1544年(天文13年)3月19日、早朝から東伏見城周辺が動き始めます。国境に熱い戦いが始まる?
3月18日、高月城と滝山城、拝島城の激戦が終わりました。
滝山城の本丸最上部から戦場全体を目の前に作戦を指示する立花将広が主導権を握り、山内上杉軍を壊滅寸前に導きました。
逃げ出すかと思われた上杉憲政が総大将同士の一騎討ちに持ち込み、大逆転手前までの大善戦になりました。
停戦となり、和議交渉を巧みに導く立花将広。
この戦場に山内上杉家、最強の名将長野業政が不在だった事が最大の幸運でした。
史実では二度、武田信玄に勝利する人物です。
山内上杉家の筆頭宿老の長尾一族に知謀を警戒され、当主憲政と度々諫言するも厭われ、実力を発揮する環境が整いません。
史実通り、長野業政と上杉憲政は決別に向かうのでしょうか?
さて、戦場は東伏見城に迫る扇谷上杉朝定、淵野辺周辺に布陣した北条氏康との攻防戦に移ります。
北条氏康は当主になって三年目の29歳、立花家と初めての戦いです。
北条家3代目として威厳を示す必要があります。
史実通りの名将となるでしょうか?
東伏見城と淵野辺の北条家陣地は約20キロ離れています。
これからの動きに注目です。
1544年(天文13年)3月19日、早朝の東伏見城は朝の儀式から始まります。
祝詞、君が代斉唱、応援歌が響きます。
おーぉー!にぃーぃーっぽぉーぉーぉーん!
にぃーぃーっぽーん!にぃーぃーっぽーん!
にぃーぃーっぽーん!
へいへいへい!
ダダダン!ニッポン!
ダダダン!ニッポン!
これで気合いが入ります。
―東伏見城、城主、立花義弘(当主義秀の次男)―
扇谷上杉朝定の軍勢が平林寺城から西へ向かう想定をしていました。
背後を脅かす奇襲を想定していましたが、意外にも東に廻り、練馬城を経由して2キロ先の石神井城付近に着陣しました。
補給確保の為、練馬城に曽我勢1000名を配置しています。
練馬城と南西にある立花家の久我山城まで4キロの距離にあり、牽制の役目も果たす事になります。
立花義弘は東伏見城から南西3キロの久我山城に東郷信久、藤原家長を配置して1200名で守備を固めました。
東伏見城は彼の手勢2000名で守備に当たります。
東伏見城から府中城の立花義秀に扇谷上杉軍の動きが知らされました。それは前日3月18日の夜8時頃の事です。
―府中城、3月18日夜8時頃―
―立花義秀、鹿島政家―
二人は焼酎の熱燗を呑んでいました。
そこに使者から知らせが入りました。
「殿!東伏見城の立花義弘殿から知らせが参りました!平林寺城を囲んでいた扇谷上杉軍が東に廻り、練馬城、石神井城を固め、東伏見城周辺に着陣しました!」
立花義弘からの書状が義秀に渡されました。
「ふむふむ、滝山城の山内上杉憲政と合流せず、直接府中城を目指さず!意外にも東伏見城に来たか...
久我山城に東郷信久、藤原家長を配置、1200名を配置して守りを強化、久我山城の南1キロの吉良領、烏山城に連絡済とある!
政家!世田谷城の吉良頼貞殿に練馬城の後方、川越街道を制圧する振りをさせる!」
「ははっ!」
「これで、補給線と退路が脅かされた敵は浮き足立つであろう!
明日の朝で良い、午前中に使者が世田谷に到着後、支度して出陣まで1日掛かるだろう。
3月20日、または21日から川越街道に封鎖の動きがあれば充分だ!」
「はい!直ぐに手配致しましょう。
吉良家当主吉良頼貞殿は25歳、大きな戦いは初めてにございましょう。楽しみな若者でございます…」
「そうだ!北条家、山内上杉家、扇谷上杉家、古河公方足利家、合わせて200万石以上の大領主達の軍勢に囲まれ、6万以上の兵力と対峙しておる!
千名以上の軍団を指揮出来る武将が幾らでも必要だからな!機会を与えて育てなきゃならん!
滝山城の戦いで勝利したのも、多数の有能な指揮官が居たからだ!
我が弟、立花将広が滝山城の戦いを見事に仕切った!
加賀美利久、立花義國、立花頼将、大石盛将、彼らに貴重な経験を積ませて育てながら勝利した。
立花家に限らず、大石家、三田家、吉良家、江戸太田家、岩槻太田家、それぞれに有能な指揮官が必要となる!」
「はい!仰せの通りにございます」
「今回は東伏見城が戦場となった。
我が次男、立花義弘の居城だ。
経験を積ませながら勝たねばならん!
