1544年(天文13年)3月19日、午前中から午後の流れ、東伏見城と淵野辺辺りが熱くなるか?扇谷上杉家と北条氏康の戦いに注目!
今朝、憧れの作家、二日市とふろう先生の大傑作、「修羅の国九州ブラック戦国大名一門にチート転生したけど周りが詰み過ぎて史実通りに討ち死にすらできないかもしれない」
の最終回が投稿されました。
数年待ち続けたファンの皆さんと感激を味わいました。
私の中で小説を読もうの作品中断トツのナンバーワン作品です。
九州戦国大名、大友家に転生した主人公が大活躍する異色作品です。
今までに無い視点から戦国時代を描いています。
是非お勧めの作品です。
さて、東伏見城辺りが戦いに入ります。
立花家、扇谷上杉家、吉良家の領地境です。
吉良家の本拠地、世田谷城から東伏見城まで直線6キロ、扇谷上杉家の練馬城まで直線12キロです。
わずか数時間で戦場に参加出来る距離にあります。真っ直ぐな道でありませんから、プラス2、3キロ程足した数字が当てはまりそうです。
府中城から東伏見城が直線15キロ、府中城から北条氏康の本陣の淵野辺まで直線15キロです。
普通に時速4キロなら4時間で到着する距離です。余分にみても5時間で到着出来る距離に戦場があります。
戦国時代、甲冑の重さが20キロ?なんて言われてます。それで15キロの距離歩ける?
昔の人は偉かったんですね。
1544年(天文13年)3月19日、午前中から東伏見城、淵野辺周辺にて戦いが始まります。
手探り状態から本格的戦闘に至るでしょうか?
最初の接触で相手の士気の高さが計れます。
互いの斥候部隊、先鋒部隊の士気が肝心です。
■石神井城本丸、扇谷上杉朝定、長尾信忠
信忠!東伏見城の敵は朝から元気だな?
久我山城からも聞こえるじゃないか?
太鼓叩いてなんだか応援歌歌うんだな?
平林寺城と同じく元気な奴らだ。
はい、朝から気合いを入れてるようです。
この石神井城から東伏見城、久我山城ともに半里(2キロ)ですから、あの声の様子や軍旗の様子から士気が高いと思われます。
だよな?平林寺城の奴らも士気が高い奴らだった。
それにしても、東伏見城の奥の方も久我山城の奥の方にも援軍らしき影も見えず、久我山城の先が世田谷の吉良家の領地なんだろ?
援軍が来るとしたら吉良の奴らが早く来そうだな?
はい、久我山城の先、半里弱(1キロ)に烏山城があります。小さな城ですから援軍は大した事ありません。
しかし、久我山城から1里弱(3キロ)に世田谷城があります。
吉良家が援軍を出すとしたら久我山城か?
我が軍勢の背後を守る練馬城を攻める可能性があります。その守りに曽我和正の1000名に守らせております。
東伏見城は東が深い堀?
南は湿地帯なんだな?
はい、攻め口は北と西になります。
西の攻め口を上田朝直の2000名
北の攻め口を難波田憲重の2000名
遊軍に広沢政弘の2000名
本陣に3000名を残しています。
手探りで相手の様子を見ながら城の近くに進出します。間も無く戦う声や音が聞こえると思われます。
そうか、信忠!ワクワクするぞ!
滝山城の戦いの様子はどーなんだ?
はい、高月城、滝山城、拝島城の広い範囲で激戦だと報告が参りましたが、続報がまだ届いておりませぬ。
■滝山城から石神井城まで直線約25キロ、立花領内を上杉軍の忍びが情報を伝える為に急ぎますが、立花軍にバレずに移動するのは至難の技です。立花軍も敵方に正確な情報を与えたくありません。
当然ながら、各地の街道筋、脇道、間道に検問所を配置しています。通過するにはラーメン、焼きそば、チャーハン、焼き肉、お好み焼きなどを無理矢理食べなきゃ通しません。さらに酒まで呑ませました。別嬪お姉様達の接待付きですから、ついつい長居してしまいます。
満腹で酒呑ませたら鍛え上げた忍びでも動けなくなります。
こうして扇谷上杉軍の情報把握が大幅に遅れました。
■数日前の府中城、立花義秀、鹿島政家
地図を見ながら思索中でした。
二人を警護する兵士達の前に松千代と美人侍女四名、松千代は胸元の谷間を強調した衣装の侍女に抱っこされて登場、背中がセクシーに見える衣装です。
お爺ぃーはどこぉー?
