1544年(天文13年)3月31日、立花将広と北条幻庵の和議交渉始まる?酒が出るかもしれない??交渉の行方は?
相模の戦いが戦闘から和議交渉に移ります。
立花家が相模にどれだけの要求をするのか?
北条家がどれだけ譲歩出来るのか?
交渉の行方は?
書き上げた内容が薄いかな?
と感じて加筆しました。
1544年(天文13年)3月31日、午前中、
──府中城、立花義秀、鹿島政家
二人で地図を広げながら古河公方軍の対策を考えています。
殿!
本日より、原町田にて和議交渉が始まります。
戸塚で負けた、楢島正臣の軍勢が昨日、反撃して早川城を取った事で随分有利な状況です。
そうだな、将広(弟、立花将広)から平山、久良岐が軍規違反の失態に奮起したらしいが、早川城攻略に両者の軍勢が勇敢に戦い攻め落としたと、情状酌量をの余地有りと申しておる。
戸塚の戦いで軍規違反した長津田城主と久良岐城主が戦死、負ける原因になった責任が重い。
軽くは扱えぬ、古河公方との戦いの後に調査してから沙汰するぞ!
早川城の戦略的価値が高いからな、和議交渉に有利な状況にした楢島正臣は貢献度が高いぞ!
はい、戸塚の敗戦を引き算しても早川城を攻略した事でお釣りがあります。
津久井城を攻略して、中津周辺で暴れた三田綱重殿、大石盛将殿も座間城を脅かし、良い働きをしています。
そうだな、二人は府中まで直談判に来る程熱心だった。津久井城攻略を許可して良かったぞ!
これで和議交渉は立花家に有利な状況が揃った!
──原町田、本陣、
立花義國、立花将広、北条幻庵
座間城から出発した北条幻庵は、近習10騎を引き連れ、8キロ離れた原町田の立花軍、本陣に到着しました。
本陣には風に靡く立花家の菊の紋章の軍旗、錦の御旗と称えられる軍旗100本が荘厳な雰囲気を放っています。清々しい波動を感じました。
馬から降りて立花軍兵士に案内され、北条幻庵一行が龍魂の軍旗の近くを通る時に全員が力強い波動を感じました。
驚く様子に立花軍の案内役の兵士が自慢気に由来を伝えます。
驚かれましたか?
龍魂の軍旗は10本全て、大國魂神社の先代の大宮司、猿渡盛胤の御老公様が特別に龍魂の文字を書き入れた5本と、龍魂の文字を巫女の皆様が神殿に籠り、黄金の刺繍にて仕立てた5本の芸術品です。
これらの軍旗に御老公様と大宮司
、神職の皆様がお祈りを捧げ、大國魂神社の大神さまの波動を纏って(まとって)おります。
正義と民の安寧を守る波動でございます。
北条幻庵一行は、いきなり自慢気に紹介する兵士に唖然としましたが、龍魂の軍旗が放つ不思議な波動?オーラ?を感じて信じるしかありませんでした。
境川に削られた崖上の本陣周辺の防備を確認しながら歩く一行は立花軍陣地の防御力の高さに驚きました。さらに軍旗から放たれる波動に驚きました。
案内された先には豚の丸焼き、鹿の丸焼き、鉄棒に串刺しになり、火に炙られています。時折タレを掛け流し、堪らなく良い匂いがします。
近くに屋台があり、焼そば、炒飯、
豚汁を作っています。
その先に大きな円卓と椅子が用意され、立花将広が用意した美女達が胸元と背中を露出したセクシー衣装で現れ、北条幻庵一行が席に誘われました。
彼女達の衣装をデザインしたのは当然、3歳10ヶ月の松千代です。
美人侍女達と同じ衣装です。
戦国時代の男達には刺激が強すぎるセクシーパワーです。
いきなりメロメロの北条幻庵と一行は、立花流のお・も・て・な・し
キャバクラ方式の接待に圧倒されます。
初めて見る旨そうな屋台料理、セクシー美女が付き添います。
当然酒が呑みたくなります。
やっぱり立花家自慢の焼酎、清酒が振る舞われます。
いつの間にか円卓の周りに幔幕が張られ、軽快な太鼓の音が響きました。
周囲の目を気にせずセクシー美女にキャバクラ式甘い接待に引きずり込まれます。
美女にアーン、して食べさせて貰い、焼酎、清酒を呑まされ、抱きつかれて夢心地の状況です。
あらら、幻庵は北条氏康に絶対に酒呑むなー!と釘を刺されたはずなのに完全に忘れました。
(笑)
暫く夢の時間が流れていましたが、当然、区切りの時間がきました。
太鼓が響きます。
ダダダン!にっぽん!
ダダダン!にっぽん!
おぉー!にぃーぃーっぽーぉーん!
にぃーぃーっぽーぉーん!
にぃーぃーっぽーぉーん!
にぃーぃーっぽーぉーん!
ヘイヘイ!ヘイヘイ!
おぉー!にぃーぃーっぽーぉーん!
にぃーぃーっぽーぉーん!
にぃーぃーっぽーぉーん!
にぃーぃーっぽーぉーん!
ヘイヘイ!ヘイヘイ!
ダダダン!たちばな!
ダダダン!たちばな!
幔幕が取り払われ、美女達が去りました。円卓に残された北条幻庵達の前に立花義國、立花将広が甲冑姿で現れました。
立花家ぇー!
次期当主ぅー!
立花義國様の御前であーる!
一同の者ぉー!
控えおろぉーぉー!
ははぁーぁー!
土下座スタイルの姿勢の幻庵達、醜態を見られてしまった北条幻庵一行は土下座の如く神妙な姿勢で頭を下げてしまいました。
だはははは!
驚かせてすまぬ!
