占領するのを諦めました。

東松戸城から近く、太田家と高城家の勢力空白地帯です。

素早い判断で状況が悪くなる前に撤退を成功に導きました。

宇都宮勢の追撃を振り切り、高城家の支配地域からの離脱に成功しました。戦場から離れると西へ向かい、敗走して来る太田勢を収容しました。

太田勢は行きに大野城の脇を通過して戦場に行きました。

危険が迫ると余裕の無い兵士は来た道を戻ります。間道を知り、冷静な兵士は出来るだけ大勢で固まって逃げて助かります。


本多広孝の軍勢と加賀美利久の軍勢の軍旗を高く掲げ、離れた場所を逃げ惑う太田勢を収容しました。


敗走してヘトヘトの太田勢は大野城前に布陣する本多勢、加賀美勢の陣地にやっとの思いで辿りつきました

しかし、日暮れになっても太田資高の無事が確認出来ず、不安が高まりました。



─西船橋城、立花義秀、鹿島政家


金杉城の牽制役の本多勢、太田勢が馬込周辺で攻撃を受けて敗走との知らせが入りました。


殿!やられました!

高城胤春は西船橋城を囮に使い、立花軍本隊を誘い出した形になりました。


政家、我らが攻勢に出た筈が、策を読まれたぞ!

高城胤春の仇敵は松戸城から鎌ヶ谷城周辺の領地を奪った太田資高だ!

狙いを定めていたに違いない!


殿、太田家から情報が漏れてる可能性があります。


あぁ、そうだな、有り得る。

元々江戸川から東の松戸から鎌ヶ谷周辺は全て高城胤春の先祖伝来の領地だからなぁ。

新規に採用した将兵の中に内応する者が有るやもしれぬ!


政家、面倒な事になりそうだな?

太田家から情報が漏れるのを前提として戦う必要有る!

だははは!

考えるだけで疲れるじゃないか?

(笑)


殿、馬込方面ならこちらの西船橋城から1里(4キロ)、半刻(1時間)の距離です。

今からでも軍勢を差し向けますか?

それとも距離は同じく1里、高城胤春の根拠地の夏見城に攻撃か威嚇を行いますか?


いや、高城胤春の策に填まる気がするからな、奴らが考えない事をするぞ!

伊集院忠久の軍勢6000に船橋城攻略に向かわせる!

高城胤春も今日中に船橋城まで来るとは考えておらんだろう?

船橋城付近に布陣して多数の篝火で威嚇しておけ!

夜襲にはくれぐれも注意して備える様に釘を指すのを忘れるな!


はい!すぐに出発させます!



─伊集院勢が東へ2キロ先の船橋城付近に向かいました。

暫くすると馬込の戦いの第二報がありました。

本多勢の被害は軽微で無事に大野城に帰還しましたが、太田勢は大敗して大野城に収容するも、江戸太田家当主、太田資高の消息が不明でした。


さらに、下総、小弓公方関連の情報が入りました。

古河公方家と小弓公方家の和議交渉の結果、市原城周辺から北部全てが古河公方領になり、領地の大半を失った事が判明しました。


─西船橋城、立花義秀、鹿島政家


政家、太田資高殿が消息不明、太田勢は大敗、弱すぎる!

嫡男は何歳だ?


はい、景資殿が16歳です。

母君が古河公方家の上杉一族だったかと思われますが…


不味いな、資高殿が亡くなれば嫡男の母君の連れ込んだ上杉方の家臣達が動き出す可能性があるぞ?

ここで太田家に裏切られたら全滅するぞ!

府中城の予備部隊はどーなってる?



殿、太田家の兵力は数に入れずに戦う必要があります。

府中城の留守居役、瀬沼利勝に軍勢を待機させています。

松戸城に増援部隊を送らせては如何でしょうか?


政家!すぐに手配してくれ!

兵力はどれくらいだ?

1万ならすぐに参ります!

第二陣も必要なら1万程度の編成が出来ます!


よっしゃー!

これなら太田資高がどうだろうが、なんとかなるぞ!

第二陣の1万も必要だ!手配を頼むぞ!


はい、手配致します!

















立花義秀と高城胤春の頭脳戦?


日替わりで展開が変わりそうです。


古河公方、足利晴氏の本隊が動くのはいつでしょうか?

立花義秀の軍勢の対決が有る?


さぁ、ワクワクして来ました。


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