目がハートの警護の兵士達が即、案内します。
松千代と美人侍女は特別扱いです。
侍女達に見とれる兵士達、残り香に酔いしれます。
お爺ぃー!きたよー!
作戦あるよぉー!
義秀の胸に飛び込む松千代、視線は侍女の胸元に集中する義秀と政家(笑)
なんだな?松千代?侍女達の衣装が胸元凄いじゃないか?
でしょー!作戦だからねー!
なんだそりゃ?
笑いながら侍女達の胸元、背中に熱い視線の二人でした。(笑)
あのねー。敵のニンジャねー。見たこと聞いたこと、お殿様に知らせるでしょー!
だからー。関所とかー、検問所とかーたくさん作るでしょー!
伽爆楽食堂で無料で食べるー!
お酒あげるー!食べさせてあげるー!
綺麗なおねぇーちゃんがぁー!あーん!してあげるー!それ楽しーでしょー!
仕事わすれるー!でしょー!
きゃははははー!(笑)
ダァー!それだぁー!
松千代ぉー!
キャバクラ作戦ダァー!それだぁー!
凄いぞ、だはははは!
政家!松千代がなぁ、敵の忍び、密偵封じに検問所、関所を作る!って作戦なんだがなー!
街道筋から脇道、間道を通りたい奴らに無料で旨い物振る舞うんじゃ!
しかもなぁ、この美人侍女達の衣装で接待するんだゾー!酒も無料で呑ませる!エロい姿の美女に接待させるんじゃ!
あーん!してあげたりする!
敵の情報把握を停滞させる!
政家も即、理解しました。(笑)
だはははは!凄い作戦ですな?
早速、商務奉行の相澤、富澤、田村達にやってもらいましょう。
さらに、各地の有力者に協力を頼みましょう。
鈴木、大澤、村越、平井、大久保、鴨下、当麻、渡邉、など、大地主や大商人、色街の店にも頼みましょう。
■そんな背景がありましたから、東伏見城を攻める扇谷上杉軍の情報把握が大幅に遅れました。
■淵野辺、北条氏康本陣
北条氏康、北条幻庵
叔父上、探りを入れて見ましょう。
長津田城付近に富永勢1000名
成瀬城付近に笠原勢1000名
長津田、成瀬の中間に、大草勢1000名
小野路城付近に南条勢1000名、
小山田城付近に布施勢1000名
氏康…くれぐれも、深入り禁止、探るだけ、敵の反応を確かめるだけだ!
北条軍は斥候の情報だけでなく、立花軍の兵数や士気を確認すべく、前線に軍勢を派遣しました。
■3月19日、東伏見城西側
午前中
扇谷上杉軍、上田勢2000名が西側に展開、ゆっくり城に近づきます。城から500メートル付近、城兵の陣地、稲荷神社陣地にて、両軍が戦闘状態になりました。
神社の小高い丘を中心に300名が守りを固めています。背後に石神井川が流れ、急峻な崖になっています。攻め口は北側と、東側の二つだけでした。その神社の右側200メートル先に砦があり、挟み撃ちになります。
神社の西側に水を張り巡らした田んぼがあり、こちらから攻めるのは無理でした。
神社前は住宅地の細い道と畑、大軍の密集が出来ず、少数の部隊が下から上に駆け上がる形になります。
高所から弓矢の連射を浴びます。時に長槍部隊が現れ、頭や肩を狙い叩きます。突き崩されます。
西に廻ると200メートル先の砦から騎馬隊が現れ、弓矢の連射、長槍に追われます。さらに歩兵の弓矢、長槍部隊が援護します。
稲荷神社周辺に上杉軍が右往左往、攻めあぐねました。稲荷神社陣地を支える砦が四番砦と呼ばれています。右に200メートル先に三番砦、さらに200メートル先に二番砦、また右に200メートル先に一番砦があります。砦の周りに空堀が作られて、攻め口が限られてしまいます。
全て連携が取りやすい地形に築かれて簡単に攻略できません。
東伏見城の北側に難波田勢2000名が現れました。彼らが一番砦、二番砦、三番砦と攻めかかります。連携した砦に下から攻め上がる形になります。砦から弓矢の連射を喰らい、混乱してるところに城兵が繰り出します。
騎馬兵の弓矢の連射、騎馬兵の長槍に叩かれ、突っ込まれ混乱したところに歩兵部隊が現れます。半数は弓、半数は長槍です。
長槍に、頭や肩を叩かれ多数の負傷者が出ました。
扇谷上杉軍は疲れた部隊を交替させながら攻撃しますが、攻めきれず、正午あたりに引き上げ、2キロ離れた陣地に戻りました。
撤退する上杉軍の背後から歓声が上がりました。
ダダダン!ニッポン!
