1544年(天文13年)4月8日~山内上杉軍、扇谷上杉軍の各々の事情
古河公方の後ろ楯を得た長尾憲長は素早く山内上杉家の権力を握りました。
長野業政を館林城に幽閉して、長野一族の結束力を封じました。
順調に蓮田城付近に進出して包囲しました。
これに困ったのは扇谷上杉家でした。
出来れば戦を避けたいのですが、引き込まれてしまいそうです。
1544年4月8日~
館林城から順調に進んだ山内上杉軍8000は4月7日に蓮田城付近に布陣しました。
4月8日、山内上杉軍本陣、山内上杉憲政、長尾憲長
お屋形様、蓮田城の包囲が出来ました。
憲長?いつ攻撃するんだ?
お屋形様、しばらく様子を見てからにします。滝山城の攻防戦で喪失した戦力は簡単には回復しません。
今は兵力温存が大事です。
暫く攻撃は控えて、古河公方様から催促されてから動けば宜しいでしょう。
そうか、憲長、わかった。任せる。
それで、長野業政をどーするつもりだ?
お屋形様!悪党長野業政は一族を挙げて山内上杉家の権力を握って前橋城に山内上杉家の本拠地を移しました。
先日、私が現れなければお屋形様は業政の弁舌に騙されて長野業政を筆頭宿老に指名したでしょう。
お屋形様、覚えておりますか?
13年前、お屋形様が山内上杉家の家督を相続する際に長野一族は一時的な代役で家督を相続していた養子に過ぎない人物を担ぎ出して内乱を起こしました。
長野一族が破れて、正統なる家督後継者が8歳で継承しました。8歳のお屋形様が家督を継承出来たのは我が長尾一族が悪党長野業政の野望を砕いたからです。
この時の争いは越後守護の上杉家、古河公方様の尽力があって長野業政は打ち首、もしくは切腹を申し付けられるのを免れ、謹慎したのでござる。
後に許されたにも関わらず、先月、滝山城の戦いに出陣するお屋形様に暴言を吐いて謹慎していた筈が、お屋形様に謹慎を解かれたその場でお屋形様を騙してる現場に出くわしました!
命は取らずに置きますが、隠居の上、蟄居した後、出家させて監視付きで黄泉に旅立つまで寺に囲います。
家督相続は嫡男、長野吉業(よしなり13歳)に継がせますが、人質として館林城に確保しております。
長野家の采配は長野業政の弟、長野業氏、業房の二人に命じます。
長野業政、嫡男吉業を人質にしており、長野一族は山内上杉家に逆らえない状態です。
左様であるか、仕方ないみたいだな?
とこれで長尾勝正はどーしてるんだ?
(滝山城で戦死した筆頭宿老、長尾勝久の嫡男、長尾勝正は父の死後に側近として常時側に居ましたから、長尾憲長の筆頭宿老就任してから転出しています。)
あぁ、越後長尾家から養子で惣社長尾家を相続して運良く越後上杉家のゴリ押しで筆頭宿老になって滝山城の戦いで討ち死にした長尾なんたらの息子でしたら、惣社長尾家の長老達に学び直しで何やら修練してると聞いておりますが、何か?
──突然、態度も口調も変わり、まるで先日、前橋城で長野業政を捕らえた時のヤバくて怖い、ヤクザみたいな雰囲気に変わりました。──
いや、修練中かぁ。また逢いたくなったから、ちょいと寂しいから聞いただけだ。
(怖くてキン●マ縮んでます)
お屋形!あの若造なら修練が足りぬ故、暫く鍛え直す必要がありますから、惣社長尾一族に任せてるから気にせんでよし!
では、忙しいので御免!
──なんと、長尾憲長は最初と最後じゃ、態度も口調も違い、本来の姿が現れた様でした。長尾憲長が語る相続争いは史実で実際あった事で、彼の話は半分事実で半分は都合良く創作が混じっています。
悲しくなる憲政、過去の経緯が少しずつ見えてきましたが、長野業政が悪人なのか?善人なのか?
解らなくなりました。
─川越城、上杉朝定、長尾信忠─
殿!山内上杉軍が蓮田城を囲みました!
8000の軍勢を率いてます!
数日で蓮田城が落ちたら我が扇谷上杉軍も大宮城を囲むしかありません!
立花家との和議を守りながら最善を尽くして戦を避けなければなりません!
信忠!川越に兵力を集めるとするか?
準備だけはして置かなきゃいかんよな?
殿、川越に5000を集めます。
山内上杉軍からこちらの様子を確認するでしょう。川越が動いてる事を見せて安心させる必要があります。
さらに、岩槻の太田資正殿に内情を知らせておきましょう。扇谷上杉家は立花家との和議を守りたい事を信じて貰わなければなりません!
そうだな、信忠、使者の手配を頼む!
山内上杉家、扇谷上杉家、各々の事情があります。内部に抱えた秘密が戦いの流れに複雑な影響を与えそうです。
さて、次の展開は?




