1546年(天文15年)4月21日、日没後、大敗した川越上杉軍、前橋上杉軍の様子は?
川越上杉家は周囲を広大な水田地帯に囲まれ、特に城の東部から東南は水田と湿地帯です。
立花家対策に南に7キロ先に今福城を築城、川越城から西南7キロの柏原砦を改修して柏原城に格上げしました。
川越城の東南に7キロの難波田城を修築して強化しましたが、三つの城は立花軍に攻略されてしまいました。
川越上杉家はさらに川越城の近くに四つの砦を新設しました。
東へ2キロに第一砦、南東2キロに第二砦、南西2キロに第三砦、西へ2キロに第四砦を構えて防御力を高めています。
1546年(天文15年)4月21日、日没後~
─川越上杉家の状況─
─川越上杉家、川越城─
前橋上杉家より、坂戸から南下して柏原城を奇襲する為、陽動の為に立花軍の的場陣地に囮攻撃を頼まれて出撃しました。
囮攻撃のはずが敵が少数だった為、本気で攻撃した処にまさかの立花義秀の軍勢が援軍に現れ、散々に負けてしまいました。
川越の町には夕方から敗走して来た兵士が次々に戻って来ました。
上杉朝定、長尾信忠の軍勢が川越城の南西7キロの的場陣地の戦いに敗れ、多数の負傷者を支えて帰還しました。
続いて川越城の南7キロの今福城が陥落、逃げて来た城兵から城主、大胡重宗と援軍の広沢政弘が捕らえられたと知らされました。
川越城の東側を守る軍勢は古河公方家からの援軍、梁田義助の3000と島村仁成の2000の合計5000の軍勢は立花家次期当主、立花義國の10000を相手に善戦していました。
前橋上杉軍の状況は暫く掴めず、川越城に上杉朝定、長尾信忠が戻り、夕刻になって川越城の南の第三砦から前橋上杉軍の軍勢が敗走して来たと報告があり、初めて消息が掴めました。
─上杉朝定、長尾信忠─
「信忠、今福城が落ちた様だな?
大胡重宗、広沢政弘が捕まったとな?」
「はい、詳細は不明ですが、10000の立花軍に包囲され陥落、二人が捕まった事は事実の様です。」
「前橋上杉軍が負けて南西の第三砦に辿り着いたと聞いたが?」
「はい!勝ちに乗り、追撃中に包囲されて負けたと逃げて来た兵士が証言したそうです。」
「それで、上杉英房殿、長尾憲長は確認出来たのか?」
「殿、川越の街中が混乱しております。
家来達に探らせております故、暫しお待ち下さい。」
「左様か、無事なら良いが?
それにしても、明日は川越城に立花軍が来るのだろうか?」
「殿、川越城には四つの砦を新たに配置しております。東部方面の軍勢5000を川越城付近に集結させますから、10000を越える軍勢があります!
簡単には攻略出来ませんから心配には及びませぬ!」
「そうか、解った!信忠に任せる!
頼んだぞ!」
「はい!承知致しました!」
長尾信忠は自らを鼓舞する為に強気を装いますが、頼みの前橋上杉軍が敗走しています。上杉英房、長尾憲長の消息もハッキリせず、実際に川越上杉家に10000以上の軍勢が残っているのか?確証はありません。
負けた兵士が逃亡してる事が多々あります。
軍勢の数は明朝にならないと実数が掴めない状況にありました。
信忠は確認しなければならない多数の役目を兼任しています。
急務は川越城を守る第一砦から第四砦までの防衛体制の確認、武器、兵糧、将兵の配置から連絡体制の確認、川越城内部の防御施設への将兵の配置等、多忙を極めています。
領内の民の避難誘導もしなければなりません。
長尾信忠と配下の近習、家臣達は徹夜覚悟の状況にありました。
─川越、南西第三砦周辺─
─前橋上杉軍─
早朝に山根城を出発、坂戸経由で柏原城に攻め込み、宿敵の立花義秀を追撃していたはずが、釣り野伏せの仕掛けに嵌まり、逆襲されて川越まで敗走して来ました。
凡そ30キロの距離を移動しています。
半分の15キロは追撃されて戦いながら逃げた距離です。
川越の街に入り、川越上杉家の兵士に案内されてなんとか第三砦に到着しました。
川越の街は敗走して来る軍勢に領内民達も混乱して街から逃げ始める状態です。
第三砦の中には入れず、前橋上杉軍は川越八幡宮の境内へ入りました。
長尾憲長は八幡宮の宮司に事後承諾で半ば強引に敷地内に布陣する許可を取りました。
第三砦に食事の提供を求めましたが、無理だと断られ、川越城まで連絡を取るしかありません。
八幡宮の宮司に案内を頼み、川越城に
連絡した事で川越上杉家と前橋上杉家の連絡が取れました。
漸く前橋上杉家の上杉英房、長尾憲長の無事が伝わりました。
食事の提供を頼みますが、断られます。
明朝、川越城内に来るならば提供可能と回答がありました。
前橋上杉軍は補給部隊と別れて博打的戦いに挑み敗れました。
早朝に食べてから空腹のまま、寝るしかありません。戦国武士の常識で兵士達は最低限の乾燥した携行食を持っています。
それで我慢するしかありません。
─上杉英房、長尾憲長─
「義父上、明日まで眠りましょう。
明日になればなんとかなりましょう。」
「婿殿、宮司に掛け合い、五人分の食事を用意させた故、食べなされ。」
「義父上、それはなりません。
兵士達が私達をが守ってくれたのです。
彼らに隠れて頂く事は出来ません。」
「婿殿、総大将が元気でないといかん!
