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戦国大河小説、立花家三代戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!武蔵国、府中から関東を制覇して、上杉謙信、織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1544年(天文13年)3月26日午後、玉縄城から戸塚周辺に熱い戦いが広がります。北条綱成、北条氏堯の想いが交差します。

玉縄城の戦いは北条氏堯勢の攻勢に久良岐康成勢は後退して苦戦を演じました。

伏兵の挟撃に成功、反撃に転じ、大勝利となりました。


攻める側、攻められる側の策の読み合いは久良岐康成の、読み勝ちになりました。

玉縄城外の戦いは久良岐勢の圧勝に終わりましたが、まだ玉縄城が落城せず、健在です。


勝利した久良岐康成は朝から4時間戦って疲れた筈なのに、戸塚の楢島正臣に元気な兵士を選抜して駆けつけると連絡を入れました。


長後に滞陣していた北条綱成は体調不良の兵士達の体調回復に当てる一方で、体調良好な笠原勢1000、南条勢1000を玉縄城に向かわせました。2000の軍勢は玉縄城外の戦闘に間に合いませんでした。


しかし、敗戦に落ち込む玉縄城の兵士達は援軍2000が来た事で勇気が回復します。

北条綱成は史実では北条軍の関東制覇に大活躍する名将です。何か仕掛けるかもしれません。




1544年(天文13年)3月26日


午後からの戦いが始まります。

北条氏堯は勝利への良策と信じて戦いを挑みましたが、久良岐康成に策を読まれて伏兵の挟撃にさらされ、負けてしまいました。

落ち込む玉縄城に、朗報が舞い込みます。



──玉縄城、北条氏堯、長谷川正行──


「殿!殿ぉー!

援軍が参ります。長後の北条綱成様から笠原勢1000、南条勢1000が間も無く合流します!」


「なんだとぉー?!援軍!?綱成が…」


北条氏堯は兄の北条氏康から信頼の厚い北条綱成に嫉妬して嫌っていました。

そんな相手からの援軍に驚きました。


やがて、笠原政孝、南条正興、両名が軍勢を率いて玉縄城に着陣、代表して笠原政孝が挨拶にやって来ました。


「氏堯様に申し上げます。

北条綱成からの伝言にございます。

ご当主北条氏康様から預かりました笠原勢1000、南条勢1000、氏堯様の配下に加えて頂きたく、お願い申し上げます。

玉縄城を囲む久良岐勢を蹴散らし、戸塚に布陣する立花軍、楢島勢との戦いに支援を賜りたいとお願いにあがりました!」


「なんだと?!援軍を頼みたいと?」

絶句して言葉が出ず、暫く意味を噛みしめました。


綱成が気遣って援軍を差し出したのに、配下に加えて戸塚の戦いに支援に来て欲しいと……

北条氏堯の目に涙が滲みました。

隣に控える長谷川正行も泣いています。


「氏堯様!

城外の久良岐勢は戸塚方面に1000程の軍勢が向かいました!

今なら目の前の久良岐勢は800ほどしか居りません!奴らを粉砕して戸塚の戦いの支援に参りましょう!」


笠原政孝は北条氏康から氏堯が綱成を嫌っている理由を聞いていました。

綱成から玉縄城に援軍を命じられた際に綱成の配慮を理解して伝えました。


氏堯は兄、氏康からの配慮、綱成からの配慮、そしてそれを理解する笠原政孝の誠意の籠った気持ちを理解しました。


俺は小さな事にこだわり、綱成に反発して傷付けていた、氏康から叱られたにも関わらず、綱成への態度を改めなかった…今になって綱成の配慮に気が付きました。


「わかった!知ってるだろうが、先ほど我らは久良岐勢に大敗した!

挽回の機会を与えてくれて感謝する!」


「ははっ!」


「久良岐勢が油断してるなら反撃しようぞ!

笠原!先陣を頼めるか?」


「はい!笠原勢、南条勢が一気に蹴散らします!

勝利したら、そのまま戸塚方面に進みたいと存じますがお許し頂けますでしょうか?」


「承知した!

