1546年(天文15年)4月13日、立花将広、冷静に状況を見極めます。
立花将広の元に房総半島の情報が入りました。
上総国南部の状況は古河公方軍が攻勢を掛けています。
1546年(天文15年)4月13日
─房総半島戦況─
─市原城方面─
古河公方家配下、下総公方家、
足利晴宗、宿老、梁田直助2000
大掾正興2000
千葉利胤5000
原胤貞2000
総勢11000
主将、梁田直助
上総公方家
足利頼純、宿老一色正義2000
里見勢1000
奥住利政4000
楢島正臣2000
久良岐康國2000
総勢11000名
主将、奥住利政
下総公方軍が国境の西野原城、有木城、犬成城周辺に出撃して日々交戦中、上総公方家側に里見軍、立花軍が支援して古河公方軍に隙を与えず撃退する日々が続いています。
立花家宿老、奥住利政が総大将として堅実な策を講じています。
─古河公方家配下、下総公方家─
─市原城、足利晴宗、梁田直助─
東に凡そ16キロ離れた本納城、永田城の戦いに2日連続の大敗の知らせが入りました。
原胤清、一色直頼、結城政勝の戦死が伝わりました。佐竹義廉が立花軍に寝返り、土気城、大椎城が奪われた事が知らされました。
やがて、大椎城から退却した原胤貞が討ち取られた父の首級を抱えて市原城に戻りました。茂原城攻略を目指した古河公方軍が壊滅的打撃を受けた事が判明します。
原胤清の軍勢5000は立花軍の背後を狙いましたが、撃退され千葉家筆頭宿老、原胤清は討ち取られ、敗走した原勢は嫡男、原胤貞に率いられ、僅か2000まで兵力を減らして帰還しました。
残念ながら、一色直頼が率いる古河公方軍が茂原城を攻略して一気に上総公方家の本拠地、南上総城を脅かす策が崩れ、茂原城から里見家の本拠地、木更津城を攻略する想定が破綻しました。
大敗した軍勢が半分以下になり、東金城に退却した事が判明しました。
「直助?東の味方が破れたが、大丈夫なのか?」
「公方様、東の味方が破れても南の勝浦から味方の軍勢が北上します。
里見家の次席宿老、正木時茂が我が軍に寝返りました。彼を加えた反乱軍は常陸国から海上輸送した軍勢と合流して8000の軍勢です。
さらに安房国の軍勢5000を率いる里見義光殿が北上して里見家の本拠地、木更津城を目指します。
東金城の味方は籠城して立花軍を引き付ければ役に立ちます。
我らもこの戦場で立花軍を引き付けるのが役目であります。
主役は南から攻め上がる正木時茂殿と里見義光殿の軍勢です。」
「そうだったのか、里見家を分断して壮大な作戦だな?」
「それが我が兄、古河公方家、筆頭宿老、梁田高助の作戦です。」
直助は苦し紛れの嘘を交えた説明で下総公方、足利晴宗を言いくるめました。
古河公方家の頭脳、梁田高助の考えた策は房総半島全体を巻き込む大規模な作戦でした。
下総公方家を創設、市原城に軍勢を集めて上総公方家、里見家、立花家の軍勢を引き留める間に東金方面から一色直頼が率いる14000の軍勢が茂原城を奪い、里見家の本拠地、木更津城を攻略する事が目標でした。
その作戦を成功させる為、里見家の反乱勢力と結託して先代里見家当主、里見義豊の三男、里見義光を担ぎ上げ、安房の国の反乱軍を纏め、先代当主の本拠地、稲村城を攻略しました。反乱軍は味方を結集して北上、金谷城を目指しています。
さらに里見家当主、里見義堯に反発する勝浦の正木一族と協力、常陸国勢を勝浦湊へ海上輸送して軍勢を結集、里見家次席宿老、正木時茂が里見家から離反して反乱軍と合流しました。
正木時茂は軍勢1000を展開して居城、大多喜城周辺を封鎖して万喜城への通路を遮断しました。
反乱軍は亡き筆頭宿老、原胤清の次男、原胤勝が7000の軍勢を率いて北上、里見義堯の義父、土岐為頼が守る万喜城攻略を目指しました。
─勝浦方面、勝浦反乱軍─
─万喜城攻撃部隊─
原胤勝6000
正木時忠1000
合計7000
主将、原胤勝
万喜城の支城、大野城、国府台城を攻略して万喜城を攻撃中。
─里見家、万喜城─
城主、土岐為頼1000
立花家援軍、鴨下直時1000
─里見家、立花家、大多喜城攻撃部隊─
里見義堯3000→万喜城へ転進
平山広季2000→万喜城へ転進
吉良頼貞4000→金谷城方面へ転進
里見家から離反した次席宿老、正木時茂が籠城する大多喜城を攻撃するが、難攻不落の名城を攻め切れず、攻略を断念、里見義堯と平山広季の5000が万喜城の救援に転進しました。
吉良頼貞の4000は里見義光が率いる反乱軍が北上して金谷城を攻撃した為、救援に向かいました。
─早朝、茂原周辺、永田城─
立花将広の元に上総国南部の戦況が届きました。反乱軍側が優勢で万喜城と金谷城が攻撃されています。
─立花将広、新納忠義─
「忠義、上総国南部の戦いは万喜城と金谷城を攻める反乱軍がやや優勢の様だな?」
「はい、兵力はほぼ同数、里見義堯殿は難攻不落と言われる大多喜城攻めを早めに切り上げたのは正解です。兵力が同数なら守る方が有利になります。」
「まぁ、反乱軍の半分が常陸国と千葉家の借り物の遠征軍だからなぁ、攻め疲れを待てば良いのだ。」
立花将広は上総国南部の状況から焦らず敵方の疲労を待つ事を表明しました。




