表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/466

1544年(天文13年)高月城、滝山城の激戦終結へ!東伏見城の状況は?北条氏康の動きは?

11月16日木曜日、早朝、丹沢山脈の左端、大山から高尾山の綺麗な風景をを見ていました。富士山も雪化粧して美しい姿でした。太陽が登り、府中方面を眺めていました。


大國魂神社の方向から呼ばれてる?

久々にお参りに来るように呼ばれてる?

行かなくちゃ!行きたい!?不思議な感覚で呼ばれてる?メチャ行きたくなる衝動がありました。


大國魂神社に関わる作品だから小説書き始める時に挨拶しなきゃ?

なんて考えてたのに!

まだ、大國魂神社にお参りせずに過ごしていました。


午前中に府中に向かいました。

久々の府中の街、けやき並木が美しく紅葉を見せています。平日に関わらず、たくさんの人々が大國魂神社にお参りしていました。


10年振りくらいお参りしていませんでした。

大鳥居から境内に入ると不思議な気を感じます。

暖かい日差しは眩しく、久しぶりに見る本殿の神々しさに圧倒されました。


本殿にて大國魂神社の大神様にお参りしました。

架空歴史小説に大國魂神社、大神様、大宮司猿渡家の皆様の事を描くお許しをお願いしました。


お願いを申し上げると、スッキリした感覚がありました。

多分。お許しが、あったみたいです。


スッキリして周りの清浄な気を頂き、帰って参りました。


さて、高月城、滝山城の激戦が総大将同士の一騎討ちで決まりました。

和議になりそうですが、和議が無事に成立するのか?


東伏見城の状況は?

北条氏康の動きは?

まだ、安心出来ない状況が続きます。



3月18日、午前11時頃、滝山城

総大将同士の一騎討ちがありました。

大石盛将と上杉憲政が正々堂々戦った結果、憲政が敗れました。


盛将の一撃が憲政の頭を叩いて気絶、兄、立花頼将が両軍に戦闘終了!和議を宣言!

両軍将兵に休戦を求めました。


未明から始まり、両軍が4時間から5時間戦っています。疲れ果てた両軍は休戦を受け入れました。



■高月城南側、午前10時から11時頃の状況


上杉軍、岩松家定勢はニノ丸、東ノ丸に阻まれ、後退して休息中。


八王子城から背後を狙う立花軍、奥住利政勢2000名が令和の時代の舟木町、創価大学がある山中、高月の南、2キロから進軍しました。


背後から攻撃されるなど、無警戒の岩松勢は不意打ちを喰らいました。

いきなり背後に現れた奥住勢に加え、二ノ丸、東ノ丸から400名の弓、槍部隊に挟撃されまた。


岩松家定は討たれ、400名を損失、負傷者と残り兵士は1400名は降伏しました。




■滝山城南側、午前10時から11時の状況


越後勢3800名が少林寺前の広場辺りに殺到しました。少林寺正殿と左右の御殿から拳のサイズから頭のサイズほどの石を投げられ、南久光の長槍部隊600名の攻撃を受けています。


少林寺正殿には暗殺未遂で毒矢を受けて病床にある筈の時期立花家当主、立花将國が現れます。

越後勢には誰だか解らぬ武将です。


ダダダン!立花義國!

ダダダン!立花義國!

ダダダン!立花義國!

三回太鼓と名を読み上げる声がしました。


越後のぉー!上杉軍兵士達にぃー!

伝えるぅー!

我こそがぁー!

立花ぁー!義國であーる!

懸賞金1000貫のぉー!

立花ぁー!義國であーる!

1000貫欲しければぁー!

倒してみせろぉー!


わぁー!わぁー!と歓声があがります。


ダダダン!ニッポン!

ダダダン!ニッポン!

おーおぉー!にぃーぃーっぽぉーーん!

にぃーぃーっぽぉーーん!

にぃーぃーっぽぉーーん!

にぃーぃーっぽぉーーん!

へいへいへいへい!


賑やかに太鼓と応援歌が始まりました。

少林寺正殿、左右御殿から弓矢の連射が加わりました。


越後勢はパニックに成りました。

そこに滝山城の東2キロの宇津木城から畠山忠国の2000名が南門から進出、越後勢の背後から挟撃しました。


越後勢は多数犠牲を出して壊滅状態でした。

そこに総大将、大石盛将から和議、休戦の命令が届きます。

立花将國から大音声で和議、休戦が宣言されました。


そこに、越後勢も顔見知りの宿老、長尾勝久の長男、長尾勝政が少林寺本殿に現れました。

彼は越後勢に状況を説明します。


総大将同士の一騎討ちの結果、山内上杉憲政が敗れ、停戦、和議の交渉が始まる事、憲政の無事が伝えられました。

越後勢も納得、戦闘を停止する事に同意しました。


絶対絶命、壊滅寸前に救われた越後勢は生き延びた…!?

