1544年(天文13年)3月13日からの状況、平林寺の威力偵察で、被害甚大の扇谷上杉朝定、さぁどーする?
扇谷上杉朝定は、平林寺の威力偵察で、軽視していた平林寺城の怖さを知りました。
宿老長尾信忠に10000名の軍勢が3000名失ったに等しいと説明を受けました。
やや誇張していますが、解りやすくするためでした。
平林寺城から使者が来ました。
朝定の対応は?
1544年(天文13年)3月13日
─平林寺城北1キロ─
─扇谷上杉朝定、長尾信忠─
前日の威力偵察失敗でショックを受けた朝定は平林寺城からの提案に、返事を保留しています。
「殿、平林寺城からの申し出、如何なさいますか?」
「わかった!申し出を受ける!
3月15日朝に、捕虜になった40名が40名の首を持ち帰るんだな?」
「戻ったら供養せねばならん!
15日迄、ここに止まる!
それまで停戦を約束する!
これで良いか?」
「殿!素晴らしい配慮にございます。
停戦の約束に敵も安堵するでしょう。
直ぐに手配いたします!」
扇谷上杉軍は15日迄、滞陣が決まりました。
滝山城に3万貫の現金があると情報があり、上野、山内上杉軍、越後勢もワクワクしています。滝山城攻めには高月城を押さえないと危険です。現地に来てから意外に厄介な地形を眺めて、誰が高月城を押さえるか?
揉めました。
越後勢を優遇せねばなりません。
宿老長尾勝久の判断で、拝島城を押さえる役目だった小幡景定の2000を引き抜き、上杉憲政本隊から2000を加勢につける事になりました。
小幡勢4000は多摩川を渡り
二宮城(あきる野)を攻略し、高月城へ向かう事になりました。
拝島城前の押さえには近くに布陣していた成田長泰勢1000が配置されました。
陣替えに時間がかかりました。
小幡勢4000が編成され、多摩川を渡りました。さらに平井川を渡り、二宮城を包囲しました。すでに夕方になりました。
二宮城から和議の使者が来ました。
明日、早朝に開城、総員退去するから全員の命を保証して欲しいとの要望がありました。
小幡景定は福生本陣の上杉憲政に判断を委ねました。その結果、和議が受け入れられ、明朝の明け渡しになりました。
3月14日、早朝、二宮城開城、城兵500が退去しました。
3月14日、二宮城接収、小幡勢4000は南下、秋川を渡り、高月城東側の街道沿いにある3ヶ所の砦を攻撃しました。
こちらを確保しないと安心して陣地を配置出来ません。
午前中に3ヶ所の砦を、奪取に成功しました。
軍勢に休息を与え、体力の回復を確認すると、高月城の西側、七曲砦を攻めました。
あきる野から八王子に抜ける重要な交通の要です。夕方までに奪取に成功しました。
小幡勢の損害、戦死100、負傷者100
損耗率5%
高月城側は軽微でした。
3月15日、早朝、小幡勢、高月城前の渇いた田圃に本格的に作り始めました。
滝山城からの攻撃に備えて慎重に作業しています。
やがて、越後勢4000が、小幡勢の姿を見ながら滝山城の北側の田圃に陣地を作り始めました。
「3万貫!3万貫!
3万貫!3万貫!」
杭を打ちながら声を出しています。
私大に柵が並び、陣地の形になりつつありました。
─滝山城本丸─
─大石盛将、立花将広─
「父上、敵は高月城の仕掛けにかかりました!」
「ぶはははは!奪取した砦の上に堅牢な砦、ここに近づくと弓矢の雨で上がれぬ!
三方向の矢倉から狙われ無駄に死ぬ事になるぞ!」
「父上、越後勢が3万貫!さんまんがん!と声に出して陣地を作ってます!
またまた策が当たりましたね」
「まぁ、これから何があるかわからんが、良い景色だな…福生の敵本陣が見えとる。
敵の動きが上から丸見えじゃ!
楽しむぞ!」
「父上?また呑んでますね?」
─府中城、立花義秀、鹿島政家─
「政家。平林寺城の扇谷上杉朝定、停戦明けに動くと思うか?」
「動く方が楽ですなぁ、包囲しやすくなります。」
「そうだな。高月城、滝山城が包囲されて、やり合ってからか?」
「ですなぁ、滞陣される方が距離がありますから、我々主力軍10000は滝山城、平林寺城のどちらにも駆けつけられますが、戦況を見極めて慎重に行かねばなりません!」
3月15日が暮れました。明日からどんな動きになるでしょうか?
高月城、滝山城が騒がしくなりました。
滝山城攻めが始まります。
さて、展開や如何に?




