1544年(天文13年)3月21日 、相模の国、相原城から淵野辺周辺に新たな動きが!北条氏康はどーする?さらなる試練が待ち受けています!
立花家の忍び封じのキャバクラ作戦が効果を表しました。北条軍に2日遅れの情報が届きました。
情報の遅れは戦場での判断を難しくします。
北条氏康は深見城を囲まれ、救援に向かいますが、救援先鋒軍が囲まれて敗退しました。
深見城は無事でしたが、立花軍に先手を決められペースを握られています。
挽回の手を打てるでしょうか?
東伏見城を巡る戦いは扇谷上杉軍が石神井城の南側に主力を移動しました。
戦場は石神井城の、南側に移りそうです。
1544年(天文13年)3月21日、滝山城の戦いが終結した事で、滝山城に配備されていた兵力が淵野辺方面に展開出来るようになりました。
史実では名将と称えられた北条氏康にさらなる試練となりそうな気配がしています。
―小山田城―
―小山田信盛、小山田隆信(嫡男)―
午前8時頃、出発準備を整えた兵士1000が城下の広場に整列しています。
「隆信!北条氏康の軍勢が淵野辺の陣地をほぼ空にして深見城の救援に向かったぞ!
敵の救援軍先鋒の北条幻庵の3000は我が軍の
楢島勢6000に囲まれ撃破されたと知らせが入った!これより手薄な敵の淵野辺陣地を占領する!」
「はい!父上!その役目を私に任せて下さい!」
「良し!敵陣は100程度の兵力しかおらん!
隆信!兵力1000を授ける!
蹴散らして参れ!」
「はい!畏まりました!父上、行って参ります!
皆の者、いざ参るぞ!」
「おぉー!」
気合いが入った兵士達が出陣しました。
小山田隆信の軍勢の行き先、淵野辺の北条軍陣地は既に空でした。
守備していた敵わぬと察して逃走していました。
淵野辺陣地を確保した小山田隆信の軍勢は閧の声
をあげました。
「エイエイおぉー!
エイエイおぉー!
エイエイおぉー!」
淵野辺陣地を確保した事を周囲に誇示しました。
小山田信盛が3000の兵士と陣地構築の資材を搬入します。
北条氏康軍は南東に移動した為、南東に向けた陣地に替える必要があり、作業を開始しました。
小山田城から2キロの地点に4000の軍勢が北条氏康に対抗します。
北条氏康軍10000は12キロ南東の深見城付近にあり、東に6キロ、長津田城付近に居る楢島勢6000と対峙しています。
北条氏康は二つの離れた場所に同数の10000に挟まれる形になり、難しい状況になりました。
―北条家、小松城(津久井)―
―北条綱成勢3000―
立花領の相原城と直線1キロ、滝山城攻防戦中の立花家に圧力を掛ける役目でしたが、滝山城の戦いが終結した為、立花軍が攻勢に出て来る時が来ました。
片倉城の宿老、瀬沼寿勝の5000に滝山城から立花頼将の2000が合流しました。
午前9時頃、7000の軍勢が小松城付近に布陣する北条綱成勢3000の軍勢に攻撃を開始しました。
北条綱成の軍勢は小松城の東側の平坦な場所に陣地を配置していました。
相原城を攻めるつもりでしたから、攻撃を受けるとは考えておらず、防御力に課題が有りました。
攻撃用陣地は出撃しやすくする為、間口が広く空いています。柵の間隔が広く、守るには不利になります。
立花軍は弓矢の連射で離れた場所から攻撃します。防御体制が整わない北条綱成勢は少数ずつ孤立しました。立花軍は集団で少数を叩きます。
徹底した集団戦を教育されています。
小松城周辺の陣地全体に立花軍の集団と北条軍の少数部隊の戦いになりました。
―小松城―北条綱成本陣―
―北条綱成、側近―
「しまった!氏康兄貴と相原城を攻めるつもりで、守りを軽く見ていた!
立花軍はどーなってるんだ?
滝山城の戦いの最中だろ?
なんでこんな大軍を使えるんだ?」
「殿!風魔達から知らせはありません!
見張りが気付いた時には敵が近くまで来ておりました!滝山城で戦ってるはずなのに何故だかわかりませぬ!」
「淵野辺陣地の氏康兄貴からも何も連絡が無いぞ!