と笑う泥酔軍師、立花将広が挨拶に立ちました。
互いに紹介が終わると義國は席を外し、立花将広、北条幻庵と従者一行は別室に案内されました。
──しまった!?
氏康から酒を呑むな!と釘刺されたのに、疑似餌に釣られた魚になっちまった!と反省する幻庵──
関東の大地図が用意されています。
1メートル四方の地図に関東8か国に信濃、甲斐、駿河まで、主要な城が表示されています。
北条家の全員が驚く詳細な地図でした。上質な和紙に描かれ、相模川、多摩川、大名の勢力範囲が表示されています。
泥酔してた一行の酔いがかなり覚めました。
立花家は太っ腹でした。
詳細な地図を他家に見せるなど、通常ならあり得ません。
意図があるから見せました。
──立花将広、北条幻庵
幻庵殿、ご覧あれ、古河公方様の勢力範囲は飛び抜けている。
下野、上野の一部、常陸半分、武蔵の一部、下総、上総の一部だ!
おおざっぱだが、130万石として、ざっと4万から最大5万位の兵力だろう。
しかし、直臣では無いぞ!
半分自立した大名達だ。衰えた幕府の権威を守る為に出来た古河公方の権威に従ってる振りして参加してる数が最大5万!
真剣に戦うのは何万かな?
下野の小山、宇都宮、佐野、結城、那須、大田原、相続絡みで内紛有り、敵味方に離合集散してる。
常陸は小田、多賀谷、真壁、佐竹、江戸、大掾、相馬等、下野と同じく揉めて離合集散を繰り返した!
まともに働くのは下総の千葉、原、
あとは宿老の梁田の仲間くらいだろう。本気の兵力は精々半分、おまけで3万だ!
立花家は単独で4万出せる!
さらに岩槻太田家、江戸太田家、世田谷吉良家、青梅三田家、滝山大石家達から15000から20000が加わる!
うぅぅむ……唸る幻庵と従者達。
酒を呑まされた酔いが覚めてきました。
それで、立花家に友好的な小弓公方様の下総、小弓城周辺20万石!
里見家の25万石が味方になるからなぁ、兵力は13000になる。
しかし、古河公方の指示で千葉勢、原勢が小弓公方の領内に侵攻した。現在、八街城、中山城の二つが落ちた!やがて小弓公方は千葉勢、原勢にやられるだろう。
里見家は相続後の内紛が完全に収まらず、援軍を出すのは無理かもしれぬ!
──教える必要無い情報ですが、わざと公表します。
上野の山内上杉家は先日、滝山城の攻防戦にて、立ち直りに数年掛かるほどの死傷者を出して大敗した。
古河公方様に援軍など、出せる余裕があるか?不明だ?
川越城の扇谷上杉家は先日石神井城の攻防戦に大敗、石神井城、練馬城を破棄を条件に和議を結び帰国したばかり、疲労困憊で援軍出せるかどうか?出せたとしても大した兵力じゃ無いだろう。
あとは友好関係の甲斐の武田晴信、駿河の今川義元が立花家に同盟を求めて来ておる。
同盟が成立したら北条家は包囲完了、消滅に向かうだろう。
立花家に武田家、今川家の後押しが加わる?噂が流れるとどーなる?
古河公方様に本気で従う諸大名がどれだけあるのか?
手を抜くか?戦う振りするか?
明らかに離脱も有るだろう。
それを頭に叩き込んで和議交渉だ!
立花将広から書状を受け取る幻庵の顔がひきつりました。
立花家当主、立花義秀からの和議の内容は北条家に極めて厳しい内容でした。
──北条家に厳しい和議条件は?
①和議、講和の条件
武蔵国、相模国の国境周辺にて立花軍が占領した地域、城、制圧した地域周辺を立花家の領地と認めた場合に限り、座間城の包囲を止め、小田原城へ無事帰還する事を認める。
和議の前提条件→立花家の領地は、津久井城周辺、津久井郡から南下、中津から関口周辺、愛甲郡、更に南の厚木城周辺、磯辺城、座間城、深見城及び、相模川東から玉縄城周辺及び、三浦半島に及ぶ範囲と座間城以北全てとする。
──要約すると、津久井城周辺から津久井郡、愛甲郡から厚木から平塚に及ぶ相模川一帯のラインが立花領に編入されます。
そこから西側のだけが北条領とする。
相模国の60%が立花領になります。
北条幻庵の想定を越えた譲歩になります。
②北条氏康が立花家に臣従する場合の領地について
北条氏康が立花家に臣従を誓うのであれば、上記の領地から、北条氏康に厚木周辺から平塚、海老名、早川城、玉縄城周辺から三浦半島を与える。
──立花家に臣従すれば相模の60%が北条家の領地として守れます。
しかし、頭を抱える内容です。
北条氏康が頭を下げて臣従するとは思えません。
交渉の全権を託されたからこそ、今から氏康に臣従しますか?
など質問出来る訳がありません。
③、上記の①または、②の和議の条件が満たされ無い場合、は交渉を打ちきり、総攻撃を敢行すると書状にしるされてあります。
北条幻庵は追い詰められました。
立花将広は暫く考えるように幻庵に伝えると席を外しました。
お詫び、最初に和議交渉の場所を町田天満宮としましたが、1570年代の創建と判明したので変更しました。
また、原町田の地名の由来が1580年代に町田を開墾した人物が命名したようですが、便宜上解りやすくする為にそのまま使用いたします。
和議交渉がはじまりました。
泥酔軍師、立花将広が先手を取りました。
まさかのキャバクラ方式の接待から事実とハッタリ混じりの情報公開が有りました。
和議交渉の内容は北条家に対して冷酷な条件を突き付けました。
さて、これからの展開は?




