1544年(天文13年)3月上旬、ついに川越城から扇谷上杉軍動く!彼らの作戦は?補給部隊壊滅で、上杉憲政はどーする?
ついに川越城から扇谷上杉軍が動き出しました。
山口城は街道筋押さえる位置にあり、街道を柵だらけにして簡単に接近出来ず、水堀に囲まれる堅城です。
八国山城(東村山)は小高い山の上に有り、所沢街道を押さえる交通の要衝、立花家が新田義貞と鎌倉幕府軍を破った久米川の戦いの戦場です。
柳瀬川に架かる二つの橋が戦いの鍵になります。
令和の時代の多摩湖が存在せず、水量3倍です。
しかし、渇水季で、水量が減っています。
橋をパスして渡るのは可能、しかし、水温がひくく、腰まで水に浸かると鎧、下着から肩まで水が染み込みます。
3月上旬、朝夕の冷えがあります。
無理したら兵士が役に立たなくなりそうです。
さらに橋の前後は柵で囲っています。守備隊が交代で守りを固めています。
山口城の東に3キロ地点にあります。
清瀬城→小金井街道を左右両側から挟む形の城、柳瀬川に架かる清瀬橋を柵で固めています。
柳瀬川と堀に囲まれる堅城です。
川越から来る上杉軍が平林寺付近を抜けて南側の志木街道を通過する場合にも備えています。
八国山城の東4キロの位置にあります。
平林寺城(新座)→川越から上杉軍が来た場合→川越街道→柳瀬川をずぶ濡れで渡ります。辺りに橋はありません。
川幅、水量は清瀬城辺りに増して増えています。
柳瀬川の先、2キロ先を右折、志木街道を進みます。平林寺城は街道から五百メートル離れています。
森に囲まれ地味に見えますが、攻めるには迷路になった仕掛けがあり、地味な堅城です。
清瀬橋から東に4キロの位置にあります。
■平林寺の南6キロに東伏見城があります。
立花義弘(当主、義秀三男)の遊撃部隊二千が待機しています。
山口城、八国山城、清瀬城、平林寺城、いずれにも支援可能。敵の退路を脅かすのが役目です。
1544年(天文13年)3月7日
川越に動きがありました。
前橋からも、上杉憲政の主力軍が動く気配です。
■早朝の滝山城■
本丸御殿前の物見台に大石家、立花家の兵士20名が整列、総大将、大石盛将が指揮を取ります。
太鼓が一斉に響く!
ダダダン!ニッポン!
ダダダン!ニッポン!
大石盛将が祝詞をあげました。
天にぃー!おわしますぅー!
大國たまのぉーぉ!
大神様にぃーぃー!捧ぐぅーう!
我がぁー魂ぃーをぉー!
正義とぉー!
民の安寧の為にぃー!
捧ぐぅーう!
君が代ぉーおー!
斉唱ぉーおーぉーおー!!
滝山城全域に響く声が広がった。
大石盛将の合図で君が代斉唱が始まります。
君がぁーぁぁ代ーぉーわぁー!
千代にぃー!ぃー!
八ぁ千ぃー代ぉーにぃー!
さぁーざぁーれぇー!
いぃーしぃーのぉー!
岩ぁー音ぉーなーりてぇー!
苔ぇのーぉー蒸ぅーうすぅーう!
まぁーぁーでぇー!
ダダダン!ニッポン!
ダダダン!ニッポン!
おーぉーおー!にぃーっぽぉーん!
にぃーっぽん!にぃーっぽん!
にぃーっぽーぉーん!
へいへいへいへい!
おーにぃーっぽぉーぉーん!
にぃーっぽん!にぃーっぽん!
にぃーっぽぉーん!
へいへいへいへい!
ダダダン!おぉーいし!
ダダダン!おぉーいし!
奮ぅえぇー!奮ぅえぇー!!
おぉーいし!?
フレッフレッ!おーぉいし!
フレッフレッ、おーぉいし!
うぉーぉーおー!!
