1545年(天文14年)12月上旬、立花軍が鉢形城に向かう準備が始まりました。
立花将広の思惑通りに鉢形城に向かう準備が進みます。
1545年(天文14年)12月上旬
─秩父─
前日の宴会で秩父神社は深夜まで賑やかでした。酔いが廻り言いたい言葉が酒の勢いを借りて出るわ出るわ、泥酔軍師立花将広が藤田家の不満の声を聞き出す事に成功しました。
参加者の多くが二日酔いになりました。
立花家と藤田家の事務方が中心となり、必要な支援を確認する作業に入りました。
松千代に指摘された中老、岡本政國は二日酔いのお偉方を宛てにせず、先廻りして仕事を続けました。
二日酔いのお偉方には午前中は酔い醒ましに専念して貰い、事務方は鉢形城に進軍する手順まで藤田家の事務方や武将と相談を始めました。
大國魂神社の指示で関東の八幡神社系列の神社や提携してる寺院からの支援金と物資が秩父神社に集まります。これを管理して藤田の蔵に分配する人数が必要です。事務方と肉体労働する人数が必要ですが、弱体化した藤田家では手が足りません。さらに以前は藤田家は5万石の収入がありましたが、今は推定1万石しかありません。
兵士を300名しか雇えない収入です。
秩父にいる藤田家の兵士は約1000、家族を含めて5000の人々を養う収入が必要なのに支援金と支援物資で足りるのか不明です。
午後になると二日酔いのお偉方も復活して事務方の仕事に参加します。
立花義秀、将広、藤田重綱、康邦親子、三田綱重、大石盛将、岡本政國、藤田家の重臣、神社、寺院関係者が加わりました。
藤田家家臣の居住地の確保が優先され、秩父神社の所有地や寺院の所有地が提供され、低額ながら借地料を支払う事でかなりの居住地が確保出来ました。寺院を城塞に改修拡張する事も交渉の末、幾つかを城塞に改修拡張する約束を取り付けました。秩父の寺院は小高い山に有り、立花家の技術力を加えれば城塞に早変わりします。短期間で多数の城塞が出来上がります。
午後からは懸案が次々対策が決まりました。鉢形城を脅かす手順ですが、秩父の神社、寺院の関係者、出入りの商人から立花軍が3万の軍勢で鉢形城を攻撃する!と噂を流します。
─秩父神社、夕刻─
─立花義秀、立花将広─
「将広、昨日の宴会で盛り上がり、鉢形城をぶっ飛ばす!なんて藤田家の家臣達が騒いでたが、今頃は鉢形城にも宴会の内容が報告されてるだろうな?お前が仕込んだな?」
「ぶはははは!まぁ、兄上、このまま府中に何もしないで帰るなんてつまらんだろ?
少しぐらい悪い奴らを脅かしても神様は怒らないだろう?」
「今頃、鉢形城では騒ぎになってるかもな?
脅すだけなのか?攻めて来るのか?疑心暗鬼になってればそれで良し!」
翌日、鉢形城に進軍する準備が進められました。最短距離は天神山城を経由する道ですが、敵方の奇襲を警戒しながら進むのは危険でした。
そこで迂回して東秩父の山を縦断すると城が存在しない道筋がありました。
天神山方面に進む偽装部隊とは別に本隊が迂回して鉢形城を目指す事が決まりました。
秩父の藤田家に明るい兆しが見えてきました。
鉢形城を脅かす準備が進みました。




