1545年(天文14年)12月上旬、立花軍、鉢形城へ進軍準備中!
秩父藤田家の支援体制を整え、岡本政國と駐留軍を残して鉢形城へ進軍する準備が整いました。
1545年(天文14年)12月上旬
─秩父─
秩父の街は立花軍が鉢形城に向かう事が公表され活気づきました。
詳しい内情を知らない領民は鉢形城を攻撃すると思い込み噂話が盛んに語られました。
秩父の街に鉢形城から間者が噂話しを鉢形城に知らせます。
鉢形城の藤田本家、藤田友綱は重臣達と協議します。数日前から立花軍が鉢形城に攻めて来る噂が頻繁に報告されており、兵力を結集しています。鉢形城に1000、天神山城に500を配置しています。
鉢形城の北、荒川の対岸に主家、前橋上杉家の援軍5000が頼りです。
立花軍が鉢形城攻撃を準備している情報が入り、前橋上杉家には更なる援軍を要請しています。
藤田本家を継いだばかりの藤田友綱は主家、前橋上杉家の宿老、長尾憲長の言いなりに成れば藤田本家を継がしてやると言われて地位を保証されました。
そんな人物の周りに居る藤田家の家臣には危機を乗り越える勇気や知恵を持つ家臣はおりません。心ある家臣はすでに秩父に追い出してしまいました。
籠城して対岸の援軍に反撃を頼む策しかありません。藤田友綱が頼れるのは長尾憲長から筆頭宿老に付けられた児玉勝長だけでした。
─鉢形藤田本家─
─藤田友綱、児玉勝長─
「勝長?立花軍が攻めて来るみたいだが、大丈夫なのか?」
「殿、鉢形城は難攻不落と言われております。
対岸に上杉家の援軍5000が十分に打撃を加えますから大丈夫です。」
児玉勝長は堂々とした態度で平然としています。上杉家の宿老、長尾憲長に選ばれて送りこまれた人物だけあってお飾りに過ぎない藤田友綱を巧みに操り藤田本家を動かしていました。
─秩父神社─
秩父神社はこの地域の大地主です。広大な社領を持ち神社の2キロ四方が社領となっています。立花義秀は秩父神社本殿の東、道路を挟んだ向かい側の敷地に本営を置きました。
本営を借りた場所は普段は祭の山車を保管する神聖な敷地です。令和の時代には秩父まつり会館の建物があり、周囲2キロに渡る広大な敷地です。
秩父神社大宮司の好意で借りる事が出来ました。今後はこの地に立花家の駐留軍が常駐する許可も取り付けました。
大國魂神社のご老公様の呼び掛けで関東の八幡神社系列の神社、提携する寺院からの支援金、支援物資は立花家の借りた東の本営に運ばれて整理される事になりました。
分家の地位に落とされた藤田家は立花家に救いを求めた結果、大きな支援を獲得しました。
立花家の本営に藤田重綱が立花義秀にお礼の挨拶にやって来ました。
─立花義秀、藤田重綱─
「義秀様、この度は分家の地位に落とされた我々を救って戴き、誠に恐悦至極にございます。このご恩は子々孫々忘れませぬ!」
「重綱殿、前橋上杉家の所業に呆れました。
前橋上杉家を支配している長尾憲長と長尾一族が富みと権力を維持する為に前橋上杉家の忠臣、宿老の重綱殿を貶めるなど、許せぬ故、朝廷から綸旨を戴き、関東の静謐を命じられた我が立花家が立ち上がりました。
必ずや藤田本家の地位を取り返しましょうぞ!
今は支援を有り難く戴いて、力を付けましょう。鉢形城を取り返し、藤田本家の地位に返り咲いた暁には同盟大名家として府中の近衛中将府に参加して戴きますぞ!」
「義秀様、我が藤田家は立花家の家臣にございます。同盟大名など、立場が違います!」
「ぶはははは!重綱殿、今は支えてくれる家臣や秩父の民や神社、寺院の関係者に希望を与えてやれば良いであろう。旧領を回復すれば5万石、これは青梅三田家、滝山大石家と同等の領地を持つ事になる故、当たり前の待遇ですぞ!」
立花義秀の押し切り勝ちになりました。
立花家の同盟大名家は表向き同盟ですが、実情は武田家は別格で対等ですが、北条家は立花家に大敗して同盟を結び、対等とは言えず、同盟以上臣従未満の状況です。
残る大名家はほぼ臣従してる状況です。
立花軍は藤田家の協力で鉢形城の藤田本家を脅しながら帰国する行軍を行います。
敵を牽制する為、大石勢3000が囮の行軍をします。鉢形城の西の要衝、天神山城に向かう様子で長瀞周辺まで進みました。
立花軍本隊は本営に岡本政國の2000を駐留軍として残し、早朝、秩父の民に見送られて鉢形城に向かいました。
鉢形城へ進軍する立花軍、秩父の民に見送られて出発しました。




