1546年(天文15年)5月13日、蕨城奪還!
三田綱秀が東浦和城に仕掛けた罠は岩槻太田家の勢いを削ぎ落とす効果を秘めています。
東浦和城が攻撃されると思い込ませて、蕨城を奪還すべく策動します。
1546年(天文15年)5月13日
前夜から東浦和城内は慌ただしい雰囲気に包まれていました。
南大宮城から退去した阿佐美長政の軍勢300が城内に合流すると明日には三田綱秀の軍勢5000が攻撃して来る事が知らされます。城主、本庄直実は合流した阿佐美長政の兵士達を受け入れて各部所に配置しました。
やがて鳩ヶ谷城から岩槻太田家当主、太田資正が派遣した援軍1000が到着すると、明朝には太田資正が本隊を率いて来ると聞かされ安堵します。
しかし、合流した阿佐美長政の軍勢が裏切るとの噂が流れ、城内が動揺します。
彼らは三田綱秀の軍勢に南大宮城を囲まれて、武装解除されず、財貨を持ち出して退去出来た事は疑いが掛かる要因になりました。
深夜、東浦和城の周囲には篝火が幾つも散見します。三田綱秀が先遣隊に松明を持たせて偽装行動をさせていました。
その様子に、三田綱秀の軍勢が進撃する予兆と判断した見張りから、城主、本庄直実に怪しい動き有りと報告されます。
これで万が一、阿佐美勢が内応すれば大事になります。本庄直実は静かに就寝中の兵士を起こして警戒させました。
やがて、早暁、微かに空の端が明るくなる頃、東浦和城に接近する軍勢がありました。
西から1000、南から1000、太鼓を叩いて進軍します。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
青梅三田家宿老、師岡将景の率いる軍勢が接近します。東浦和城の将兵達は三田綱秀が想定通り、5000の軍勢を率いてやって来たと思い込みました。
東浦和城から伝令が走り、鳩ヶ谷城の太田資正に三田勢の襲来が伝えられ、太田資正は急ぎ、4000の本隊を率いて東浦和城に向かいました。
その頃、師岡勢と別行動の三田綱秀の軍勢は東浦和城の南、6キロに所在する蕨城付近に到達していました。
夜が明けて、蕨城付近には北から青梅三田勢3000、滝山大石勢5000、南から諏訪勢3000が接近しました。
蕨城の岩槻太田家宿老、河野秀康が前夜から隣接する戸田城の大石勢と諏訪勢が活発に準備している様子から、攻撃される事を察していました。
蕨城の西側へ2000、東側に2000の軍勢を配置して馬防柵を張り巡らして待ち構えていました。
予測通りに攻めて来る軍勢に河野秀康の軍勢は冷静に立ち向かい、馬防柵に苦戦する大石、諏訪勢に対して余裕の迎撃を続けていました。北から迫る危機には気づく事がありませんでした。
北から迫る三田綱秀の軍勢は南大宮城の備品から岩槻太田家の軍旗、甲冑の背中に背負う旗指物を多数接収していました。
太田家の軍勢に偽装した部隊200が、太田資正からの援軍と称して北門から侵入に成功しました。
油断している北門の兵士を制圧すると、後続の軍勢500が内部に侵入して次々に要所を制圧しました。
やがて二の丸が陥落、三田家の三つ巴の軍旗と立花家の菊の軍旗が掲げられると城内から鬨の声が上がりました。
「エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!」
三田綱秀はまだ城内を完全に制圧していませんが、鬨の声を上げて寄せ手が優位だと心理的に城兵を追い込み、降伏を呼び掛けました。城兵は次々に降伏します。
奇襲に成功しましたが、蕨城の制圧に時間が掛かれば東浦和城に仕掛けた偽装が見破られ、太田資正の軍勢が急行してくる可能性が高まります。
城外で戦う河野秀康の処に城内から敵勢が侵入したと援軍の要請がありました。
秀康は急ぎ500の軍勢を城内に送りました。しかし、援軍の到着前に本丸が陥落、援軍の兵士も撃退され、南門から脱出する事になりました。
南門に三田家の軍旗と立花家の軍旗が掲げられます。
「エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!」
城内から鬨の声が上がり、蕨城の陥落が明白になりました。
その様子に反応して大石勢、諏訪勢が本格的な攻勢に転換しました。
馬防柵を鍵縄で引き倒し、河野勢の陣地深くに侵入を始めました。
陥落した東浦和城から三田勢が河野勢の背後を襲撃すると河野勢は前後からの攻勢に耐えかねて潰滅、河野勢は東の鳩ヶ谷城を目指して敗走を始めました。
三田綱秀は河野勢の追撃を諏訪勢に任せ、大石定久と対面しました。
「大石殿、見事な戦い振りに感謝致します」
「三田殿の策のお陰にございます。
見事に策が嵌まり、感服致しました」
「全ては大石殿と諏訪殿のお陰にございます。さて、河野勢の追撃は諏訪勢に任せましたが、更に川口城、舎人城、西新井城に騎馬隊を出す様に依頼しています。鳩ヶ谷城方面の追撃は彼らに託し、我らは太田資正の動きに合わせて迎え討ちます!」
「それで、三田殿、太田資正の動きは?」
「はい、東浦和城攻撃が、偽情報と気付き、蕨城に向かっています。蕨城の北側に広く展開して迎え討ちましょう」
対面をすませると、蕨城の北側へ移動しました。三田勢5000は正面に備え、東に大石勢5000が広域に展開しました。
一方、太田資正は早朝に東浦和城に到着しました。三田勢に戦いを仕掛けても消極的な戦いに疑念を抱き、後方に本隊が待ち構えて包囲攻撃を狙っていると警戒していました。
しかし、索敵しても本隊は見つからず、時間が経過すると蕨城から三田勢が蕨城を攻撃していると報告が入り、東浦和城攻撃が偽情報だと判明します。
太田資正は三田勢対策に1000の抑えを残して3000の軍勢を率いて蕨城へ向かいます。宿老、立川明和が罠だと見抜き、鳩ヶ谷城へ撤収を勧めますが、太田資正は領主として罠でも見捨てる事を拒否して救援に向かいました。
蕨城から北に2キロ程の地点に差し掛かった頃、斥候部隊から蕨城の陥落と三田勢と大石勢が10000の軍勢で待ち構えてい事が報告されました。
10000に対して手勢3000では勝負になりません。
太田資正の選択肢は鳩ヶ谷城に戻るか?
東浦和城に向かうか?
その他には赤山城、戸塚城がほぼ同じ距離に存在しています。
「殿、東浦和城に戻りましょう。
敵は我らが鳩ヶ谷城に向かうと待ち構えておりましょう。
鳩ヶ谷城に向かうと偽装します!
東の赤山城付近まで東に進み、北西向かえば敵勢の追撃を避けて東浦和城に入れます!」
宿老、立川明和が進言しました。
「わかった!赤山城付近から東浦和城へ向かうぞ!」
太田資正は即決して進路を変更、東へ向かいました。
三田綱秀の陣営に太田資正の軍勢が東へ向かったと報告が入り、三田綱秀は鳩ヶ谷城方面の道筋を塞ぐべく、兵力配置を変更しました。
太田資正の軍勢は東に進んでいましたが、赤山城付近から進路を変えて東浦和城方面に向かい、三田勢の待ち伏せを回避して無事に東浦和城に到着しました。
三田綱秀の偽装工作が成功、蕨城の奪還に成功、太田資正は三田綱秀に踊らされる事になりましたが、無事に東浦和城に戻れるのでしょうか?