両名に任せる故、我らも後に続くぞ!」


玉縄城に明るい兆しが見えました。

笠原勢と南条勢の2000が久良岐勢800に襲いかかりました。


この時、久良岐勢は先ほどの勝利で油断していました。久良岐康成は西、北、東に布陣していた兵士を八幡神社周辺に集めています。

戸塚方面に1000の兵士達が出撃して、残る兵士は負傷者300と疲労した500のみでした。


「うわぁー!」

「そりぁー!」

いきなり長槍の集団に少数の兵士が襲われます。

疲労していた久良岐勢の兵士達が襲撃に驚き逃げ惑います。

敵方や味方の遺体の整理や供養、幕舎の整理、負傷者の治療に専念してる隙に襲撃されました。

久良岐勢は味方だけでなく、玉縄城の捕虜達まで差別せずに治療中でした。


襲撃する笠原勢や南条勢には獲物でしか有りません。

一方的な殺戮になりました。

午前中の戦いで玉縄城の兵士が完敗した事もあり、復讐に燃えた兵士達は治療中の兵士全てを敵方と思い込み殺戮しました。


捕虜になった玉縄城の兵士も仲間の治療の為に残っていましたが、彼らが「味方だ!」

「玉縄城の兵士だ!」と叫んでも信じて貰えず討たれてしまいました。


玉縄城の兵士500を率いた北条氏堯がやって来ました。長谷川正行が先頭に、戦いに加わりました。

一方的な状態で味方が優勢に見えましたが、やがて、血だらけの兵士が長谷川正行の前に現れ、久良岐勢に治療を受けてる多数の玉縄城兵士が味方に討たれてれと告げて息を引き取りました。


正行も半信半疑ながら、敵に声掛けして所属を確認して戦う事を命じました。

暫くすると、治療中の玉縄城兵士多数が殺戮されてる事が判明しました。


「殿ぉー!一大事です!玉縄城の兵士多数が久良岐勢の捕虜となり、治療を受けて居ります!

その事実を知らずに笠原勢、南条勢が敵と見なして殺戮しております!」


「何だとぉ!?」


「今から止めて参ります!」


「早く止めろ!指揮官達に伝令を出せ!

戦闘停止!集合せよ!」


伝令が次々に周辺を巡り、戦闘停止を呼びかけました。「戦闘停止!集合せよ!」


悲惨な状況に北条氏堯も馬に乗り、戦場を駆け回りました。各所を周り戦闘停止を呼び掛けましたが、反撃に狂った味方の軍勢は簡単には制御出来ず、殺戮は暫く続いた後にようやく戦場が静まりました。


生き残りの玉縄城の兵士20名が見つかりました。

彼らの証言によると、立花家の陣地には玉縄城の負傷者200名余りが殺されずに捕虜となり、治療を受けていた事が判明しました。


「殿!久良岐勢は玉縄城の捕虜の200名を治療しておりました。死者は丁寧に埋葬、兜首(指揮官クラスの首)も作法に従い名札が添えられて居ります。

明日には玉縄城に返還する筈だった様です…」


「言葉にならんなぁ、反撃して勝利したのに、治療中の味方、200名を同士討ちしてしまったんだな?

生き残りがわずか20名か?

午前中に600名、午後には200名も失ったんだぞ!兄上になんと報告するんだ?」


──午後の玉縄城外の戦い──


久良岐勢の兵力800

死者400、

負傷治療中の兵士ほぼ全員死亡の惨劇になりました。損耗率50%


北条軍2500

北条軍の死者20、負傷者40、

損耗率2%

同士討ち200を加えると損耗率8%


北条氏堯が笠原政孝、南条正興、両名を呼びました。

平伏する二人に同士討ちの責任は自分にあるから気にせず戦うように訓示しました。



氏堯が2500名の兵士を集め、声を上げます。


「俺は本日800名の忠義の兵士を失ったー!

全ての責任は自分の責任であーる!

これより、戸塚の立花軍と刺し違えて死んでお詫びに参る!我は800名の魂に誓う!

立花勢と刺し違えて黄泉の国へ参るぞぉー!」


「うぉーおー!」

「うおー!」

兵士達も午前中に敗戦した事、午後には同士討ちで味方を失った悲しみから涙が溢れています。

「やるぞぉー!」


「エイエイ!おぉー!

エイエイ!おぉー!

エイエイ!おぉー!

エイエイ!おぉー!」

自然に鬨の声があがりました。

氏堯の気持ちに兵士達が反応しました。

暗い雰囲気を吹き飛ばし、戦う気力を取り戻しました。


北条氏堯勢は2500、戸塚の楢島勢を目指して北へ移動を開始しました。


─午後2時頃─

長後から長後街道を東に進んだ北条綱成勢は戸塚に到着しました。


立花軍の軍勢が小高い山に見えます。

柏尾川から 200メートル先に立願寺があります。

楢島正臣は立願寺に長尾政頼の2000を右翼に配置、楢島正臣は中央に2000、左翼に平山信季ひらやまのぶすえの2000を配置しました。


長後方面から来る敵が柏尾川を渡る際に坂上から弓の射程位置に兵士を配置しています。

立花軍は山の上から見下ろす地形にあり、右翼の立願寺から左翼の平山信季の陣地が高く上がる地形です。


柏尾川は令和時代より、水量があり、川幅4メートル、川から立願寺まで標高20メートルを上がる地形です。令和時代は横浜市の住宅街です。

柏尾川から立願寺まで約200メートルです。


──北条綱成、伊藤正春、───


「正春、立花軍な配置はなかなか良いではないか?

