1544年(天文13年)3月、大石家、立花家間もなく婚儀、上野山内上杉家、武蔵扇谷上杉家 の動きが活発になっています。
1544年(天文13年)3月になりました。
大石家、立花家の婚儀の後、北から2つの上杉家が南下してきそうな気配です。
立花家の予備役兵士達から常備軍に志願者が増加しました。紙芝居の宣伝効果は抜群のようです。
当主義秀から全員採用!の指令で各地の部隊に編入が許されました。
3月上旬に予想される闘いに備え、各地に軍団が配置につきました。
■岩槻太田家の状況■
①武蔵扇谷上杉家の川越城→岩槻太田家岩槻城まで直線20キロ、半日未満で到着可能です。
上杉家から見た太田家は品川湊の攻略に誘われながら裏切った事で恨まれています。
②古河公方家の本拠地古河→岩槻城まで直線28キロ、1日あれば到着する距離なので、かなりプレッシャーがあります。
古河公方家からも品川湊攻略に誘われていましたが、裏切る形で恨みを買いました。
③2つの陣営から恨まれて、ヤバい状況です。
両方の陣営からも攻撃される可能性があります。
④ピンチの岩槻太田家に立花家から軍資金二千貫(二億円)、米五百俵が送られました。
⑤江戸太田家、世田谷吉良家も同様に軍資金二千貫(二億円)、米五百俵が提供されました。
⑥岩槻城が攻撃された場合、江戸太田家、世田谷吉良家と協力→立花家の援軍到着まで、我慢を要請しました。
■滝山城を狙う上野山内上杉■
本拠地前橋城→滝山城まで直線80キロ、実質100キロ
■府中城を狙う武蔵扇谷上杉■
本拠地川越城→府中直線30キロ、実質40キロ
遠征は苦労が予想されます。
上杉軍の進路が気になります。
1544年(天文13年)3月上旬、
大石家の婚儀に不満な若き山内上杉家当主、上杉憲政が、近習相手に唸っています。
「成敗してやる!正義はこちらにある!
大石家が騙した過ちを赦さん!
ついでに生意気な立花家も潰すぞ!」
などと怒りまくっています。
上杉憲政には彼なりの正義があるようです。
立花家も抜かりなく備えています。上杉軍の進路がほぼ判明、上野山内上杉軍は前橋城から坂戸→狭山→入間→瑞穂→福生から分散して滝山城に行く気配がありました。
立花家筆頭宿老、鹿島政家が予想した進路です。
予想進路の入間の宮寺城、瑞穂の箱根ケ崎城、昭島の拝島城などに砦を数ヶ所配置しました。
武蔵扇谷上杉軍の予想進路
①川越→所沢→久米川→国分寺→府中
②川越→所沢→清瀬→小金井→府中
③川越→新座→平林寺→小金井→府中
立花家は①、②の可能性が高いと予想
近くには多数の河川があり、
山口城(所沢)八国山城(東村山)清瀬城、平林寺城(新座)が連携して待ち構えます。
この防衛ラインの南7キロの位置に
国分寺城、本多広孝二千、
前原城(小金井)伊集院忠久二千、
東伏見城(練馬)立花義弘二千が配置されました。
立花義秀の主力軍六千は府中城周辺に待機しています。
─上野山内上杉軍予想進路防衛配置─
入間、宮寺城一千
瑞穂、箱根ケ崎城一千
昭島、拝島城一千
この三つの城の目的は敵軍の補給を妨害する事、敵軍の退路を遮断するにありました。
─大石家、防衛体制─
滝山城から北に3キロ
二宮城(あきる野)五百
二宮城の西北4キロ(草花御堂中付近)
伏兵、立花家、加賀美利久二千
敵軍の補給妨害、退路遮断を目指します。
滝山城北西1キロ
高月城八百
滝山城を北から支援します。
滝山城、大石定久二千、立花将広二千
合計四千
滝山城の南東5キロ
八王子城、宿老奥住利政二千
滝山城を南から支援します。
滝山城の東2キロ
宇津木城、畠山義國二千
滝山城を東から支援します。
間も無く関東管領、山内上杉家の軍勢との戦いが始まります。
大石家と立花家の準備が進みました。
無事に両家の婚儀が出来るでしょうか?