兵士達の為と思いなされ!」
「では、疲労困憊の兵士の中から選んだ五名に食べさせて下さい。私は遠慮致します。」
「ならば仕方無い、五名を選んで与えるわぃ!
婿殿の見てる前で食べさせるそ!」
憲長は英房を含めた五名の幹部だけ、密かに食事するつもりでした。
重要な地位にある物が空腹を満たし、体力を回復するべきだと考えての事でした。
しかし、英房は死力を尽くしてくれた兵士を裏切る行為だと考えてやんわりと断りました。
反発された事に怒りながら、長尾憲長は英房の人柄に感心していました。
憲長に選ばれた兵士五名が英房の前に連れられて、食事を取る様に英房が声を掛けました。
宮司が用意した部屋に招かれた兵士達は当初は喜んでいましたが、食卓に並ぶ食事は麦飯、大根の煮付け、漬物、ウグイの煮付け、菜っ葉の汁と簡素な物でした。
兵士達は戸惑い、仲間に悪いからと遠慮を申し立てます。
英房は席を外すから食べるように言うと立ち去りました。
兵士達は世話役の神職に何故自分達が選ばれたか訪ねました。
神職は長尾憲長から出来るだけ大勢の為に食事を頼まれたが、川越城に兵糧徴発で取り上げられ、五名分しか用意出来なかった事、上杉英房、長尾憲長も食事をせず、五名だけを選んで食べさせる事になったと答えました。
他の兵士には知らせて無いから遠慮無く食べる様に諭しました。
兵士達は空腹に耐え兼ねて食べました。
主君と悪名高き宿老、長尾憲長に感謝しながら食べました。
完食した彼らの前に長尾憲長が現れました。
「本日、我らは一か八かの勝負に敗れたが、諦めてはおらぬ、本来は多数の兵士に飯を食わせたかったのだが、ここの宮司も川越城に食料を徴発され、お前達に与えた分しか用意出来なかった。
お前達には元気を回復して主君、英房様の護衛を頼みたい!宜しいか?」
兵士達は悪投に見えていた長尾憲長から意外な依頼に驚きながら、護衛を承諾しました。
憲長は英房から食事を断られ、咄嗟に浮かんだのは食事させただけでも恩義に感じる状況で、武芸に秀でた若者を護衛に採用する事を考えました。
長尾憲長は、この数日の上杉英房の振る舞いから非凡な才能を感じました。
お飾りの人形として越後上杉家から貰い受けて利用してきましたが、重要な決断を下す時に非凡な判断力を見せました。
数時間前に田波目城に退却すると決めた憲長に初めて反論、納得出来る理由で川越に退却する意義を説いて生還に至りました。
不思議に武芸に秀でた護衛が欲しくなりました。彼は主君でありながら娘婿の関係です。
義理の父として婿に愛情が湧いたのかもしれません。
しかし、川越八幡宮は立花家を支える府中の大國魂神社の系列の神社です。
宮司から立花家の潜入間者に情報が伝わり、稲荷山砦の義秀の元に伝令が届きましたます。
前橋上杉軍、川越八幡宮に到着、上杉英房、長尾憲長の生存確認、軍勢凡そ1000
疲労困憊、兵糧無し、兵士は空腹との知らせが入りました。
─前橋上杉軍、田波目城─
─長尾時長、側近─
長尾時長は川越城に向かった兄と主君の軍勢を生かす為に敢えて田波目城を目指して立花軍の軍勢を引き付けました。
その代償は大きく、3000の軍勢が田波目城に辿り着いたのは1000程の兵力しかありませんでした。
「負けた、酷い負け方をしてしまった。
兄上や主君、英房様は無事に川越に着いただろうか?」
「時長様、兵糧が足りません!」
城主に掛け合いましたが、兵糧が残り少なく、出し渋っております!」
「仕方無かろう、川越上杉家の城の兵糧も先日まで兄上と英房様の軍勢が間借りしてたのだから、大量の兵糧を消費したはず、城主には隣の山根城に残した米30俵を分けると交渉しろ!」
「はい、承知しました。」
米1俵で300名分のご飯になります。
30俵は9000分のご飯に相当します。
時長の提案で城主も納得、田波目城に辿り着いた1000名分の食事が提供される事になり、米と雑穀と芋、野菜混じりの雑炊が振る舞われました。
前橋上杉軍は田波目城と川越城付近の二つ分断された形になり、松千代の思い通り、戦力にならない程弱体化しています。
川越城の重要な支城は全て立花軍が攻略しました。残るは川越城と新設した四つの砦になりました。
立花義秀の判断は?




