1541年(天文10年)6月、武田信虎失脚、立花義秀、武田晴信の家督相続を祝福!
関東の戦国時代の中で関東管領山内上杉、
扇谷上杉、なんじゃこれ?名前似てるし領地のエリアが不明瞭じゃん!
ずっーっと自分がわかってませんでした。
室町幕府を作った足利家の重臣で家柄良くて
関東争乱の要因になったブラック戦国大名(笑)
強大な勢力だったのに北条家に潰された大名です。
自分が理解した方法
山内上杉→支配地域の上野の国をつけて
上野山内上杉
扇谷上杉→支配地域が南側の武蔵だから
武蔵扇谷上杉
そんな、感覚で記憶して見ました。
北と南の位置関係がわかるだけでちょっと違ってようやく理解出来ました。
1541年(天文10年)6月、甲斐国主武田信虎が同盟国駿河の今川義元を親善訪問していました。
突如として武田家嫡男、武田晴信(信玄)が国境を封鎖、今川義元に父信虎を駿府から出さないように要請しました。
晴信は信虎の追放処分と自身の家督相続を今川義元に知らせました。
立花家と友好関係にある武田家の相続トラブル発生しました。
当主の武田信虎は武田晴信の弟信繁に家督を譲るつもりで今川義元に事情を理解して貰う為に訪問、帰国後に晴信を廃嫡、信繁を後継者にする予定でした。
武田晴信が事前に廃嫡を察知してたのか?
今川家からリークしたのか不明ですが、クーデターは成功します。
今川義元は晴信の要請を承諾、武田信虎は駿府で軟禁されました。
武田晴信から立花家当主義秀(主人公の祖父)宛てに家督相続の挨拶の使者が訪れ、クーデターの真相が知らされます。
武田晴信(信玄)は父信虎と亀裂があり、弟信繁に家督相続させる事を事前に把握しており、周到に準備していた事が判明しました。
「二十歳で武田家当主か?
史実ではこれから国人領主達と上手くいかず、板垣信方に助けられ、苦労して諏訪家、村上家と激戦になるんだよなぁ」
■立花義秀(談)■
立花義秀は武田家の使者に家督相続を祝い、軍資金5000貫(5億円)、米100俵、塩100俵、絹織物100匹、清酒50樽、焼酎50樽、馬具を装着した駿馬100頭を贈呈します。
当主義秀の弟、立花将広に騎馬500、歩兵1000、菊紋の軍旗100、笛太鼓の楽士隊100
合計1700の部隊をつけて甲斐府中へ送り出しました。
「将広!家督相続の祝いついでに武田家の様子を探るのが目的だ。派手に祝って参れ!」
「武田家の新当主晴信と国人領主達に立花家の財力と武力をアピールするのが目的だ。」
■立花義秀(談)■
立花将広の行列は府中から甲州街道を八王子へ向かい、高尾から小仏峠を通過して上野原~大月~甲府に入いりました。
大量の祝いの品と着飾った騎馬500と儀仗兵、菊の紋章の軍旗100本の壮麗な姿と笛太鼓の楽士100名の賑やかな演奏が甲府の民衆に歓迎されました。
武田家の歓待を受けた立花家の軍勢は3日間滞在の後に甲府を出発、武蔵府中に帰還しました。
家督相続後の甲斐国内は平穏で、武田信虎の評判が悪く、武田晴信の新政権に期待している様子が報告されました。
第7話完
立花家から武田晴信に多額の軍資金が渡りました。この時期の武田家の財政難は酷く、先代信虎の悪政がヤバい事になっていましたから史実より改善するかもしれません。




