1544年(天文13年)4月2日、午後からの立花軍の行動範囲は神奈川、東京、埼玉、千葉に跨がるめちゃくちゃ広い範囲だから軍勢の行動を把握するのが大変です!?
古河公方軍は下総の戦いが順調です。
小弓公方軍の最終防衛線ラインを目指して進撃します。
古河公方軍は宮代城、春日部城、鎌ヶ谷城を攻撃して主導権を握っています。
立花軍は山内上杉軍を滝山城で破り、扇谷上杉軍を石神井城で破り、北条軍を座間城で圧倒しました。ついに古河公方軍との決戦が始まります。
三連戦三連勝ですが、四戦目は疲労が、残ってる可能性があり。心配です。
1544年(天文13年)4月3日、古河公方軍が岩槻太田領の宮代城、春日部城を攻撃、江戸太田領の東端の鎌ヶ谷城を攻撃して優勢です。
さらに下総では、八街城、中山城を攻略、和良比堀込城、木出城も攻略しました。
さらに進撃する下総方面の古河公方軍、原勢が立堀城、千葉勢が平山城をの攻撃態勢に入ります。
原勢も千葉勢も二つずつ強襲攻撃で想定を越える死傷者が出ました。
原勢5000、死者400、負傷600
千葉勢7000、死者500、負傷700
原勢が戦える兵力は4000、損耗率20%
千葉勢が戦える兵力が5800損耗率17%
6日間連続の激戦で疲労しています。
負傷した兵士は戦力になりません。
戦いから除外されます。
野球やサッカーと同じく、スポーツの世界で負傷した選手を試合に出さない、出させないのと同じです。
原勢4000は立堀城の北側と東側に布陣しました。西、南をわざと空けています。
西4キロに千葉城があり、南4キロに小弓城が有ります。城兵が逃げる事を期待しています。
千葉勢5800は平山城の北側、東側に布陣しました。西、南を空けて4キロ先の小弓城、3キロ先の鎌取城へ城兵が逃げる事を期待しています。
原勢、千葉勢は疲労回復に勤め、休息中です。
小弓公方、足利義明は小弓城近くの最終防衛線にある4つの城、千葉城、立堀城、平山城、鎌取城に各々700の兵力で固めています。
士気は高く、互いに3キロから4キロと近く、攻撃相手の背後を襲撃出来る態勢です。
小弓城公方、足利義明は立花家からの軍資金提供を受けて、軍政改革に成功しました。
立花家の指導を得て、一般兵士を月給制で大量に採用、訓練も立花家が教官を派遣して集団で少数を囲んで戦う戦法を習得しました。
集団戦に特化した訓練で短期間で戦える戦士が生まれました。小弓城には守備隊700、出撃部隊5200が待機しています。
彼らの士気は高く、足利義明への忠誠心に溢れています。その証に八街城、中山城、和良比堀込城、木出城は全滅。
攻撃した原勢、千葉勢の死傷者を道連れに、合計死者900、負傷1200、損耗率18%
勝利した古河公方軍12000→9800に減少しました。
小弓城では4つの城が落ちて落胆する者が居ましたが、足利義明が敵にも死傷者多数出てる、消耗してるから諦めるな!と励ましています。
一方で重臣の半分は退避を考えています。
意識を統一出来なければなりませんが……
─小弓公方家、忠誠派→真里谷信之
─小弓公方家、野望派→真里谷信応
忠誠派は足利義明に純粋な家臣グループ
野望派は足利義明を利用して立身出世を企むグループです。二つの派閥争いが小弓公方家の乱れの原因になっていました。
──小弓城、足利義明、真里谷信之
二人は家中の乱れを正す策を考えました。
二人の芝居がはじまります。
忠誠派の筆頭、真里谷信之を罵倒する事で野望派の家臣達の心に訴えます。
信之ぃー!
重臣達の半分は立花家領に退避だの、上総?安房に退避など口論してるらしいな?
戦場で4つの城の兵士達が故郷を守る為に全滅しておるのに、お前達は男じゃ無いのかぁー!
公方様ぁー!万が一の対策です!
最初から逃げる事を決めた訳ではありません!
信之ぃー!
全滅した兵士達の想いを考えろ!
彼らは家族や領民を守る為に俺達に後を託したんだぞぉー!
俺達、領主と呼ばれる地位にある者なら、任された領地の民、家族や仲間を守る義務があるだろ!
お前達!男なら負けると解っていても、意地でも戦う気持ちは無いのかぁー!
──腹の底から怒りに任せた怒号が響きました。
小弓公方、足利義明の野望は無能な古河公方を倒し、自分が古河公方に就任して関東に理想的な政治を行う事です。
乱暴な夢ですが、義明の熱意に賛同した有志が里見家から飛び出して小弓城に結集して今日に至りました。
隣の部屋で二人の話しを聞いていた重臣達5名が部屋に入りました。
畳に頭を押し付けて土下座しています。
退避を議論していた真里谷、土岐一族の重臣達でした。
──真里谷信応が5名の代表になり、現れました。彼は真里谷信之の従兄弟です。
公方様!私達が間違っておりました!
恥ずべき所業と反省しております!
首を取るなり、切腹を申し付けるなり、処分を覚悟でお詫び申し上げます!
信応ぁー!
お前達の股間にある武士の魂は何処にあるんだぁー!
思い出せぇー!
千葉家から小弓城を奪った時には2倍の敵を相手に恐れずに戦ったからだろーが!?
勝利した時に誓っただろー!
俺達が関東争乱を正す!
忘れたのかぁー!
公方様ぁー!二度と逃げるなど思いません!
公方様に従い!故郷の民を守り、命有る限り戦います!