まず、前原城(小金井)の伊集院忠久の2000名を東伏見城の南に配置する!
「ははっ!」
「それから国分寺城の本多広孝の2000名を東伏見城の東に配置する!
政家!明朝、前原城、国分寺城に使いを出して配置に着くよう命じよ!」
「はい!手配致します!」
「さぁ、もう少し呑め!」
義秀が、政家に焼酎を熱燗を勧めました。
更に朗報が届きました。
滝山城から山内上杉軍に勝利した!との第一報が入いりました。
総大将同士の一騎討ちの末に大石盛将が勝利、上杉憲政を確保と、驚愕の決着が知らされました。
立花将広に停戦交渉が任された事が判明しました。
滝山城の山内上杉軍は総勢18000名、東伏見城の扇谷上杉軍は総勢12000名、相模、相原、淵野辺に布陣している北条軍が13000名
立花家は総勢43000名の大軍と対峙してる状態です。まだまだ、安心出来る状況にありません。
1つ間違えると形成が変化する不安があります。
扇谷上杉軍と、北条軍に打開策があれば逆転のチャンスがあります。
この日の夜、立花義秀と鹿島政家は滝山城の交渉成立後の兵力配置を考えていました。
東伏見城に配置する軍勢と北条氏康軍に対する配置について検討しました。
加賀美利久の2000名
新納忠義の2000名
佐伯勝長の2000名
畠山義國の2000名
合計8000名を東伏見城の戦いに配置する。
北条氏康対策
総大将、立花義國(義秀嫡男、次期当主)
副将、立花将広(義秀弟)
立花義國2000名
立花将広2000名
奥住利政2000名
立花頼政2000名
総勢8000名
片倉城の瀬沼寿勝に任せた5000名と合流させる!橋本周辺から北条綱成勢3000名と淵野辺辺りに布陣する北条氏康軍10000名に圧力を、与える!
小山田城の小山田勢4000名、成瀬城の山口勢3000名、長津田方面の楢島勢6000名を連携させる!
合計26000名で13000名の北条氏康に対抗する!
「作戦は副将の将広に任せれば良い!
明日の夕方までに停戦交渉が纏まったら滝山城から報告が来るだろう。
将兵の疲労が取れたら橋本周辺から進軍するよう手配せよ!」
「はい!報告が有り次第、手配致します!」
立花家の方針は緊急時に義秀と宿老筆頭鹿島政家の二人で即決します。幼馴染みの二人、幼少期から一緒に過ごして来た二人の呼吸は抜群です。
政家は滝山城の立花軍各部隊に将兵の疲労が取れ次第、次なる戦地に向かう想定で準備するよう、気を抜くな!と指令を出しました。
将兵の大半は帰宅出来ると思い込んでいます。
知らずに帰宅出来ない!転戦と知れば士気が下がります。しかし、事前に転戦する予定が示されたら準備がはかどります。
転戦準備の指令は大切な判断でした。
―3月19日早朝―
―淵野辺、北条氏康本陣―
―北条氏康と北条幻庵(氏康叔父40歳)―
北条氏康の本陣は立花家の小山田城から2キロ、小野路城から3キロの地点にあります。
早朝から立花家の軍勢の君が代斉唱、応援歌の太鼓が響きます。小山田城に始まり、小野路城からも聞こえて、山の上から風に乗って微かに聞こえます。
「元気な奴らだなぁ。
山の上に随分たくさんの軍旗があがってるじゃないか?立花家の推定石高は30万石として最大兵力が10000名動員可能か?品川湊が繁盛してるから12000名まであるかもわからん!
叔父上の想定は如何かな?」
「いや、もっと軍勢は多いかも知れぬぞ!
八王子の街が絹織物で栄え、酒蔵が多数存在する。
甲府、秩父、相模の物流の重要な役割があり、各地から富裕商人が集まり、飲食街が特に繁盛している。
特に八王子ラーメンが人気でなぁ。玉ねぎを小さく刻んで乗せる!
正統派醤油ラーメンが旨い!
旨すぎる!
酔いざましに食ったら最高!
あとはなぁ、都まんじゅう!
あれはなぁ!お店で作る作業を見せてくれるんじゃ!
最後に焼きコテ入れてなぁ。
当たり!を引いたらオマケに10個くれるんじゃ!
さらに八王子はなぁ、夜の繁華街、割烹旅館や芸妓の数は府中の街に次ぐほどである。
まぁ別嬪姉御がたくさん居てなぁ!
