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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1544年(天文13年)4月5日からの展開は古河公方軍が優勢に展開する気配が濃厚です。立花軍は連戦の疲労回復が鍵になりそうです。

古河公方、足利晴氏の決断!

山内上杉家の筆頭宿老指名!

絶賛内紛中の山内上杉家を越権?かもしれない荒業で決着させました。

筆頭宿老に就任した長尾憲長は上杉憲政を引き連れ館林城経由で蓮田城攻略へ向かいます。


古河公方、足利晴氏は次にどんな手を考えるでしょうか?

4月4日に前橋城で山内上杉家筆頭宿老に就任した長尾憲長は古河公方、足利晴氏から頂いた筆頭宿老指名の辞令を公表しました。


山内上杉家の最大派閥、白井長尾家、惣社長尾家

、足利長尾家の軍勢3000が前橋城を囲み、一部の反対派の家臣達を粛清しました。

長尾一族に唯一対抗出来る長野業政(ながのなりまさ)が幽閉された事が知らされ、大した抵抗を受けずに、長尾憲長の権力が確立しました。


4月5日、長尾憲長は前橋城から集めた軍勢を館林城に集めて本拠地に凱旋しました。

館林城では筆頭宿老就任を祝う宴が開かれ、浮かぬ顔の山内上杉家当主、上杉憲政とは反対に長尾一族が楽しげに騒ぎました。

筆頭宿老、長尾憲長は館林城で軍勢の集結を待ち、4月7日に古河公方に攻撃指示された蓮田城付近に進出する予定です。


野田城に布陣していた古河公方、足利晴氏の軍勢に新手の4000が合流、14000になりました。

4月5日、4キロ先の松伏城の攻撃を開始しました。松伏城から岩槻太田家の本拠地、岩槻城まで12キロ、岩槻太田家に大きな圧力がかかります。


──野田城古河公方軍本陣、

足利晴氏、梁田高助


高助!山内上杉家の筆頭宿老、長尾憲長はいつ蓮田城を攻撃するんだ?


はい、今頃、館林城で兵力を集結中です。7日には蓮田に到着、攻撃開始になりましょう。


川越の扇谷上杉朝定に催促しろ!

山内上杉軍は7日に蓮田城を攻撃する!

扇谷上杉軍も7日に大宮城を攻撃せよ!


はい、手配致します!


高助!噂を流せ!

朝定の腰抜けが従わぬなら、当主を交代させる!、筆頭宿老も交代させる!

古河公方が怒ったら扇谷上杉家の人事に介入する噂を流せ!


はい、承知致しました。


松伏城攻めは宇都宮勢、結城勢4000に任せて我が本隊10000は鎌ケ谷城に向かうぞ!

鎌ケ谷で江戸太田軍を脅したら、我が本隊は下総の千葉勢に合流だ!



──江戸太田家の領内東端の鎌ケ谷城に高城胤春勢5000を攻撃に配置した目的


①江戸太田家の東端に江戸太田軍、立花家の援軍を引き付ける事

②立花軍の援軍を岩槻太田家、江戸太田家の二つに分散させる事

③最大の目的は小弓公方、足利義明の討伐であり、岩槻太田家、江戸太田家を攻撃する事で目的を隠して行動する。

④鎌ケ谷城の北側に下総に向かう街道筋が有り、本隊の移動を安全にする為に鎌ケ谷城を押さえる必要がありました。

⑤鎌ヶ谷城は元は高城一族の城であり、高城胤春は周辺の大小15城の領主として実力者である。千葉家の重臣であり、地元からの動員兵力が期待出来る。



野田城から出発した古河公方軍本隊10000が

4月6日、鎌ケ谷城付近に現れました。

高城勢5000と合流した古河公方軍が15000になりました。

江戸太田軍の将兵達は動揺します。

江戸太田領は西から令和の太田区、目黒区から東が千葉県の鎌ケ谷、船橋ですが、鎌ケ谷城は交通の要衝でも無く、古河公方軍の意図が不明です。


鎌ケ谷城の救援に太田資正軍5000が駆けつけます。6キロ後方の東松戸城には立花家からの援軍、本多広孝、加賀美利久の6000が到着して緊張が高まりました。


古河公方軍は鎌ケ谷城周辺で江戸太田軍と決戦を求めるのか?古河公方軍本隊は高城勢の北側に布陣しています。

古河公方軍本隊10000の到着を歓迎して高城勢から鬨の声があがります。


エイエイおぉー!

エイエイおぉー!

エイエイおぉー!

エイエイおぉー!


古河公方軍本隊の各部隊が答えるかの様に鬨の声を挙げました。

エイエイおぉー!

エイエイおぉー!

エイエイおぉー!

エイエイおぉー!


短い時間でしたが、15000の鬨の声は鎌ケ谷城周辺の太田軍将兵に恐怖を植付けました。


東松戸城に控えていた立花家の援軍に状況が伝えられ、本多広孝率いる6000も鎌ケ谷城付近に布陣しました。


古河公方、足利晴氏は野田城から鎌ケ谷城付近に布陣するとかなり疲労を感じました。

道中の半分は輿に、半分は馬で移動しましたが、慣れない移動で腰から尻が擦れて痛みを感じました。

将兵も20キロ余りの移動で疲れています。


──鎌ケ谷城付近、足利晴氏、梁田高助


高助!疲れて動きたくないぞ!

将兵達も疲れただろう?

明日は休息して明後日に出発にしろ!


はい、公方様、将兵達も喜びましょう。

明日はゆっくりいたしましょう。


──翌日4月7日を休息した古河公方軍本隊は4月8日に出発、四街道の立堀城を包囲中の千葉勢に合流すべく、移動しました。



古河公方軍本隊の動きに翻弄された江戸太田軍、立花家の援軍は緊張から解放されましたが、小弓公方の危機を悟りました。

古河公方軍本隊を追跡する事は無理です。

急使を送り、府中城の立花義秀に状況を知らせました。





古河公方軍が主導権を握ったまま戦場が動いています。このままなら小弓公方軍が危うい状況です。


立花家が準備している木更津への援軍が間に合うのでしょうか?

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