1546年(天文15年)11月上旬、松千代、野沢菜、白菜確保を目指す!?
東福寺に都の商人が集まり、土産物市場が開かれました。それは単なる買い物ではありません。
立花家の戦略がありました。
1546年(天文15年)11月上旬
11月6日、7日の2日間に東福寺に多数の商人が集まり、土産物市場が開かれました。
立花家、猿渡家、同盟大名家の3000名と、同行した商人達が上洛した記念に土産物を求めました。
京漬物、和菓子は購入して近日中に食する事を前提に飛ぶ様に売れました。
その他には清水焼、漆器、茶器、京扇子、告げ櫛、織物のがま口財布、巾着袋、大小の袋物、風呂敷、手拭い、西陣織、反物の端切れ、線香、お香、香炉、練り香水、匂袋、古着物、鮮やかなな髪飾り、簪、筆、墨、硯、京箪笥、京箸、都の各種商人や職人用の作業着、大工道具、馬具や陣羽織、農機具等、あらゆる商品が集まりました。
上洛した立花家と同盟大名家の評判が良い事から都の大商人が競って東福寺に集まり、中小の商人達にも声が掛けられて商売の機会が与えられました。
京風の品物は美意識が備わり、気品を感じられます。関東から上洛した者には雅な都の文化に接して購買意欲が高まり、2日の間に大半の商品が売り尽くされる程の大盛況に終わりました。
土産物とは別に立花家は松千代の発案で商人達から漬物、魚の干物、九条ネギ、京せり、蕪、伏見唐辛子、賀茂茄子、大根や芋類を買い入れました。
更に商人と農民から京野菜の種を手に入れました。
栽培に成功すれば、都の土と関東の土質の違いから京野菜が関東の土に合わせて変化や進化した野菜に育ちます。
「松千代!京野菜を大量に仕入れたぞ!
京野菜の種も程良く確保したから、関東の土に撒いたらどうなるのか楽しみだな?」
「お爺、後は帰り道に摂津国、和泉国、河内国の野菜の種を集めて関東で栽培するよ!
随行している商人達を先乗りさせて食材確保と一緒に現地の野菜の種を集めて!
特に蕪の種!天王寺周辺の蕪の種!」
「ぶはははは!どーした?天王寺の蕪の種?」
「お爺!今は手に入らぬ、野沢菜の起源が天王寺周辺の蕪の種なんだよ!野沢菜食べたいでしょう?」
「あーっ!野沢菜食べたい!
野沢菜で巻いた握り飯が食べたいぞ!」
「葉が大きな野菜を集めて品種改良するんだよ!
野沢菜、高菜の類の葉が大きな野菜は保存食に向いてるから、葉や茎を漬物にして保存食の確保が出来るでしょ?漬物が商売として盛んに流通すれば食料事情の向上と経済の活性化が両立するよね?」
「そうだな…漬物は交易品で人気があるからな、種類が増えるのは良い事だな!」
「お爺、芋類等も掛け合わせて新たな品種を作る!
史実より早くサツマイモとジャガイモは手に入ったから栽培に成功して食料事情は大きく改善したよね?
里芋、長芋等の芋類を集めて良い物を作り出して飢饉に備える!
米が冷害で不作でも、芋類が飢饉の時にも頼りになるはずだよ!
史実では今後、富士山や浅間山が噴火するから芋類の普及は命を繋ぐ要になるよ!」
「よっしゃ!上洛ついでに各地の伝統野菜を集める!
楽しみが増えるぞ!」
「お爺!まだ欲しい野菜がある!
白菜だよ!」
「白菜?あーっ!あったら食べたい!
白菜の野菜炒め!キムチ!回鍋肉!白菜鍋!
松千代何処にあるんだ?」
「明国だよ!だからね、堺と博多の商人達に明国の野菜調達を頼むの!お爺宜しく!」
「ぶははは!よっしゃ!白菜を手に入れるぞ!」
「お爺、白菜を確保したら漬物にキムチも作るよ!
もしかしたらキムチが日本発祥になっちゃうのかな?きゃははは!まぁーいいかな?」
この当時、諸説ありますが、日本、中国、朝鮮半島の順番で唐辛子が普及したとされています。
四川料理に唐辛子が使われるのは西暦1600年以降とされ、キムチに唐辛子が使用されたのも1600年
以降となります。
発酵食品のキムチは朝鮮半島で発祥したのが西暦600年頃になります。
塩漬け野菜として白菜が使われ、キムチに唐辛子が使用されたのが1600年代になりました。
キムチは既に存在しており、唐辛子が後から付け加えて使われる事になりました。
東福寺の土産物市場は大盛況、集まった商人達は商品を追加で持ち込む程、売上が伸び続けました。
松千代の発案で都の伝統野菜の種が手に入りました。
戦国時代の平均的な食料事情は現代に比べて随分貧弱でしたから、松千代は食料事情を改善したいと考えていました。