何故だ?」
北条綱成軍の周辺は立花家の情報封鎖、キャバクラ作戦が、見事に嵌まりました。風魔の強者忍者も網を破れず、立花家の網に掛かり、風魔忍者が接待攻めに遭遇して足止めされていました。
その為、滝山城の戦いが終結した事を知りません。
しかも、北条氏康が深見城付近に移動した事すら知りませんでした。
北条氏康は深見城を包囲された事で驚きの余り、小松城の綱成に知らせる事を忘れていました。
孤立した事を知らぬ北条綱成の軍勢3000に危機が迫りました。
「風魔達は何してたんだ!
立花軍の大軍が来るなんて?
聞いてないぞぉー!」
混乱する北条綱成勢の様子に相原城から愛甲隆時の300が戦いに加わりました。
隆時は太鼓と応援団を引き連れました。
ダダダン!ニッポン!
ダダダン!ニッポン!
おぉーぉー!にぃーぃーっぽぉーん!
にぃーぃーっぽぉーん!
にぃーぃーっぽぉーん!
にぃーぃーっぽぉーん!
ヘイヘイヘイヘイ!
おぉーぉー!にぃーぃーっぽぉーん!
にぃーぃーっぽぉーん!
にぃーぃーっぽぉーん!
にぃーぃーっぽぉーん!
ヘイヘイヘイヘイ!
ダダダン!たちばな!
ダダダン!たちばな!
奮えぇー!奮えぇー!
た、ち、ば、な!
奮えぇー!奮えぇー!たちばな!
奮えぇー!奮えぇー!たちばな!
太鼓と応援団の声援が響きます。
勇気倍増の立花軍が北条軍を追い立てました。
2時間ほどの戦いで勝敗が決まりました。
「駄目だ!悔しいが、撤退だ!
全軍に知らせろ!
小松城の南に退避!
慌てず集団で纏まって退避せよ!
退避したら反撃するぞ!」
不利な状況でも北条綱成は冷静に対処します。
「ここから一番近い津久井城に撤退するぞ!」
と叫ぶと、散り散りに敗走する可能性があります。陣地の南に退避!と近い距離に退避する指示で軍勢の崩壊を未然に防ぐ効果が有りました。
やがて小松城の南に退避した味方の兵士達に次の指示を示します。
「津久井城で反撃するぞぉー!ついて参れ!」
冷静に兵士達を導き、大将が諦めてない事を示して崩壊を防ぎました。
北条綱成は整然と隊列を保ち津久井城へ撤退しました。
小松城は立花軍が攻略、相原城主、愛甲隆時に預けられました。
北条綱成勢
死者300、負傷者450、捕虜100名
損耗率25%
立花軍
死者20、負傷者50、
損耗率1%
立花軍の圧勝でした。
北条綱成は最前線から離れる事になります。
津久井城からでは北条氏康と連携出来なくなりました。
午前9時頃に始まった小松城の戦いは午前中に終結しました。
宿老、瀬沼寿勝は小松城を愛甲隆時の300の兵士に加えて1000の兵力を預け、小松城の守りを任せました。
瀬沼寿勝勢4000と立花頼将勢2000、合計6000は淵野辺方面に移動しました。
夕方4時頃までに6000の軍勢は淵野辺の隣、矢部一帯に布陣しました。北条氏康軍が去る前に使った陣地の跡です。
隣の小山田勢と合わせて10000の大軍が矢部、淵野辺に現れました。
―東伏見城、立花義弘―
午後2時頃
「殿!滝山方面から畠山義國殿の軍勢2000が到着しました!
こちらから南東半里(2キロ)に布陣しました!
明日には滝山方面から6000の軍勢が到着すると伝令が参りました!」
「良し!頼もしい限りじゃ!
明日か?明後日あたり父上も府中から軍勢を率いて参るらしいからな!明日以降が楽しみだな!」
―石神井城―
―扇谷上杉朝定、長尾信忠―
「殿!東伏見城の南東に立花軍の軍勢2000が到着しました。」
「かなり近いなぁ。
東伏見城辺りの立花軍が8000、
練馬城の南東半里に吉良勢2000が布陣してるらしいじゃないか?…
ちょっと立花軍の数が多いじゃないか?」
上杉朝定が呟きます。
「府中城から立花義秀の軍勢が来てないのは相模の国から攻め上がる北条氏康殿の軍勢に苦戦してるからじゃないのか?