こちらから見ると左側、山の上、あれが、立願寺だな?」


「はい、その通りにございます」


「目立つ様に兵士を下に出してるから誘いだな?

あの山は右に高くなる地形に配置してるから、迂闊に攻めると地形を利用して包囲されるぞ!」


「はい、気を付けましょう、殿のお考えは如何でございますか?」


「まず、先に福島勢2000を北から迂回させ、立願寺の背後から攻撃する!

長尾勢が慌てるところを正面から和田勢2000が攻撃だ!」


「ははっ!承知致しました!」


「あとは臨機応変、柏尾川に引き入れ叩く!

叩いてやるぞぉー!」


北条綱成の命が下りました。

北に迂回した福島勢2000が立願寺の裏手から迫りました。


立願寺に布陣する立花軍、長尾勢の前には柏尾川から和田勢2000が渡ります。

しかし、正面を避けて離れた北側から渡りました。想定より北から来る敵に釣られて前衛部隊が北側に引き寄せられます。長尾勢に隙が出来ました。

福島勢の一部が塀の低い立願寺に侵入、長尾勢と境内で乱戦になりました。


長尾勢の苦戦に、隣の楢島勢が500を援軍に送りました。立願寺を巡り、激しい戦いに

なりました。


北条綱成は長尾勢の立願寺を集中的に攻撃しました。防御力は弱く、炎上したら北条軍断然有利になります。北条綱成は周囲の民家も積極的に放火させました。


やがて、立願寺から炎があがりました。

福島勢が次々境内に侵入を果たし、本殿、脇殿、居住する建屋まで火の手に包まれました。

長尾勢は立願寺から離れ、軍旗を守り陣地を南に移動しました。


混乱する長尾勢に和田勢が正面から攻め上がります。


長尾勢2000は北条綱成の策に嵌まり、福島勢と和田勢合計4000に包囲されつつあります。


正面には馬防柵が行く手を阻み、長尾勢は弓を放ち抵抗します。

和田勢は無理せずに、盾を前面に並べてゆっくり前進を始めました。


放置すると和田勢と福島勢が味方の右翼を支える長尾勢を立願寺側の北、東、と西の三方向から包囲してしまいます。


楢島勢は立願寺側の福島勢と和田勢に兵力を割いて長尾勢の支援に当たりました。


楢島正臣は北条綱成の作戦能力に驚きました。

初手から右翼の長尾勢の腹背から攻撃、手薄になった正面に攻勢を掛けて来ます。

対策を講じなければ、やがて押し切られてしまいます。


そんな時に隣の平山勢の南、500メートル先に味方の久良岐勢1000が現れました。

この機を逃さず、楢島正臣が局面打開の指示を出しました。


柏尾川の対岸に布陣している敵の大庭(おおば)勢1000に対して左翼の平山勢2000と援軍の久良岐勢1000に大庭勢攻撃を命じ、北条軍に傾いた流れを変える攻勢を選択しました。


やがて指示を受けた平山勢が先に動きました。

柏尾川に広く扇のように展開して大庭勢の待ち構える正面から一気に包み込みを計りました。


大庭勢は包まれぬように弓を放ち抵抗します。柏尾川の流れに沿い南へ逃れます。

連動して背後に控えた北条綱成勢が平山勢の正面から挑みました。



南に逃れようと動く大庭勢に久良岐勢が襲いかかりました。

久良岐勢が来援した事で北条軍優勢の流れが、双方互角の状態に持ち直し、暫く互角のまま膠着した時間が流れました。


やがて楢島勢は長尾勢と協力してようやく福島勢、和田勢を柏尾川近くに後退させました。

日が傾き、日没が近い時間になりました。楢島正臣に玉縄城外の敗報が届きました。


久良岐勢の留守部隊が北条氏堯勢の反撃に大敗、氏堯勢2500が戸塚に向かって進軍中との凶報です。


正臣は頭を抱え、悩みました。

素早く判断せねば北条氏堯の軍勢が到着します。

このままなら互角に戦う背後から攻撃される事になり、窮地に陥ります。


正臣は決断しました。

平山勢と久良岐勢へ日没前に陣地に戻るように求めました。


しかし、柏尾川対岸に渡った平山勢は北条綱成と激闘中です。久良岐勢も対岸に渡り大庭勢と激戦中で、簡単には後退出来ません。

北条軍は北条綱成の指示でジリジリ後退して立花軍を分断するのが目的です。平山勢も久良岐勢も優勢に戦ってるのに後退の指示に戸惑いました。


北条綱成の考えは日没するまで平山勢、久良岐勢を引き付け、日没を恐れて後退する時を狙っています。


この頃、ようやく玉縄城外で勝利した北条氏堯からの伝令が勝利を伝えました。

北条氏堯が軍勢を率いて戸塚の陣地へ向かっている

事も伝わりました。


「氏堯様!良かった!良かった!

