1546年(天文15年)11月上旬、三十三間堂参拝へ!
京都の名所、三十三間堂に参拝する事になりました。
1546年(天文15年)11月上旬
11月3日、立花家と同盟大名家は下鴨神社、八坂神社に参拝に出掛けました。
前日と違い、護衛を含めて500名ほどの人数に絞りました。
先頭には祇園囃子の音色を響かせて都の民の関心を惹き付けます。
祇園囃子な音色に続いて女性騎兵100騎がビュンッ!ビュンッ!と鳴弦を響かせて邪気を祓い、祝詞を唱えながら進みました。
下鴨神社、八坂神社の道中には立花家と同盟大名家の行列を見物する為、多数の民が集まりました。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
気合いの声を上げながら行進すると大きな拍手に包まれました。
立花家、同盟大名家の一同は紅葉の美しさと壮麗な建物の中、都を代表する神社に参拝する事で都の民に好印象を与えました。
11月4日は東福寺から徒歩20分の距離にある三十三間堂に参拝する事になりました。
祇園囃子の演奏を先頭に女性騎兵を含めて500名の行列が沿道を行進して三十三間堂に到着しました。
風神、雷神像や千手観音ご本尊、千体の千手観音菩薩像を拝観した後、三十三間堂の本堂の長さに合わせて66間(120m)先に的を設置して弓の腕自慢を集めた通し矢の競技が行われます。
円形の的の大きさは2尺(60cm)、中心部に4寸((12cm)の赤丸が目印になり、的に当てた本数を競います。
1人につき10本の矢が与えられます。
三十三間堂の関係者と立花家や同盟大名家から10名ずつ弓の名手が代表になり、120名が腕を競う事になりました。
競技は団体毎に的中本数を争い、上位3位まで表彰、個人も上位3名まで表彰する事が知らされました。
「お爺!賞金出せば盛り上るよ!」
松千代が祖父、義秀に囁きます。
「そうだな、団体は面倒だから表彰だけに済ませるが、個人は1位に10貫(100万円)、2位が5貫(50万円)、3位が2貫(20万円)で良いだろう?」
「お爺!的の中心!赤丸に当てたら?」
「ぶはははは!よっしゃ!
赤い的に当てたら1本毎に100文(1万円)だ!それで良いな?」
「お爺!太っ腹!大好き!」
「ぶはははは!聞いたか?政家?」
「承知致しました!発表して参ります!」
松千代と立花義秀のやり取りを聞いていた鹿島政家は競技を主催する三十三間堂の座主の許可を取り付け、立花家が賞金を出す事が発表されました。
すると競技の雰囲気が盛り上がり、兵士達に気合いが入りました。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
自然に気合いの声が上がり、会場が盛り上がりを見せました。
66間(120m)先の的に命中させるのは風の影響を受けて並の技量では半分も命中しません。上級者でも6割の命中率になります。
的が12個並び、三十三間堂関係者と11家の代表が1人ずつ10本の矢を放ちました。
長距離射撃は難しくて多くの弓手が半分も命中しません。
しかしながら立花家の弓の名手達は次々に5本から7本を当てました。
結果として放たれた弓矢1200本から命中は500本余、命中率4割、的の中心の赤丸には180本程が命中しました。
団体1位は立花家、2位が世田谷吉良家、3位が滝山大石家、個人成績は1位から3位までを立花家が独占する事になりました。
「ぶはははは!
赤の的を当てたのが180本!賞金100文(1万円)にして良かったぞ!
1貫(10万円)にしてたら大変だったぞ!」
立花義秀は結果を見てご機嫌な様子でありました。
「お爺!だったら1貫にしたら?
兵士が10倍喜ぶよ!
但し!遊びに使わず!
賞金を手渡す時に家族に土産を買う事を誓わせる!都でお土産を買えば都の商品が売れて商人達が喜ぶでしょう?」
松千代が囁きます。
「ナンデ?俺がケチだと言いたいのか?」
「違うよ、10倍にしたら立花義秀は太っ腹だと都に評判が高まるよ!」
「政家?1人1貫の賞金を出せるか?」
側に控える政家が含み笑いで答えます。
「今は足りませぬが、東福寺に戻れば手持ちの軍資金は十分に御座います。
殿が太っ腹と評判になりますので、都の商人達を東福寺に集めたら如何でしょう?
立花家と同盟大名家が大量に土産を購入すると知らせれば商売に長けた商人達が忽ち集まると存じますが?」
「ぶはははは!よっしゃ!的の中心に当てた賞金を1貫(10万円)とする!
賞金は10倍だと知らせて参れ!
それから、明日は官位の叙任式だからな、明後日に商人達を集めろ!
手配を頼むぞ!」
「承知致しました!」
鹿島政家はニコリと笑い、その場を離れました。
暫くすると的の中心に当てた賞金が10倍と聞いた兵士達が飛び上がって喜びます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
兵士達が気合いの声を上げて喜びました。
通し矢の競技については、忽ち都の評判になり、立花家の当主が的の中心に当てた賞金を10倍にした事も広く知られる事になりました。
明後日の11月6日、立花家及び同盟大名家の兵士達が土産物を欲しがり、東福寺に商人を集めている事が広まりました。
三十三間堂の通し矢の行事が行われました。
史実では江戸時代に徳川家康が家臣達に弓の技量を競わせたのが始まりと言われ、現代に至り、新年に成人式を迎える弓の有資格者に出場資格が与えられる行事になりました。
しかし、立花家が歴史に介入した事で史実が塗る変わる事になりそうです。