北条家から連絡はまだ来ないのか?」
「未だ、連絡はありません。
相模と武蔵の国境、町田方面が苦戦中なのではないかと思われます。
立花家の軍勢が多いのは随分無理してると思われます。
品川湊などからの交易で莫大な利益があるらしいですが、無理に集めた兵士なら役に立たない兵士も混ざりますから、数多く見せるには役立ちますが、戦場で使い物になるかは疑問です。
明日の未明に夜襲を仕掛けるのも良いかもしれません!」
「良し!やろうじゃないか?
全軍で仕掛けるか?」
「まず、遊軍の広沢勢の2000にやらせましょう。
先ほど着陣した畠山勢がこちらに不慣れですから標的に宜しいかと思われます。
さらに隣の伊集院勢も難波田憲重の2000に任せ、北側に布陣する本多勢を上田朝直の2000にやらせましょう!
上手く蹴散らしたら全軍で東伏見城を攻撃して一気に落とします!」
「良し!楽しみだな!
東伏見城を手に入れた先迄考えなきゃならんなぁ?」
上杉朝定は楽観的な甘い考え方をしていました。
―府中城―
―立花義秀、鹿島政家―
夜20時頃、地図を広げながら全軍の配置を確認する二人…
「殿!小松城の戦いで瀬沼寿勝と立花頼将殿の7000が北条綱成の3000を破り、津久井城に追いやりました。
相原城主の愛甲隆時に1000を預け小松城を確保しました!」
「良し!先が開けたぞ!」
「瀬沼達6000は夕刻までに矢部に布陣しました。淵野辺の小山田勢と合わせて10000が深見城辺りに布陣する北条氏康軍10000と対峙しました!」
「成瀬城に山口頼継の3000
長津田城付近に楢島勢6000
明日辺りに義國様(次期当主)の軍勢6000が町田方面から北条氏康軍との決戦に向かうでしょう」
「ぶははは!楽しみじゃないか?
義國には将広(義秀の弟)が側に居るから安心だ!
滝山城から八王子の何処を経由して町田から、相模方面の北条氏康の軍勢に近づくか?
矢部と淵野辺の軍勢を南下させて、磯部城や、座間城付近に配置すれば北条軍は相模川を渡り、小田原に帰る退路を遮断される不安と包囲される不安になるだろう?…
小野路城経由で深見へ向かうか?
成瀬城付近から深見へ向かうか?
いずれにせよ、北条氏康を翻弄するだろうから楽しみだぞ!」
―深見城付近―
―北条氏康、北条幻庵―
午前中、淵野辺陣地から逃れた兵士から小山田勢4000が陣地を奪った事を知りました。
後詰めの軍勢が来る見込みがあるからこそ可能な行動です。
「氏康!立花軍は深見城へ我らを引き寄せたとしたら?座間城と磯部城が危ない!」
「はい!叔父上!
磯部城はここから2里強(9キロ)です。松田勢1000を先行させます。深見城は大草勢1000に守らせます。残る我ら8000は座間城に移動しましょう!」
北条氏康の軍勢8000は座間城付近に布陣しました。夜20時頃、立花軍6000が矢部に布陣した事を知りました。
隣の淵野辺に小山田勢4000と合わせて10000になります。
長津田城に楢島勢6000
成瀬城に山口勢3000
合計9000
立花軍総勢19000
北条氏康軍総勢10000
敵方は総大将らしき人物が来ていません。
「氏康、立花軍には総大将らしい人物が見当たらぬ様だぞ…て事は…さらに軍勢が到着するのか?」
「叔父上、敵陣を詳しく探りましょう!」
北条氏康、北条幻庵の二人は立花軍に追加の軍勢が来るならば深見城周辺で包囲される危険がありました。南の座間城に退避して戦う事も考慮しながら、情報を集める事になりました。
東伏見城を巡る戦いは扇谷上杉軍が先に動きそうです。
相模の戦いは楢島勢が北条軍を淵野辺陣地から深見城に引き寄せました。
小松城が落城、北条綱成勢が津久井城に敗走しました。
淵野辺陣地が立花軍に確保され、立花軍優勢となりました。
史実では名将と呼ばれた北条氏康の試練が続きます。
氏康の運命は?




