1546年(天文15年)3月中旬、古河城にて下総公方家創設宣言!下総公方家発足!
古河公方家が下総公方家を創設しました。
明らかに上総公方家に対抗する手段ですが、大義名分を使うには便利な存在になるはずです。
関東に波紋が広がります。
1546年(天文15年)3月中旬、
─古河城─
古河城にて下総公方家創設の式典が行われます。新設される下総公方家は古河公方家、当主、足利晴氏の弟、足利晴宗28歳が就任します。晴宗は先代古河公方、足利高基の六男で母の身分が低い為、不遇でしたが、梁田高助が飾りに相応しいと見定めた人物でありました。
足利家の伝統として相続争いが多発した為、長男、次男以下の多くが出家したり他家に養子に出されます。
三年前に梁田高助が晴宗を出家先の寺院から引き抜き、還俗させて武家の作法や教養を学ばせました。
不遇な僧侶として生きるしかなかった彼は梁田高助に未来の道を開かれました。
将来、古河公方家傘下の大名家の養子に入る事を前提とした教養を身に付けました。
そんな、晴宗に新たな役目、新設する下総公方家の当主の役目を与える事にしました。
下総公方設立の式典には古河公方家傘下の大名家から多数の領主、重臣が揃いました。
式典は下総公方家設立の意義を宣言します。
足利幕府、古河公方家の意向に従い、上総公方家を称して混乱を招く勢力と里見家、立花家の反乱勢力を成敗する為に下総公方家を設立すると宣言しました。
式典が終わると古河城から下総公方家の軍勢が下総国、小弓城へ向かいます。
下総公方、足利晴宗の旗本、大掾勢、佐竹勢を加えた4000と儀仗兵6000を合わせて総勢10000が下総国、小弓城に向かいました。
小弓城には千葉家当主、千葉利胤の5000の軍勢が迎えます。
下総公方家の軍勢が小弓城に近づくと太鼓と歓声で迎えます。
小弓城に入った足利晴宗は千葉利胤に出迎えられ、新調された本丸に案内されます。
本丸にて梁田高助の娘と婚礼を挙げました。
古河公方家筆頭宿老の梁田高助の娘を貰い、僧侶だった足利晴宗はお飾りではありますが、大名として家を任される立場になりました。婚礼が終わり、ようやく大勢に囲まれる状況から当主と宿老二人切りになりました。
─足利晴宗、梁田直助─
「晴宗様、これから毎日、公方様と呼ばれる事になりますが、慢心してはなりません。
貴方の役目は我が兄、梁田高助から厳しく教育されたと思いますが、古河公方家の方針に従うお飾りの役目でございます。僧侶の身分から解放され、僧侶よりは楽しく生きる事になりましょう。その為に貴方には役目を果たす義務がございます。
全ての公務は兄に代わり私、梁田直助が取り仕切ります故、晴宗様は逆らわずに従って頂きます。宜しいですかな?」
「はい、梁田高助殿に拾われ、僧侶の身分から比べれば遥かに恵まれた事に感謝しています。古河公方家筆頭宿老の高助殿の娘を妻に貰い、妻帯するなど、夢の様です。直助殿が成されたい事を妨げる事はありません。全てお任せします。」
「わかりました。それで宜しゅうございます。
これより、私は貴方を公方様とお呼びします。公方様は私を直助と呼び捨てにして頂きます。くれぐれもお飾りの役目を忘れず、出すぎた事を為さらない様に忠告しておきます。足利家の血筋を引く若者は梁田家が数人養っております。公方様の代わりが控えてる事を忘れず、役目に専心して頂きます。
宜しいかな?」
「はい、心得ました。これより役目に従います。高助、全て任せる!」
「公方様、それで宜しいでしょう。」
下総公方家の創立で、古河公方家の指示で下総公方家が千葉家を従えて下総国の軍勢を管理統制します。下総公方家の北に位置する常陸国(茨城県)の軍勢が支援する態勢になります。
古河公方家の方針とは?
筆頭宿老、梁田高助の頭脳から考え出された方針です。古河公方家の当主、足利晴氏が梁田高助に頼り切り、丸投げの状態ですから、梁田高助の権力は古河公方家の最高権力を握っています。
下総公方家、宿老梁田直助から南市原の上総公方家に挨拶状が届きました。
小弓城に下総公方家が創立されたから挨拶に来る様に求める内容でした。
不遜な挨拶状に対して上総公方家はいずれ戦場で挨拶すると返答しました。
上総公方家を守護する役目で、南上総城に常駐する宿老、奥住利政から府中に下総公方家の創立に関する報告書が届きました。
─府中城─
─立花義秀、鹿島政家─
「政家、古河公方家もなかなか面白い布石をして来たじゃないか?上総公方家に対抗して下総公方家を創立しやがった!」
「はい、なかなか見事な布石です。古河公方、足利晴氏の弟が新設公方家当主で筆頭宿老が古河公方家の筆頭宿老の弟です。
新しい公方には古河公方家筆頭宿老の娘を正室に押し付けて、完全なお飾り公方が出来上がりました。」
「政家、千葉家は今や40万石の大名だからな、制御するにはそれなりの権威が必要だからな、ぶはははは!上手く考えたもんだな。下総公方家?」
「殿、下総公方家の軍勢に常陸国の軍勢が含まれ、大掾家と佐竹家の軍勢が常駐しております。常陸国の軍勢がさらに増援すると上総公方家の脅威になります。敵方も上手に強化しております。」
「立花家は上総公方家の為に南上総城周辺に駐留軍を5000、上総公方家、里見家の軍勢を合わせて総勢14000ほどだろう。
敵方は推定16000、敵の軍勢が少し上回った形だな。これ以上差が開かぬ様にしなければならんな。」
「はい、古河公方家は昨年常陸国に侵攻して佐竹家を従えて常陸国を制圧して自信を回復しています。侮れない状況です。海路で木更津に増援出来る態勢を取ります。さらに船橋方面から増援出来る態勢を整える必要があります。」
「そうだな、では増援訓練を兼ねて新納忠義に5000を与えて横浜湊、六浦湊から木更津に向かわせるぞ、木更津で里見勢と合流、里見義堯殿に従わぬ家臣を鎮圧させ里見家の内紛を終わらせて態勢を整えるぞ!
政家、近衛中将府を通じて里見家に申し入れてくれ!」
「はい、手配致します。」
下総公方家の存在はこれから影響力を発揮しそうです。
そうなる前に立花義秀は里見家の内紛を抑える必要があると判断しました。
里見家に援軍が派遣されます。




