1545年(天文14年)12月上旬、立花軍本隊は鉢形城から離れ、帰国します。
秩父から長距離を移動して立花軍が府中に戻ります。
1545年(天文14年)12月上旬
鉢形城から立花義秀の本隊が出発しました。
城から追撃せずに見送ります。
城主、藤田友綱は恐怖から解放され、何も出来なかった事を実感します。
立花義秀から詰問された衝撃が残ります。
主家の権力者、長尾憲長に飾りになる事を承知して家督を引き継ぎ、後悔の念が湧きました。近臣達の気遣いと冷たさを感じます。
政治向きの事は宿老の児玉勝長の采配に任され、最後の署名や判子を押すだけの政務が続く毎日になります。
立花義秀は鉢形城に送った使者から鉢形城での様子を聞き、藤田友綱をやり込めた話しに大いに喜びました。
鉢形城から離れても爽快な気分に浸りました。
立花軍本隊は鉢形城から南下、小川、越生、毛呂山、日高と南下を続けます。通過する寺院や城に無害通行を知らせ、鉢形城主の治世に不備が有れば来年に罰を下すと予告しました。
毛呂山、日高周辺は同盟大名の三田家、川越上杉家の領地の境目が複雑に絡む地域を通過します。緊張しながら南下すると同盟大名、三田家の領地、飯能に入りました。
飯能、青梅周辺に一泊、27000の軍勢は翌日、分散して各々の領地や配属地の帰路に着きました。
天神山城の牽制役を果たした大石盛将の軍勢は秩父の街で2日休息して秩父を出立、秩父の民に見送られて横瀬、飯能の山奥から青梅を経由して滝山城に帰還しました。
府中に向かう立花義秀の本隊は青梅から福生、立川を経由して府中に入り出迎えの領地 民に手を振り、大國魂神社にご老公様をお届けすると、本殿にお参りして大國魂神社の大神様に秩父から無事帰還した事を報告しました。義秀、松千代もご老公様もクタクタでしたが、お参りを済ませると爽快な気持ちになりました。
ご老公様に挨拶して神社から府中城へ戻りました。
府中城に戻ると松千代と義秀は風呂に入り、長距離移動の疲れを胃やしました。
「お爺、秩父は武甲山以外にも石灰石が出るだろうね?金山もあるかも?鉛も銅もあるんじゃないの?」
「松千代、石灰石も金山も探してるぞ砂金の採取も藤田家と協力してるから、そのうちいくつか見つかるだろう。」
湯船に浸かりながらのんびり会話しています。
「お爺、秩父は温泉があるから、硫黄と湯の花を購入したら?史実では種子島に鉄砲が伝来してるよ。硫黄がたくさん必要になるよ。」
「そうだな、島津家に鉄砲が来たら融通してもらう必要があるよなぁ。秩父の硫黄と湯の花を購入する様に指示しておくぞ。鉛や銅も探して貰おう!」
「お爺、寺坂の棚田みたいなの秩父にたくさんあれば良いかも?水が豊富だから出来るかもよ?」
「おぉ、それは良いなぁ、藤田家の為になりそうだな、棚田作りを試してみるぞ!」
お風呂で政策が決まってる。
凄い会話になっています。
(笑)
久々に府中に戻り祖父と孫のお風呂の会話が政策に反映します。
史実の知識が役に立つみたいです。




