1546年(天文15年)5月2日、鉢形城攻防戦、外曲輪、連雀曲輪の激戦!
お昼の食事を済ませた松千代は昼寝の夢に諏訪神社の神様が現れます。
鉢形城の攻防戦がさらに激しくなります。
1546年(天文15年)5月2日
─鉢形城、連雀曲輪、連雀門─
朝から戦い続け、正午過ぎになりました。
鹿島勢は松千代の指示で携行食料で昼食を取らせました。
煎餅、焼き芋、乾燥芋、黒ニンニク、ビスケット、饅頭、梅干し、各々好みの物を軽く食べます。塩気と甘い物、水分補給で活力回復を量ります。
午前中戦った2000と後方に控えた2000の軍勢を入れ替えました。
─松千代、鹿島政勝─
松千代はほんの少し、昼寝をして目覚めると鹿島政勝に声をかけます。
「政勝にぃーに、前進して連雀門前に向かうよ!門前を確保したら投石機を門扉に照準を定めて石と火薬玉をぶっ放す!
それで、門前の両脇に大人数で人梯子を作って土手と板壁を乗り越えて中に入るんだよ!」
「えぇーっ?
松千代様?投石機が囮役ですか?」
「政勝にぃーに正解!
敵は投石機に気を取られて混乱するから、たとえ投石機を壊しに出撃して来ても構わない、10人が横並びで肩を貸して次々登り、土手上の板壁まで登れば大勢で侵入出来るよ!弓隊が弓と矢筒を背負って板壁の上から連射して援護すれば必ず突破出来るよ!」
「承知致しました。
投石機が囮とは驚きました!」
「政勝にぃーに、この連雀門はね、隠し大手門なんだよ。鉢形城の大手門は西側の三ノ丸と逸見曲輪の間に有るんだけど、防御力を高めるために大きな城の割に出入口が小さくて、大手門は荷物の搬入に不便なんだよ。
だからね、連雀門はね、空堀も水堀も無しに荷物の出入口として便利に使ってるんだよ。
門の前に広場があるから、兵力に余裕が有れば出撃する馬出しの曲輪として強力な防御力を発揮出来るけど、城内の兵力は不足しているから逆に攻め易くなったよ。」
「連雀門が実質的な大手門?!
秩父藤田家からもその様な情報を知らされておりませんが?」
「それはね、お昼寝したら夢の中で諏訪の神様が教えてくれたからね。」
「承知致しました。それでは準備に掛かります!」
鹿島勢は連雀門前に投石機7台を進め、射程距離に入ると照準を定めました。
投石機の周りは楯の壁で囲み、弓隊500と長槍隊500が護衛します。
投石機は各々が連雀門から80メートルから100メートルの位置から投石と火薬玉を放ちました。
ドン!ドーン!ダーン!
投石と火薬玉が連雀門周辺に落下します。
城内から投石機の周囲に弓矢が放たれ、弓隊が応戦します。
鹿島政勝の指示で連雀門から離れた左翼から500、右翼から500の軍勢が土手に集まりました。10名が横並びになり土手に手をつき、後ろから兵士が肩に乗ります。
次々に後ろから肩に乗ります。
5人目が土手上の板壁に鉤縄を引っ掛けて登ります。人梯子は立花家では時折使われる方法です。鹿島政勝はさらに左翼に500、右翼へ500の兵力を加勢しました。
高さ5メートルの板壁の上に着いた兵士が連雀曲輪の城兵に弓矢を放ち、安全を確保します。次々に弓を持つ兵士が高所から味方を守ります。次々に連雀曲輪に鹿島勢が侵入しました。
連雀曲輪の門扉は損傷が激しくなりましたが破壊するまでには至りません、投石機は囮の役目を果たしました。
連雀曲輪の阿佐美勢は当初は500の軍勢でしたが、昨日からこれまでに死傷者が続出しており、400まで兵力が下がりました。
連雀門の左右の土手上から侵入した鹿島勢は次第に増えて1000を超えてさらに増加、やがて連雀門が中から開かれ、鹿島勢が大勢雪崩れ込みました。
─松千代、鹿島政勝─
「「政勝にぃーに、北側に追い込めば、二ノ丸に繋がる通路があるよ!」
「はい!伝令を出します!」
鹿島政勝は松千代の言葉を信じて伝令を派遣、阿佐美勢を北側へ追い込む様に指示を出しました。
阿佐美勢は一気に雪崩れ込む鹿島勢に押されて二ノ丸方面に後退します。
城下町の大火の飛火に鹿島勢の投石機による破壊と火災で大部分の防御施設が無力化された状態でした。
軍勢としての抵抗は崩壊、背中を向けて二ノ丸へ逃げ込みを量りました。
─鉢形城、外曲輪攻撃部隊─
北門を攻撃していた立花義弘の軍勢2000は北門を破り外曲輪内部深くに侵入していました。
南門を攻撃していた福島正義の軍勢2000も南門を破り外曲輪内部深くに侵入しました。
─外曲輪、連雀曲輪主将、阿佐美信隆─
「多勢に無勢、外曲輪は支え切れぬ!
御殿下橋まで後退だ!