エイエイおぉー!!
エイエイおぉー!!
昨夜、松千代からの提案がありました。立花将広が義父大石定久の許可を受け、立花家の早朝の儀式をアレンジして大石家風の早朝儀式が出来ました。
滝山城の士気が上がり、朝夕の儀式に定着しそうです。
■立花家、拝島城、福島政義■
「聞こえたぞぉー!」
「君が代斉唱だー!」
「滝山城からだー!」
「応援歌だぁー!」
「滝山城の士気は旺盛だぞー!」
兵士達が沸き立ちました。
拝島城からも、祝詞、君が代斉唱、応援歌が始まり、
多摩川を挟み対岸から滝山城に向けて祈りを込めています。
ダダダン!おぉーいし!
ダダダン!おぉーいし!
奮ええぇーー!
奮えぇー!ぇー!たきやまぁー!!
フレッフレッたきやま!!
フレッフレッたきやまぁぁー!!
ぶしゃーぁー!
「あっ?太鼓使えば滝山城と拝島城の連絡出来るじゃないか?
伝令だ!滝山城に使いを、出すぞ!
太鼓、応援歌など音声で伝わる暗号を使いたい!と総大将大石盛将様に伝えよ!
多摩川の浅瀬を選び、騎馬で行け!」
側近が伝令を手配しました。
「滝山城には立花将広様がいらっしゃるからなぁ。
将広様が、なんとかしてくれるぞ!」
滝山城を支援する拝島城の福島政義が良い事に気付きました。滝山城には頼もしい智将立花将広が在城しています。
■福生市熊川、多摩川付近■
滝山城、拝島城から2キロ地点
上野山内上杉軍二千、小幡景定■
「何だぁーぁ!」
「滝山城から歌と太鼓がうるせぇー!」
「朝から静かにしろぉー!」
「んん!なんだょ!」
「次は拝島城から?うるせぇー!」
「奴らやる気有りそーだな?
主力部隊来るまで、見張りだけにするかな?
安全第一!手抜きも生き抜く為なら平気でやるぜ!」
小幡景定は文句ばかり呟いていました。
■3月7日、昼過ぎ、川越城の偵察部隊、総勢二千が
四手に別れ、各部隊五百出撃しました。
立花家の領内、山口城、八国山城、清瀬城、平林寺城の手前1キロに布陣、偵察を開始しました。
■同日、昼過ぎ、上野山内上杉軍二千、三田領、今井城から東に2キロ地点に布陣するのが確認されました。
■同日、夕方、上野山内上杉軍二千、宮寺城の北2キロ地点に布陣が確認されて立花家の宮寺城、箱根ケ崎城の将兵は警戒を厳重にしました。
■その夜、府中城に急報、三田領、今井城付近に上野山内上杉軍二千が布陣、宮寺城付近に上野山内上杉軍二千が布陣が確認されました。
■府中城、立花義秀、鹿島政家■
「殿!川越から敵の先遣部隊が、山口城、八国山城、清瀬城、平林寺城へ、同時にやって来ましたが、これらは様子見と思われます!
敵は青梅の今井城を威嚇して
宮寺城に報復攻撃をするかもしれません!」
「滝山城が目的なら宮寺城に報復せぬはずだがな、それでも油断は出来ぬ…
政家、敵は前橋と川越から二手に別れて来るが元々仲が悪いからな、緻密な連係など取れぬだろうが、油断せずに戦うぞ!」
前橋の上野山内上杉家と川越の扇ヶ谷上杉家は元から仲が悪い親戚です。お互いの出方を探りながら相手に犠牲を出させて消耗を避けたい気持ちが見え隠れしていました。
上野山内上杉軍、武蔵扇谷上杉軍がやっと連携?
モタモタしながら戦いを進めました。
宮寺城に仕返しする?
性格悪いワガママな上杉憲政が黙って許すか?
これから主力部隊の動きが気になります。
どんな展開になるか?
筆者にもわかりません。




