1544年(天文13年)少し時間を遡り、1月中旬から2月上旬の敵対陣営の動向
立花家に敵対する陣営の思惑が見えてきました。
怒りに任せて暴走するかも?
─古河公方家、古河城─
─足利晴氏、簗田高助─
「高助?品川湊を奪うつもりで、上手く行くはずが?なぜ岩槻太田家、江戸太田家も俺に従って世田谷城の吉良家を攻めるのに同意するんじゃなかったのか?」
「公方様、岩槻太田家、江戸太田家、世田谷吉良家は立花家と手を結びました!」
「何?立花家と手を結んだ?」
「はい、公方様、品川城には岩槻太田家、江戸太田家、世田谷吉良家、立花家の軍旗が掲げられております」
「品川城に軍旗まで揚げてるのか?
いつの間に備え固めた?
江戸城、葛西城の狭い隙間から危険を承知で品川に向かったら行けるだろ?」
「公方様、江戸城、葛西城を無視して進んでは補給が続きません。
無事に通過出来たとしても品川城の攻撃中に背後から襲われ、西から世田谷吉良家、立花家の軍勢に包囲されて勝てる見込みがありません!」
「ならば扇ケ谷上杉家の軍勢に援軍を頼めば良いじゃないか?」
「それは期待出来ません!扇ケ谷上杉家も品川城と品川湊を奪う為に動いています。
競争相手には援軍を頼めません!」
「駄目か?…品川城を奪えず、品川湊が駄目なら…それなら下総国の小弓公方家を狙いに変更したらどうだ?」
「公方様、既に小弓公方家と里見義堯の離間工作に成功しており、この度は下総小弓公方家を先に狙います!」
「ならば出陣はいつ頃になる?4月辺りか?」
「おそらく3月中旬から下旬になりましょう」
「高助、3月ではまだ寒いだろうからなんとか4月にならぬか?」
「それでは出陣の日時は検討致しましょう」
古河公方家の実質的最高権力者、簗田高助は
品川城を攻撃する予定は事前に立花家に対策を築かれて断念する事になりました。
残念ながら下総国、小弓公方家に狙いを変更になりますが、出陣の時期がどーなるか微妙です。
─扇ケ谷上杉家、川越城─
─上杉朝定、長尾信忠─
「おーい!信忠?どーなってんだ?古河公方家を出し抜いて岩槻太田家、江戸太田家を先導に吉良家を攻めさせてる間に品川城落とせるんじゃなかったのかよ?」
「殿、岩槻太田家、江戸太田家、世田谷吉良家は立花家と手を結んだと判明しました。更には品川城周辺に援軍が集結しております。
岩槻太田家、江戸太田家に期待を裏切られ、計画は崩れました!」
「もう、品川城守備固まって無理?
じゃ?八王子の大石家の養子に上杉家の男子送って乗っ取りするのは?
いつ頃返事くるんだ!?」
「残念ながら大石家は素直には受け入れず、渋っております」
「大石が渋ってるだとー?
押し切れょ!」
「実は上野山内上杉家からも養子縁組の申し入れがありまして…」
「えっ?上野山内上杉の憲政兄上も養子の件申し込みしてるのか?
えっ?あちらがら先だったのか?」
数日後の事でした。
大石家は立花家から養子を受け入れる事が判明します。
「なにーぃ!大石家が立花家から養子取るだと?こっちが先だろー?後からなんで、また立花にやられたじゃないかー!」
「殿、立花家は大石家との養子縁組を紙芝居で領内で知らせておりました」
「なに?紙芝居で知らされただとー?
また立花にやられた!
品川も大石も取られた!」
上杉朝定は不満を露にしますが、どうにもなりませんでした。
─上野前橋城─
─山内上杉憲政、長尾勝久─
「勝久、古河公方と扇谷上杉朝定、品川城を取り合ってるみたいだな?どちらが取れるか?」
「どちらが取れたとしても良い事にはならず、揉めると思われます」
二人の会話の数日後に結果が判明します。
立花家が岩槻太田家、江戸太田家、世田谷吉良家を味方に率いれて四家が手を組む事になり、品川城と品川湊は立花家が守りを固めてしまいました。
古河公方家、上野山内上杉家は品川攻めを諦めた事が判明しました。
「勝久、滝山城の大石家に養子送る件はどーなってる?まだ、返事がない?
扇谷の上杉朝定も大石に養子送るだとー?
こっちが先だろがー!絶対負けるなよー!」
数日後の事でした。立花家から大石家に養子が入る事が判明、上杉憲政が怒ります。
「なんだとー!!立花家から大石家に養子入るだとー?バカタレー!
聞いてないぞぉー!!
滝山城潰したるー!!
なに?紙芝居?悪口?
俺の事バカにしやがってー!
大石!立花ぁー!
聞いてないぞぉー!!
訴えてやるーぅー!!」
関東管領職の上杉憲政にとって養子縁組を断った大石家を許す事が出来ません。
数日間も八つ当たりする事になり、近習達を困らせる事になりました。
立花家に出し抜かれ、古河公方家、扇ケ谷上杉家、上野山内上杉家は怒りを押さえられず、立花家を倒す決意を固めます。