橋を守るぞ!」
敗色濃厚の阿佐美勢が唯一退避可能な御殿下曲輪と外曲輪を繋ぐ橋の防衛に切り替えました。
激しい追撃を受けながら御殿下橋に辿り着きました。
橋まで辿り着いた兵力は僅かに100名ばかりでした。
阿佐美信隆は味方を鼓舞して橋に逆茂木、土嚢を重ねて一歩も引かぬ姿勢を取り、御殿下曲輪に援軍を要請しました。
直ちに援軍500が派遣され、御殿下橋は600の軍勢で守りを固めました。
周りは深い谷と深沢川の流れに阻まれ、谷下から這い上がるのは極めて難しい地形でありました。
御殿下曲輪の奥には本丸が控えています。
御殿下橋の防御が破られたら鉢形城は風前の灯火となります。
橋の攻防が極めて重要な戦いになります。
立花義弘は安易に橋を攻めず、橋の周辺に抑えの兵力1000を配置して鉢形城攻防戦の戦況把握を優先しました。
─外曲輪─
─立花義弘、福島正義─
「正義、阿佐美信隆は猪武者では無く、意外に冷静な判断が出来る奴だな?」
「はい、城下町放火の件で頭に血が登ると思いましたが、想定よりも賢い武将でございました。」
「御殿下曲輪に通じるあの橋をを死守する覚悟と見た。あの橋を落とすには手を焼くぞ!
橋の下を流れる深沢川の水深は大した事は無いが、谷が深く川を超えても土手が山の如く高さがあるぞ!
あれでは登れぬ。
攻め処は他に求めるべきだな?」
「はい、その通りにございます。」
そこに連雀曲輪を攻める鹿島勢から連雀門突破、連雀曲輪内部に侵攻中との知らせが入りました。
「やったぞ!連雀曲輪からなら谷が緩やかだから深沢川を渡り谷を登れるかもしれぬ!
福島勢4000は外曲輪から連雀曲輪へ移動せよ!攻め口を探せ!見つけ次第知らせろ!」
「はい!探って参ります!」
福島勢は外曲輪から通路を通り、連雀曲輪内部へ侵入しました。
連雀曲輪では二ノ丸へ通じる二ノ丸橋
周辺で阿佐美勢と鹿島勢の戦いが続いていました。
福島正義は周辺の深沢川の水深と対岸の二ノ丸、三ノ丸の谷の高さを目視で臆測しました。この辺りなら、深沢川を渡り、二ノ丸、三ノ丸へ谷から登れると確信しました。
福島正義から二ノ丸、三ノ丸へ谷超えの侵攻可能と知らせが入りました。
立花義弘は直ちに指示を下します。
─二ノ丸橋攻撃部隊─
鹿島勢4000
─二ノ丸攻撃部隊─
福島勢4000
─三ノ丸(裏手側)攻撃部隊─
藤田康邦5000
立花義弘は制圧した外曲輪の矢倉の上から外曲輪より高度が下がった連雀曲輪一帯を見下ろして戦況を見る事が出来ます。
二ノ丸攻撃を福島勢、二ノ丸橋の攻撃を鹿島勢に分業しました。
三ノ丸には大光寺曲輪前に布陣している秩父藤田勢を呼び寄せ、連雀門から侵入させて深沢川の谷超えで三ノ丸を攻撃させます。
敵が想定しない方向から仕掛ける事になりそうです。
立花義弘からの使者が指示を伝えました。
立花義弘の配慮に感激する兵士達から歓声が上がりました。
─秩父藤田家、三ノ丸攻撃部隊5000─
─藤田康邦、宿老、薗田清正─
「清正!立花義弘殿の配慮に応えて三ノ丸を攻略するぞ!」
「はい!いざ、参りましょう!」
秩父藤田勢が大光寺曲輪前から移動します。やがて連雀曲輪、連雀門から鉢形城内部へ入りました。
既に二ノ丸橋では鹿島勢が戦い、福島勢は深沢川を超えて谷を登り、密集を避けて広い範囲に広がり、二ノ丸の板壁に鉤縄を掛けて多数の兵士達が内部へ侵入していました。
二ノ丸から弓矢を放ち、長槍で突いて叩いて反撃します。
立花軍は珍しく力攻めを強行しました。
秩父藤田勢も深沢川を超えて谷を登り、散開して密集を避けます。
広範囲に広がり、三ノ丸の板壁に多数の鉤縄を掛けて谷を登りました。
三ノ丸の兵士達も弓矢を放ち、長槍で突いて、叩いて防戦します。
激しい戦いが始まりました。
立花義弘は今こそ攻め時と考え、荒川対岸に布陣している諏訪勢と三田勢に鉢形城の北側から攻撃を指示しました。
さらに鉢形城の西側の伊集院勢に三ノ丸攻撃を命じました。
─秩父曲輪、本丸、笹曲輪攻撃部隊─
三田綱秀4000
諏訪頼宗3000
猪俣信綱1000
─三ノ丸攻撃部隊(表側)─
伊集院忠久4000
岡本政國2000
時刻は午後3時頃でした。
立花家、秩父藤田家の総勢32000が鉢形城の総攻撃となりました。
法螺貝、太鼓や鐘の音が響きます。
歓声が上がり、弓矢が放たれ、長槍が唸ります。
午後3時頃、ついに鉢形城の総攻撃が始まりました。二ノ丸、三ノ丸が激しい戦いの中心になりました。
日没までおよそ3時間、果たして鉢形城は陥落するのでしょうか?




