1546年(天文15年)3月下旬、古河公方家配下、下総公方家の軍勢14000が市原方面に移動!上総公方家に侵攻か?!
下総公方家の軍勢が動きました。
南下して市原城に14000の大軍で上総公方家の国境を脅かします。
立花家の対応は?
1546年(天文15年)3月下旬、
─府中─
古河公方家の下総公方創立の影響は里見家を揺るがす事になり、立花家から遠征軍を派遣する事、立花家の養女を里見義弘に嫁がせる事、上総公方家と里見家が婚姻する事を打診すると快諾の返事が届き、里見義弘16歳の初陣を飾りたいと申し入れがありました。
近衛中将府も慌ただしくなりました。
上総国、安房国へ近衛中将府の同盟大名家からも軍勢を出す事になりました。
世田谷吉良家、青梅三田家、滝山大石家、江戸太田家、各々軍勢1000を供出します。
吉良家は当主、吉良頼貞、青梅三田家は当主三田綱重、滝山大石家は当主、大石盛将、江戸太田家は当主、太田景資が各々の軍勢を引き連れて府中に集結しました。
同盟大名家の当主達は府中城にて立花義秀と対面、今回の遠征の意義について説明を受けました。
古河公方家が下総国、小弓城に下総公方家を創立した事で里見家の内部に古河公方家の調略が入り、里見義堯の施政に不満を持つ勢力との結託が心配され、真里谷、正木、土岐、酒井など重臣達の派閥争いが再燃し始めたとの状況を説明しました。
今回の遠征に、立花家、北条家、里見家の水軍と多数の商船が協力して横浜湊、六浦湊から木更津へ大軍を運びます。
同盟大名家の当主達は立花義秀に招かれ、大國魂神社にて戦勝祈願を終えると横浜湊、六浦湊に向かいます。
立花義秀は同盟大名家の総勢4000の主将に吉良頼貞を指名しました。
大國魂神社から同盟大名家の軍勢が府中の領民に見送られ遠征に向かいました。
翌日の事でした。木更津の里見家かさら急報があり、下総公方軍の軍勢14000が市原城に布陣、上総公方家の上総城までわずか12キロの距離です。
上総公方家の軍勢は2000、近くに駐留する南上総城周辺の立花軍は5000、上総城から西に8キロの椎津城に里見家の軍勢は1000、総勢8000と劣勢です。
さらに安房国で反乱が発生、先代の里見家当主、里見義豊の次男の里見義光が正木勝春、土岐頼久、酒井忠治等の有力家臣に担がれ、亡き父の本拠地、稲村城を攻略して周辺の味方を糾合して反乱が広がっていると知らせが入りました。
─立花義秀、鹿島政家─
「政家、古河公方家の仕掛けだな?下総公方家の創立で逆転の札を置いて、大軍14000を国境の市原城に集め、上総公方家に、圧力を掛けて遥か南の安房国、里見家の不満勢力を焚き付けて稲村城を攻略しおった。
先の里見家当主の次男が神輿に担がれた様だな?今の里見家当主、義堯は先代の里見義豊とは従兄弟の関係にあり、義豊が義堯の父を謀反の疑いで殺害、父を討たれ、義堯が義豊と嫡男を討ち果たし里見家の当主となったが、義豊の次男、義光は逃亡して遂に父、義豊の居城を奪還した。
先代の遺臣と不満を抱えた里見家の家臣達の数は侮れないぞ!」
「殿、里見家の家督相続には根深い怨念が複雑に絡みます。古河公方家の筆頭宿老、梁田高助の調略に乗せられた様ですな。」
「政家、下総公方の軍勢が市原城に大軍を集めて居るなら対抗して船橋城の高城勢に国境の高津城を包囲させろ!
松戸城の本多広孝には古河公方軍本隊の動きに警戒を命じる!
鎌ヶ谷城の加賀美勢は幕張城に入り、下総公方家の領地に圧力をかけろ!」
「はい、手配致します。」
「まだ、あるかもな?西新井城の畠山忠義、川口城の立花義弘に古河公方家の動きに警戒する様に伝えろ!」
「はい、手配致します。」
「それから将広を呼べ!」
出陣準備中の立花将広が呼ばれました。
─立花義秀、立花将広─
「兄上、里見家が南北から敵に挟まれたと聞きましたが?」
「将広、下総公方家の西の国境、高津城を高城勢に包囲させる。幕張方面から下総公方家の領地に加賀美勢を侵入させて牽制する。
古河公方家の本隊の軍勢や常陸国の軍勢が松戸、鎌ヶ谷などを狙うのか?岩槻太田領の奪還に来るのか?不明だが、予定通り、木更津湊から里見家の支援に向かってもらうぞ。」
「兄上、楽しみが増えました。臨機応変にやらせて貰えるならなんとかして片付けて参ります。」
「ぶはははは!、好きにしろ、少し兵力を増やして総勢20000を任せる!
同盟大名家の4000と立花軍16000の軍勢を木更津に送る故、里見家を支援して参れ!
名目上、里見義堯を総大将、お前は援軍の主将、副将には新納忠義、吉良頼貞と里見家を立ててくれ、里見家は嫡男義弘の初陣を準備してる故、配慮を頼むぞ!」
「お任せあれ!
兄上、俺は松千代に遠征軍の主将を指名されたのだから、大國魂神社の大神様に守護されてる故、必ず里見家の憂いを片付けて参ります!」
翌日、大國魂神社にて戦勝祈願が行われ、立花義秀、立花将広、新納忠義、松千代、その他の幕僚が祈りを捧げました。
大國魂神社から出発する20000の軍勢は太鼓の響き、日の丸の小旗を振って歓声をあげる領民に見送られて横浜湊、六浦湊に向かいました。
古河公方家が先手を取りました。上総公方家、里見家、立花家が後手を踏みました。
里見家は北と南に敵に挟まれました。
北は14000の大軍。
南は先代里見家当主の遺臣と不満を抱えた家臣が反乱を起こしました。
立花家と同盟大名家の遠征軍が救援に向かいます。泥酔軍師、立花将広はどーする?