いや!助かったが、捕虜として虐待される事が心配になりました。


大石家、立花家から多数の軍医、看護師が戦場に現れました。

将國の指示で負傷者の治療が優先され、敵味方関係無しに治療が始まりました。軍医、看護師に女性が居る事が越後勢に衝撃でした。


和議の話し合いの為、越後勢から代表に本庄実政、柿崎信秀の2名が選ばれ、本丸に案内されました。


和議の話し合いに入る前に高月城、滝山城の将兵に食事が振る舞われました。上杉軍兵士達に捕虜になる不安が薄らぎました。


握り飯が配られ、戦場のあちこちで鍋が用意され、豚汁が振る舞われました。鹿肉や猪の肉も用意されます。バーベキュースタイルで焼かれた肉が振る舞われました。

上杉軍兵士は大石家、立花家の食事のレベルに驚愕しました。

豚の丸焼き、豚バラ肉の旨さに驚きました。

上杉軍兵士達は豚を食べる習慣がありません。

鹿肉、猪なら少し食べた経験がありますが普段肉は鶏肉を時々食べる機会があるくらいで、あまり肉類は口に入らない環境でした。焼きうどん、たこ焼、お好み焼きも振る舞われ、大好評でした。



滝山城本丸に招かれた長尾勝政、小幡景定、本庄実政、柿崎信秀、羽村の上杉軍から藤田康邦が呼ばれ、青梅勝沼城の三田綱重(次期三田家当主)も滝山城まで呼ばれました。


彼らも握り飯、豚汁、豚の丸焼き、バラ肉、鹿肉、猪の肉が出されます。


彼らはもあまり肉類を食べる習慣が無く、初めて味わう肉の旨さに驚きました。焼きうどん、たこ焼、お好み焼きにも旨すぎて驚きました。

兵士達には出しませんが、清酒、焼酎が振る舞われました。


上杉家の重役でも食べた事の無い上手い食事に圧倒されていました。

越後の酒も旨い筈ですが、初めて清酒を口にした越後の本庄実政、柿崎信秀も驚きました。

さらに焼酎の旨さに驚きが重なります。


なんて文化の違いなんだ!?

こんな生活してるなんて?

敵わぬ相手に手を出したと感じた時でした。


食事が終わると緑茶が出されました。

当時、上杉家で令和時代のような繊細に作られたお茶などありません。


令和の時代と同じレベルのお茶が出され、お茶の旨さに驚く上杉家の重臣達、和議の話し合いに入る前に決定的な文化の差を感じていました。


一騎討ちで気絶した上杉憲政は首を痛め、別室で食事を取りました。

頭と脇腹から左胸が痛みます。


自分で食事を食べる事が出来ますが、長尾勝久の最後を思い出して、涙が止まりません。


自分が養子縁組みを拒否されたから大石家を成敗する!

なんて言わなければ長尾勝久を失う事は無かった。


勝久に止められたのに福生の陣地から出てしまった事、勝久を失う事に至った事、反省しても遅かった。


大石定久が現れ、声を掛けました。


上杉軍の重臣で長尾勝久の他に高月城の南側を担当した岩松家定が亡くなり、憲政が包囲された時に助けに来た安中勝正も亡くなったと知らせました。


安中勝正が助けに来なければ自分が天に召されていた筈、涙が溢れます。まだ21歳の彼には背負い切れない責任が有りました。


長尾勝久亡き後を支える人材がいるのでしょうか?


憲政から和議交渉は家臣達に任せると申し出があり、交渉から憲政が外れました。山内上杉家臣達も了承しました。


滝山城から休戦、和議に至る経緯が府中城に知らされました。

府中城の立花義秀から、和議に関しての指示が有りました。


二年間の不戦協定を認めさせろ!

協定文書に署名して世間に公表する!

協定の内容と交渉は全て立花将広に任せる!


将広にはピン!と来る物が有りました。二年に限り、表立って敵対的軍事行動を取らない約束です。

将広の知恵が巡ります。

激しい戦いに疲労困憊の敵を巧みに丸め込む策を考えます。




上杉軍の損害は戦死3700名

負傷者4500名、無事だった部隊は羽村の陣地の藤田勢2000名と宮寺城北の補給維持に配置した2000名の合計4000名だけが死傷者無し。


補給部隊を含めた総動員数18000名、損耗率45%の壊滅的大敗です。建て直しに数年掛かる数字です。


対する大石、立花両軍の死者500名、負傷者1200名

総動員数16000名、損耗率10%

軽微な損害です。


二年間の不戦協定は山内上杉家にもメリットが有ります。二年間で建て直しする時間があります。


立花家も二年間だけは他の敵勢力に集中出来る利点があります。


和議交渉の結果


①本日より二年間、天文15年3月末日まで、大石家、三田家、立花家、及び武蔵国内の領主に対して婚姻の強要をしない、申込みをしない、妨害をしない、軍事行動をしない、武蔵守護代、立花家に敵対する外交を行わない協定を結ぶ。