ダダダン!ニッポン!
おぉーおー!にぃーぃーっぽーん!
にぃーぃーっぽーん!
にぃーぃーっぽーん!
にぃーぃーっぽーん!
ヘイヘイヘイヘイ!
ダダダン!たちばな!
ダダダン!たちばな!
エイエイおぉーおー!
エイエイおぉーおー!
エイエイおぉーおー!
東伏見城から勝鬨が上がりました。
■扇谷上杉朝定本陣
信忠!上田勢も難波田勢も負けたのか!?
もう、帰って来たじゃないか?
殿!まだ始まったばかりです。
上田勢も難波田勢も攻め口の地形や敵の様子を探りました。
午後からは対策を練り直して攻めるでしょう。
上田勢と難波田勢の指揮官達は東伏見城の守備の固さを体験しました。
稲荷神社陣地と四つの砦の連携を崩さないと無理だと判断しました。
午後2時過ぎ上田勢2000名が西側、稲荷神社、四番砦を攻撃します。
難波田勢2000名が一番砦、二番砦を攻撃します。
今回は弓矢の連射を避ける為、盾を先頭に慎重に接近しました。
密集隊形で、焦らず、走らず、上田勢は稲荷神社からわずかに離れて1000名で囲みます。
200メートル離れた四番砦を残る1000名で囲みました。
四番砦の南が石神井川と堀に阻まれ、攻め口の東は三番砦と城内から援護の部隊が来ます。
対策として、400名に防御体勢を取らせました。
残る600名が北側と西側から攻撃
します。
難波田勢2000名は二番砦を1000名で囲みました。残る1000名が一番砦の北と西側から攻撃します。東は堀と田んぼに水が張られて侵入出来ません。
上田勢も、難波田勢も焦らずじっくり攻撃しました。
盾を先頭に弓矢の連射を避けました。午前中の失敗から学び、探りながらの攻撃です。弓部隊、長槍部隊を交互に繰り出し、二時間が経過します。
やがて夕暮れが迫る四時過ぎには撤収にかかりました。
午後の二時間の戦いは明日以降の戦いを考えています。
上田朝直、難波田憲重の二人の考えは東伏見城に立花家の主力軍を迎えた主力軍同士の決戦でした。
本気で城攻めする気はありません。
宿老、長尾信忠からも、主力同士の決戦の為、手加減せよ!と指示がありました。
午前中の戦いで、意外にも熱くなってしまい、死傷者が予想より多数出てしまった反省から、午後の攻撃は冷静に実施する事が出来ました。
■扇谷上杉軍本陣
上杉朝定、長尾信忠
殿!忍びから知らせが届きました。
昨日、3月18日昼過ぎに滝山城周辺の戦いが終結しました!
山内上杉憲政殿が敵の総大将、大石盛将と一騎討ちに破れました!
山内上杉軍の負けでござる!
憲政殿は負傷してますが、無事らしいと判明しました!
なんだとー!?
負けたのか!?
兄上は楽勝だと申されてたぞぉー!
詳細は不明ですが、滝山城周辺の戦いは終結した様子です。
停戦!和議になった!と戦場一帯に伝えられたと報告が参りました。
明日にはまた新しい知らせが参りましょう。
立花家の主力軍がこちらに来るのは間違いありません。
主力軍同士の決戦に備えましょう。
わかった!
しかし、楽勝のはずが何で負けたんだ?
それにしても、随分知らせに時間がかかるんだな?
殿!ここは敵地にてままならぬ事もあります。
忍びも懸命に働いております。
どうか配慮をお願い致します。
わかった!敵地故、仕方なし!
んん?
上田と難波田が来たのか?
敵の様子は?
上田朝直が答える
はい、東伏見城の立花義弘は当主の次男です。なかなか落ち着いた指揮官のようです。
城の防備はかなり厳しく出来ています。簡単には落とせぬ堅城です。
わかった、兵力を損なわず、立花軍主力が現れるのを待ち構えるぞ!