全軍に伝えよ!

使番!氏堯様が玉縄城外で立花軍を撃破して戸塚に進軍中だと振れて参れ!」

伝令が周囲に走り、忽ち北条軍の士気が上がりました。


さらに時間が経過、ついに日没の時を迎え、丹沢の山に太陽が沈みました。

まだ、空は陰りながらも少しずつ明かりを落とし始めます。


平山勢も久良岐勢も後退を始めます。退却戦の訓練は十分に重ねています。背をむけず、半身で後退します。弓部隊が殿(しんがり)の主役になります。

弓矢で追撃する敵と距離を保ち、後退します。弓部隊を長槍部隊が守りながら後退します。


「今だぁー!突撃だぁ!全滅させろー!」

北条綱成が叫びました。


「うぉー!わぁー!」

「突撃だぁー!!」

叫びをあげて北条綱成勢、大庭勢が襲いかかりました。


戦場では退却する側が圧倒的に不利になります。

隊列を保ち、柏尾川を必死に渡る平山勢、久良岐勢は対岸に渡り終えると隊列を固め直して退却する味方を支援しました。

弓を放ち、長槍部隊を並べて威嚇します。

北条軍は柏尾川まで追い詰めた立花軍の兵士達を狙いました。


やがて完全に日が落ちて闇夜が篝火に照らされます。

日没に助けられ、かろうじて平山勢、久良岐勢は危機を脱しました。


北条綱成が声をあげて叫びます。

「勝ったぞぉー!」

「北条軍の勝利だぁー!」

「勝鬨をあげるぞぉー!」

「エイエイ!おぉー!

エイエイ!おぉー!

エイエイ!おぉー!

エイエイ!おぉー!」


戦場の北条軍の兵士達が各所で勝鬨をあげて喜び、勝鬨の声が暫く続きました。


──立花軍、楢島正臣本陣──


楢島正臣は帰陣すると久良岐康成に玉縄城外の敗報を伝えました。

久良岐康成は衝撃を受けました。

まさか、玉縄城から反撃を受けるなど、信じられない事でしたが、北条綱成が援軍を派遣した事を伝えると自分の落ち度を悟り、肩を落としました。


北条氏堯勢2500が玉縄城から自分が通った道筋を進軍してると聞かされ、自分が壁になりたいと申し出ました。


正臣は久良岐康成に平山勢の南に陣地を張り、陣地の先の街道筋に放火して北条軍の北上を妨げる事を命じました。


この時、北条氏堯勢は久良岐勢の近くまで来ていました。

街道筋の火を見て北へ進むのを諦め、柏尾川沿いに進路を変更する事になりました。


急ぎ駆けつけた北条氏堯勢は十分な篝火がありません。危険を回避して柏尾川対岸の北条綱成の軍勢と合流を優先しました。


戸塚の戦いの結果


立花軍

死者500

負傷500

損耗率14%


北条軍

死者300

負傷500

損耗率11%


地形的不利を覆して北条軍が優勢でした。

北条綱成の指揮が優れていた事がわかります。

北条軍には氏堯勢2500が加わり、明日にはさらに北条軍に有利な状況になりそうです。


同日、3月26日正午過ぎ、相原城、小松城を経由した三田綱秀、大石盛将、新納忠義の軍勢7000が津久井城を攻撃しました。


城兵わずか200は抵抗空しく降伏、津久井城は陥落、津久井は小松城の愛甲隆時に預け、厚木街道を南下、日没前に中津に布陣しました。


中津から北条氏康の本陣、座間城まで7キロの距離です。中津に布陣する立花軍7000は周囲に目立つ様に篝火を多数掲げ、祝詞、君が代斉唱、応援歌の儀式を行い、座間城に背後から圧力を与えました。



──座間城、北条氏康本陣──

北条氏康、北条幻庵


この日の本陣に知らされた報告は津久井城の陥落、玉縄城外の敗戦でした。

さらに悪い知らせが入りました。

津久井城を攻略した立花軍7000が座間城の西、中津に布陣した事に衝撃を受けました。


「氏康!不味いぞ!」


氏康も幻庵も頭を抱えました。






3月26日は慌ただしい1日でした。

玉縄城外で午前、午後の戦いで勝者が敗者が変わり、津久井城が陥落、戸塚の戦いは北条軍優勢と、立花軍2勝、北条軍2勝となりました。


中津に布陣した立花軍7000が重要な鍵になりそうです。

明日からの戦いが熱くなりそうです。

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