②上杉家が乱取りした被害の補填として捕虜の武器、武具、補給部隊の武器、兵糧を接収して補償に当てる。


③重傷者の治療に必要な人数を残す、重傷者が回復したら同行して帰国する。治療費は山内上杉家が負担する。


要点3つでした。

上杉軍がやらかした乱取りの補償は数日中に補償がはじまりました。

山内上杉家からの負担では足らず、

実質立花家から三田領、大石領の住民に施されました。


①の二年間に含まれる内容は立花将広が巧みにオブラートに包んだ仕掛けが入っていました。


関東管領、山内上杉家の形式的臣下、半分独立した状態の大石家、三田家の独立を認める形になる事を含んでいます。


武蔵国内の全ての領主の婚姻に関して干渉不可に加えて軍事行動禁止、外交力を発揮する事を含めて禁止する内容を巧みに入れています。


山内上杉家の領地の大半が上野の国にあり、武蔵国内の領地や領主は扇谷上杉家と複雑に絡み、かなりややこしい状態にあります。

立花将広はその隙間を縫う策を考えました。

丸二年間、関東管領山内上杉憲政は武蔵国内への影響力を失う休戦協定です。

隙間に付け入る時間が2年ある事で切り崩すチャンスが生まれます。





この戦いではっきりした事。

形式的には山内上杉家の家臣でしたが、三田家、大石家は今回の戦いで完全に立花家の勢力に入りました。



■滝山城本丸最上部


大石定久、立花将広、大石盛将

立花義國、立花頼将、三田綱重

上杉憲政、長尾勝政、小幡景定、

藤田康邦、本庄実政、柿崎信秀、

12名が揃い、同意した内容に署名しました。二年間の不戦協定が結ばれました。


休戦協定の内容に含まれる意味を把握してなかった山内上杉憲政と重臣達、疲労困憊した身体と頭脳に清酒と焼酎、大石家や立花家から出された豪華な食事に惑わされてしまいました。


■後日、前橋城に戻った憲政が謹慎を解除した長野業政に休戦協定の条文見せるまで、誰も気が付きませんでした。

長野業政が嘆く事になりました。

もしも長尾勝久が生きてたら気が付いただろう。

業政の解説を聞いても、誰も理解しませんでした。■


■史実通り、長野業政が山内上杉家を見限りそうです。史実より早まる可能性が、あるかも?■



■滝山城本丸最上部■

夕刻の富士山と夕日の絶景、榛名山と赤城山が雪を抱えて姿が見えています。

立花将広は二つの山の真ん中、手前が前橋だと説明しました。


上杉家一同は初めて見る絶景に感嘆の声をあげました。


なんと遥かに見える故郷、見慣れた榛名山と赤城山の形がすぐに解りました。

東に日光連山が見えています。


なんて遠くから来たんだろう…

複雑な気持ちになりました。

多数の将兵があの故郷の地に帰れない。


滝山城を巡る戦いが終わりました。


見渡す限り、多摩川河川敷沿いの田んぼが数キロの田んぼが踏み荒らされました。


田んぼ直すのメチャ大変です。

田植えまであと2ヶ月弱です。




■3月18日、早朝、平林寺城から移動した扇谷上杉軍は正午過ぎに練馬城を通過、石神井城の西側一帯に布陣しました。


練馬城、石神井城から800名の将兵が久我山城を牽制するためにに派遣されました。


石神井城の西側一帯に布陣した扇谷上杉軍10000名は

東伏見城から2キロの地点に陣地を構えました。




■矢部、淵野辺に布陣した北条氏康軍10000名は終日、八王子滝山城周辺、相原方面、東伏見城辺りの情報集めに徹しています。

終日動きは無く、3月18日が終わりました。

滝山城周辺の激戦が終わりました。


上杉憲政が敗走する想定が崩れました。


総大将同士の一騎討ちになるなんて、思ってませんでした。


上杉憲政は少しだけ、濃い経験を積みました。

今後の彼がバカ殿様に終わるのか?

賢くなるのか?

わかりません。


今回も立花将広の策が次々当たりました。

最後に上杉憲政が前橋へ逃げず、滝山城まで大博打の突撃に総大将同士の一騎討ちとハプニングがありましたが、休戦協定の内容に巧妙なワナを仕掛けました。




これからの扇谷上杉朝定の運命は?

北条氏康がいつ?目覚めるのか?

さて、どーなるでしょうか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