最高だったぞぉー!」
「えぇっ?」
叔父の体験談に驚きます。
氏康!日野の街は陶芸で栄え、名工が多数存在する。関東各地から富裕商人が
数日滞在して大量に買い付ける。関東一番の陶芸の街に発展した。
ここ、日野なら蕎麦が旨い!あちこちに蕎麦の名店があってなぁ。
天婦羅御膳、鴨南蛮、鮎蕎麦、
麦とろ蕎麦なんてすげぇー旨い!
蕎麦の街だなぁ!」
「はぁ、そぉですか?…」
「高幡の町はお不動様の信仰で関東各地から巡礼者が集まるから、飲食街や、旅館が繁盛しておる!
全国から評判の高い高僧が集まり、門前町として関東随一の街である。山の上まで住宅地になっているほどである。
ここの高幡蕎麦も旨いんだ!
お不動様の売店にある茶蕎麦がまた旨い!あれも癖になるんだよなぁ!
さらに高幡饅頭は最高だ!
あとはなぁ尼僧姿の別嬪さんがたくさん居てなぁ接待してくれる伽馬癖羅がよかったなぁ!
府中の街は今や関東で一番住民が多いだろう。大國魂神社が街の中心にあり、一年にたくさんのお祭りが行われ、特に5月には関東八幡神社の最高権威としての大祭が行われる。
数万人が来訪するんじゃが、そこで振る舞われる食事が凄い!
お好み焼き、焼きそば、焼きうどん、チャーハン、醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメン、豚骨ラーメン、ピザ、たこ焼、和牛ステーキ、豚の丸焼き、豚ステーキ、牛丼、豚丼、すき焼き、鰻重、鯰丼、茄子丼、天丼、豚カツ、カツ丼、
すっぽん鍋、セリ鍋、鴨鍋、あーぁー喰いてぇー!
あとはなぁ、街の豪商の店が凄い!
二階建ては当たり前、宿場町の大半が二階建てだ!
火災に強い染料が塗られ、街の至る所に用水路が流れ、火災に強い街だなぁ。
店にはなぁ。化粧道具が凄いぞ!
口紅から色がたくさんあるんじゃ!白い粉を筆に付けて肌に塗るんじゃ!
目の周りに黒い線を引く細い筆を使うとなぁ。凄い美人になるんじゃ!匂い袋なんぞ、小田原では見たことない程ええ匂いなんじゃなー。
府中にはなぁー。
別嬪さんが接待する店がたくさんあってなぁ。
行きたくてらたまらなくなるんじゃなー!」
「叔父上!なんですか?
敵なんですが、褒め過ぎ!
はまり過ぎでしょう?
だははは!潜入したら楽しくてはまったんですね?
だったら、真似してパクれば良いじゃないですか?
小田原に再現したら良いでしょう?」
「んん、確かにそうだな!
楽しくて再現したいぞ!
それにしても立花家はあれだけ栄えてるからヤバいぞ!奴らは20000名程の兵力を持っているかもしれんぞ?
だとしたら?立花家は滝山城、東伏見城、そして、この相模、淵野辺の3ヶ所にどれだけ兵力を出せるかだな?」
「叔父上!だとしたら、せいぜい7000名程?
1つ負けたら終わりですね。
しかし、物見の知らせによると配置された兵力が想定より多いようです。
長津田方面が4000名
小野路城から成瀬辺りが2000名
小山田城に3000名、
相原城から片倉城周辺に3000名
合計12000名になります!
仮に滝山城、東伏見城いずれの戦いに勝った軍勢が来たら今の兵力の2倍になります!
両方勝ったら3倍の兵力とすれば、立花家は30000名以上の兵力を保有しています!
品川湊、横浜湊、六浦湊の交易が我々の想定以上の財力になってるやも知れません。
根本から戦略を見直す必要があり得ます。
今回は、探りを入れて大怪我しないようにしましょう
ところで叔父上?
いつ頃立花領に潜入したんですか?」
「まぁな、最初は15年前かな?
2、3年に1度の間隔で1ヶ月程かなぁ…氏綱兄上に黙って潜入した時はかなり怒鳴られたなー!」
「それで、何度通いましたか?」
「10回位行ったかもなぁ?」
「叔父上ぇー!遊んでばかりで肝心の兵力とか財力を調べなかったんですかぁー!」
「だははは!すまん!
ここ最近の急速な発展みたいでなぁ、さらに最近は潜入が難しくなってなぁ。
俺にも把握出来ないすげぇー成長なんだよ!
数年前までは常備兵力6000名、最近までそんな変わるなんて、わからん!」
「叔父上!わかりました。
今回は無理せず、敵を知る事から始めましょう!」
北条氏康の動きが慎重になりました。
東伏見城の動きと、淵野辺辺りがどんな展開になるのか?
流れがわかりません。
さて、次回はどーなりますか?
ワクワクしてまーす。




