1546年(天文15年)3月下旬、上総国、安房国、房総半島に兵火の兆し、里見家の反乱勢力が支配地域を広げます。
房総半島の状況が慌ただしくなりました。
古河公方家の裏工作が成功、上総公方家、里見家、立花家が受け身の形になりました。
1546年(天文15年)3月下旬
横浜湊、六浦湊から予定より早く海路を渡る軍勢がありました。
小机城の楢島勢1000
長津田城の平山勢1000
久良岐城の久良岐勢1000
横浜城の奥住勢2000
総勢5000、上総公方家護衛の駐留軍部隊を支援する部隊です。
上総公方家の緊急事態に備えて即応する部隊で、彼らが房総半島に上陸する最初の部隊になりました。
横浜湊、六浦湊から早朝に出発して3時間で木更津湊に到着、およそ10キロ東の真里谷城に一泊して翌日、北に10キロ先の南上総城に到着しました。
上総公方家を支援する里見家の軍勢と合流、総勢13000、敵対する下総公方家の軍勢14000と互角の勢力になりました。
─府中城─
木更津の里見家から急報がありました。
安房国の反乱が拡大、稲村城の周辺の城が次々反乱軍に攻略され、館山、鴨川、勝浦方面に支配地域を広がったのが判明しました。
─立花義秀、鹿島政家─
房総半島の地図を広げて思案しています。
「殿、里見家の反乱は予想より大きくなりました。安房国の館山、鴨川、勝浦が制圧されてしまうと安房国の大半を失い、上総南部が制圧されます。古河公方家の軍勢が北から更なる軍勢を送るならば上総公方家が危うくなります。」
「政家、古河公方家の策士、梁田高助の張り巡らした網かも知れぬなぁ。向こうに有効な先手を2発喰らった形だな。まだ、次の手があるなら何を仕掛けてくるかだな?」
「はい、北東の東金から茂原に軍勢を配置されると怖いですな?
ここから上総公方家の本拠地上総城を狙えます。さらに立花家駐留軍と援軍の腹背が狙えます。さらに大多喜城を狙えます。
「そうだな、船橋方面の高城家の軍勢や松戸、鎌ヶ谷の立花家駐留軍に抑えの軍勢を噛まして東金、茂原方面から古河公方家の軍勢が来たら苦戦するだろうな?
どんな手を使うか、予測は難しいぞ!
そうだ、二年前、東金城の酒井一族は小弓公方家に使えていたが、古河公方家に敗れた後の領土を割譲交渉の結果、東金城周辺は古河公方家に割譲され、ごたごた揉めた末に千葉家に主を変えたはずだな?
東金、茂原周辺に酒井一族の影響力を発揮されると辛くなるかも知れんな?」
「殿、先代里見家当主、義豊の三男、里見義光を担ぎだした首謀者、正木勝春は里見家宿老の弟です。さらに二人目の首謀者、土岐頼久は宿老、土岐義頼の弟です。さらに三人目の首謀者、酒井忠春が千葉家に仕える東金城の酒井一族です。
これは里見家の宿老、重臣が二つに割れている証になります。
当初の楽観的な状況ではありません。」
「そうだな、二年前、古河公方家に敗れ、小弓公方家が大半の領地を失い、当主と嫡男を失い、領地の大半を失い、上総公方家に改名して再起を図ったが、上総公方家と里見家に重複して仕えてる家臣が多数居たからなぁ、待遇面で不満が貯まったのだろうな?
それに先代からの家督相続争いの火種が残っている。そこに古河公方家の裏工作が二年掛けて火を吹いた。
古河公方家の頭脳、梁田高助!見事な奴だ。」
「殿、古河公方家、岩槻太田家、川越上杉家、前橋上杉家、各々の動きに対応すべく、動員態勢を整えます。敵は鎌ヶ谷、松戸、足立から北武蔵の何処かに軍勢を出すと考えて備えます。」
「政家、それで良し、手配を頼む!」
古河公方家、筆頭宿老、梁田高助は二年掛けて里見家分断の種を育てました。
立花家を中心に上総公方家、里見家の支援が始まります。




