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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1544年(天文13年)4月15日~下総、古河公方軍と小弓公方軍の戦いは終結に向かいます。小弓公方軍は当主嫡男を失い、壊滅的状況からどーなる?

古河公方軍と小弓公方軍の戦いは2日目、小弓公方、足利義明と御曹司、足利義純が戦死。

古河公方軍は小弓城、有吉城、鎌取城を攻略して大勝利となりました。


足利義純が平山城に向かう途中に亡くなった事は極秘でしたが、隠し切れず、両軍に広く知られる事になりました。


決戦3日目、勝利した側の古河公方、足利晴氏の動きは?重傷の筆頭宿老、簗田高助の傷の具合が気になります。




1544年(天文13年)4月15日~


古河公方軍と小弓公方軍の戦いは2日目に古河公方軍の大勝利となりました。


小弓公方足利義明を討取り、筆頭宿老、真里谷信之も討取りました。小弓公方軍の捕虜から御曹司、足利義純の死亡の情報を得ました。

小弓城、有吉城、鎌取城を攻略して大きな戦果を挙げています。


─決戦2日目結果─


古河公方軍19000

戦死800

負傷者1200

損耗率10%

2日間の損耗率22%


小弓公方軍16400

戦死1200

負傷者2400

損耗率21%

2日間の損耗率30%


小弓公方軍は小弓城の南、6キロの市原城に退却しました。

里見義堯勢3200

楢島正臣勢1800

小弓公方勢(細川忠勝)2000

合計7000

当主、筆頭宿老が亡くなった小弓公方勢を重臣の細川忠勝に指揮させる事になりました。


大敗して市原城に集まった将兵に悲報が舞い込みます。小弓公方家の御曹司、足利義純の逝去を知る兵士が秘密の保持に耐えきれず、重臣、細川忠勝に告白した事から、細川忠勝から里見義堯、楢島正臣に知らされました。考えた末に極秘にするのは無理と判断、市原城の将兵に公表しました。


市原城周辺に集結した将兵に衝撃が走りました。

小弓公方家の将兵達の未来の希望、御曹司の笑顔に逢えなくなりました。

多数の兵士達が涙を堪えられませんでした。


──市原城、里見義堯、細川忠勝──


忠勝殿、小弓公方家は当主義明様を失い、さらに御曹司、義純様まで失うとは!


はい、

筆頭宿老、次席宿老も討死にしました。

我らは残されたご次男、12歳の頼純様を当主に致したく、ご支援頂きたく、お願い申し上げます!


承知した!頼純様を支援しましょう。

しかし、この劣勢をなんとかせねばならぬが、既に2日間の戦いで味方の将兵は限界だ!

和議に持ち込み、交渉でなんとか小弓公方領を残すしかあるまい。

相手しだいだが、ここの市原城も譲る必要があるかも知れぬ。そこを承知するなら和議を打診してみましょう。


義堯様、市原城なら構いません。小弓城から近いので諦めるしかありませんから、宜しくお願い申し上げます。


──4月15日の朝から古河公方軍も2日連続の戦いに疲労困憊、とても戦える状態ではありません。朝から見張りを立てて、本日は休息するつもりでした。市原城に小弓公方軍の7000が集結してるのを把握しています。


──市原城の里見義堯から小弓城に布陣する古河公方、足利晴氏に和議の申し入れがありました。


足利晴氏は平山城を明け渡すのを前提条件に和議に応じると返答しました。


里見義堯はやむ無く要求に応じて平山城の明け渡しに同意しました。


平山城から一色正義勢が退去、東市原城に向かいました。


小弓城に小弓公方家から細川忠勝が交渉役、付き添いに里見家、筆頭宿老、真里谷信隆が同行しました。


和議交渉には古河公方、足利晴氏、

千葉利胤が出席しました。

交渉内容は領境を何処にするか?


単純に市原城から東市原城、大椎城、土気城、大網城を引いた線上から北側全てを古河公方領と強気の交渉でした。


小弓公方家も里見家も既に軍事的に窮しています。抵抗出来ずに条件を飲むしかありませんでした。


交渉が成立、和議の証書が交わされました。

戦う前には20万石程あった領地ですが、小弓公方家に残された領地は南市原城周辺の7万石程に減らされてしまいました。


里見義堯、細川忠勝らは領地、城の譲渡の残務の為、暫く市原城に残ります。


小弓公方家は南市原城に移り再建する事になりました。



古河公方軍と小弓公方軍の戦いは両軍消耗戦になりましたが、古河公方軍の大勝利に終わりました。


古河公方軍は2日続いた激戦の疲労が抜けたら江戸太田家の領地を目指して行軍する予定です。

想定以上の損害が出ましたが、鎌ヶ谷、東松戸方面の戦いが気になります。

軍勢を再編して立花軍との対決に向かいます。


どんな戦いになるでしょうか?

古河公方軍の不安は筆頭宿老、簗田高助の傷の具合です。

ここまで古河公方軍が優勢に戦えたのは彼の手腕に支えられたからでした。

指揮が出来る程に回復するのでしょうか?







古河公方軍が小弓公方軍を破り、勝利しました。

小弓公方、足利義明、義純親子は史実なら6年前に戦死するはずでしたが、6年遅れて亡くなりました。


古河公方、足利晴氏は立花家当主、立花義秀との直接対決を求めて鎌ヶ谷、東松戸方面に向かうのでしょうか?


古河公方、足利晴氏の決断は?

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