バカ者がぁー!
股間にある武士の魂が戻ったようだな!?
これより、平山城を救いに参るぞぉー!
皆の者ぉー!付いて参れぇー!
行くぞぉー!
おぉー!
近習達や護衛の兵士が声をあげました。
芝居していた真里谷信之がさらに声をあげます。
皆の者ぉー!
公方様が平山城を救いに参るぞぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
小弓城の将兵の士気が高まりました。平山城(別名、長谷部城)の救援の為、小弓城の西側の広場で救援部隊5200を編成します。
敵方の原勢、千葉勢が小弓城の高台に有り、上から眺めると援軍の動きを察知される恐れがありました。
隠密行動が必須です。
小弓城の西側で編成すると南に進路を取り、東廻りで鎌取城の兵士500と合流、隠密に行軍する為、東に迂回して千葉勢に気配を悟れぬように配慮します。
令和時代のゴルフ場、袖ケ浦カントリークラブを東に迂回して千葉勢陣地の背後に進出しました。
千葉勢は攻略した木出城の死傷者の後始末に500を残して来ました。平山城の北側陣地に2300、東側陣地に3000を配置していました。総勢5300
接近する小弓公方軍は足利義明自ら率いて総勢5700
嫡子、足利義純が先鋒を志願しました。義純勢2000が千葉勢の東陣地を攻撃します。
筆頭宿老、真里谷信之に2000を与え北側陣地を攻撃します。
千葉勢の東側陣地の将兵は南の鎌取城側の警戒に兵士を配置していましたが、500メートル先に接近するまで完全に油断していました。
連勝していた気の緩みから背後の警戒を怠りました。
敵襲!敵襲だぁー!
配置に付けぇー!
陣地は騒がしくなりました。
配置も何も、油断して甲冑を脱いで下着を交換したり、久々にゆっくり食事してる最中でした。
手元に弓、槍を手放し、慌てて武器を取りに戻ります。
足利義純は自ら50騎を率いて誰よりも早く千葉勢陣地に乗り込みました。敵襲だぁー!の声が響いてから
2分ほどの時間で陣地に攻撃を受けました。
続いて20騎ずつに別れ、二つの騎馬部隊が陣地に殺到しました。
続いて弓部隊、足の遅い長槍部隊が続きました。
最悪のタイミングで奇襲された千葉勢東側陣地は組織的抵抗が出来ずに圧倒されました。
千葉勢北側陣地は異変に気付き、慌てて武器を取り、甲冑を着込みます。東側陣地に同じく、久々にゆっくりした食事をしていました。
急ぎ兵士を集合させます。
東側陣地が奇襲されて5分ほどの時間で真里谷勢2000が現れました。
真里谷勢は20騎が弓を放ちながら陣地の左端へ、20騎が弓を放ちながら右端から突入します。
陣地中央に20騎が侵入します、短槍を2本づつ投げると後退します。
続いて20騎が短槍を2本投げました。陣地の左右に騎馬兵の弓の連射、中央に短槍が投げ込まれて混乱しました。そこに弓部隊が弓の連射
、長槍部隊が突入して千葉勢を叩き捲りました。
千葉勢の陣地は東側も北側も大混乱
、集団に包囲されて少数単位で死傷者が発生します。
その場面に平山城から城兵が背後から攻撃に参加します。
千葉勢東側陣地へ城兵 200、北側に城兵200が襲撃しました。
城方から敵襲ぅー!
背後から敵襲ぅー!
の声が響きます。
千葉勢は支え切れずに壊滅状態になりました。
戦闘開始1時間経過する頃、足利義明が決断します。
引き金を打てぇー!
隣の立堀城から原勢が来る前に撤収だぁー!
引き金が響きます。
3キロ離先の立堀城に敵の原勢が布陣しています。
千葉勢の伝令が馬なら10分かからず到着します。急報から援軍に向かうと先発部隊は1時間以内に到着します。
足利義明は戦う前に敵方の援軍が来る前に撤収する事を周知して開戦しました。
引き金に従い、足利軍は集結、勝鬨を挙げました。
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
平山城からもエイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
勝鬨が挙がりました。
足利義明は軍勢を鎌取城経由で小弓城に帰城を決めました。
すぐに戦場から撤収します。
原勢2000は千葉勢から急報を受け、平山城の手前1キロまで救援に来ていました。敗走する味方に阻まれ間に合いません。
救援に来た原勢主将、原時胤は悔しがりました。
勝鬨を挙げて鎌取方面に去り行く足利義明の軍勢が見えていますが、敗走する味方の数千の兵士達が道を塞ぎ間に合いませんでした。
敗走する味方が2000以上、援軍が2000、戦国時代の細い道で逃げる兵士と追いかけたい兵士がすれ違います。大混乱になりました。
間に合うはずなのに、最大の目標、小弓公方、足利義明の首を挙げるチャンスを逃しました。
千葉勢死傷者
死者300、負傷500
損耗率15%
足利義明軍死傷者
死者40、負傷80
損耗率1、8%
僅か1時間ですが、足利義明の判断力が圧倒的勝利を導きました。
千葉勢は立て直しが必要になり、原勢の陣地付近に後退しました。
下総の戦いは古河公方軍が優勢でしたが、初めて小弓公方、足利義明軍が勝利しました。
負けた千葉勢が原勢の陣地付近に現れると、包囲されている小弓公方軍の立堀城兵から勝鬨があがります。
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
平山城の勝利が伝わり、立堀城兵達の士気が挙がりました。
なんとびっくり、小弓公方家の重臣達を一喝!
平山城を自ら軍勢を率いて救いました。
これで流れが変わるのでしょうか?
まだまだ目がはなせません。