信忠!陣立てを任せる!
頼んだぞ!
はい!お任せ下さい。
長尾信忠が答えると、朝定はその場を離れました。
信忠は上田、難波田から細かな報告を受けて立花軍の戦い方を探りました。
立花軍の守り方は弓矢が中心です。
砦の高所から弓矢の連射、騎馬隊も弓矢の連射が得意でした。騎馬隊の半数は弓矢、半数は長槍で連携してきました。その後から歩兵の弓、長槍部隊が援護してきました。
主力同士の野戦でも同じ戦い方が予想されます。
石神井、練馬の領内から盾をかき集め、急遽大量の盾の作成に取りかかりました。すでに3月19日夜となりました。
立花軍主力が現れるまでに大量の盾が間に合うのか?
やってみるしかありませんでした。
■淵野辺、北条氏康本陣
北条氏康、北条幻庵
叔父上、小山田城の小山田信盛が東西に広がる町田街道を抑えています。要所に砦や柵を配置して西の三目山城、東の小野路城の守りは堅いようです。
小野路城と成瀬城の間が1里強(6キロ)あります。
街道筋を上がるとやがて小野路城か鶴川城の前に出てしまいます。鶴川城の東に避けても王禅寺城(川崎市麻生区の高級住宅街)に阻まれます。挟撃され、退路を断たれる地形です。
成瀬城と長津田城の間を抜けたとしても街道筋が王禅寺城、鶴川城、小野路城に通じる道しかありませんでした。
お手上げです。
しかし、可能性があるとしたら風魔が調べて来ましたが、三目山城(多摩境駅西1キロ地点)と相原城の間に二つ大軍が通過出来る道があり、八王子の椚田方面に抜けられると知らせがありました。
ほぉ、八王子かぁ、
氏康!
確か昔、関東争乱の頃、山内上杉家か?扇谷上杉家だったかの古戦場だったはず、、椚田に城があったはずだが?
風魔によると、検問所があり、余り近づけなかったらしいが、神社と屋敷があるが、城は無かったようです。
可能性があるとしたら、こちらがよいかも?
小山田、小野路、成瀬、長津田、全て街道筋が抑えられています。
叔父上!椚田方面なら真っ直ぐ上がれば八王子の街を目指せます。
意外な盲点を見つけました!
それなら!滝山城を攻める山内上杉軍と連携出来ます!
陣形を変更して、相原付近に居る
綱成勢3000名と連携して八王子を目指しましょう!
氏康!早まらず、自重した方が良いかも知れぬ、まだ滝山城の動きが掴めてないであろう。
扇谷上杉朝定と提携出来たのだから、東伏見城も本日あたり戦いが始まったであろう。
はい!叔父上、わかりました。
準備だけはいたしましょう!
■あらら?冷静なはずの北条氏康が少し焦ってる?
やはり、松千代が提案したキャバクラ作戦が扇谷上杉軍と北条家、風魔の忍びさえ、動きを妨げられ、情報が遅れてるみたいです。
東伏見城が戦場になりました。
なかなか攻め辛い城のようです。
立花軍主力はまだ動きを見せません。
冷静に三田軍が背後を脅かすのを待っています。
北条氏康が冷静なはずなのに、八王子方面に可能性を見つけると、滝山城の山内上杉軍と連携出来るかも?
なんて、欲が出てしまいました。
まだ29歳、北条家の家督を継いで三年です。
史実と違い、北条家の領土は半分以下、今川家と度々戦い実績を少しばかりあげ始めたばかり、まだ焦りがあるかもしれません。
松千代のキャバクラ作戦が立花義秀、鹿島政家の手腕で扇谷上杉軍、北条軍の情報封じに繋がりました。
さて、これからの展開は?
ワクワクしてきました。
北条幻庵の語っていた椚田城ですが、JR高尾駅から南に700メートル、初沢山の山頂に築かれた初沢城の事でした。椚田一族が築城したので、別名椚田城と呼ばれました。
立花家はこの城を砦に降格扱いにしました。
1つ南の山に湯殿山城を築城しています。
令和の時代に拓殖大学の高尾キャンパスとなっています。八王子の大学で最大の面積です。
ほぼ隣の位置に世界一の登山客が来訪する高尾山があります。




