1545年(天文14年)12月上旬、立花家が秩父藤田家を支援します。敵対する陣営の反応は?
立花家がが秩父に大軍を進めました。
前橋上杉家、川越上杉家、古河公方家の反応は各々の立場で対応します。
1545年(天文14年)12月上旬
─前橋山内上杉家─
鉢形城主、藤田友綱から立花軍32000が秩父に侵入したと急報が入りました。
立花軍は分家の藤田重綱、康邦親子を救うと称しており、藤田友綱に近衛中将府、立花義秀の名で通告書が届き、朝廷から託された綸旨に基づき行動していると知らせて来ました。
─上杉英房、長尾憲長─
「義父上、近衛中将府?立花家が秩父に侵入したみたいですが?援軍を出しますか?」
「婿殿、秩父の藤田重綱が家督相続を申し出た時に嫡男は青梅の三田綱秀の娘を嫁に貰っており、立花家に取り込まれると判断して家督を継ぐ事を許さず、藤田友綱に家督を継がせて本拠地の鉢形城、天神山城を任せ、藤田本家の領地の収益の高い地域を与えました。藤田重綱、康邦親子は温情で分家として残した恩を仇で返した様ですな?予想通りでした。」
涼しい顔で責任は分家の藤田重綱、康邦親子だと主張する憲長に違和感を感じながら、抵抗せず、義父の宿老、長尾憲長に逆らわず聞き流す上杉英房。
「はい、義父上の予見は正しかった様ですね。」
長尾憲長は藤田友綱に家督を継がせる際に鉢形城に溜め込んだ財産の半分を上杉英房の為に供出せよと命じ、収益を長尾一族に分配しました。藤田友綱は家督相続など想定外の地位と財産を手に入れた若者でした。
財産の半分を供出しても何も損だと思わず、主家の為ならと喜んで供出しました。
長尾憲長は鉢形城を与えた藤田友綱の税収から上納する仕組みをつくりました。
立花家が鉢形城や天神山城周辺に侵攻しない限り、上納金が手に入ります。
上納金を長尾一族や支持する取り巻きに与える事で自身の権力を高める為に使います。
分家の支配地域が立花家に取られても切り捨てる姿勢でした。
前橋上杉家の宿老でありながら上杉憲政を強制的に隠居させて、越後上杉家の領主の弟を主君の地位に飾り、娘を嫁入りさせて主君の義父の地位を得て、独裁的権力をさらに強化しました。長尾憲長は冷徹に判断を下します。鉢形城の藤田友綱に5000の援軍を向かわせると伝え、鉢形城の荒川対岸、寄居に軍勢を布陣させました。
立花家の軍勢が来襲したらさらに10000の軍勢を援軍を派遣すると伝えますが、状況次第で切り捨てる覚悟をしていました。
立花家の軍勢と戦うなら古河公方軍の支援無しには勝てないと見越していたからです。
古河公方軍は12月の寒さに耐えて利根川を渡り、さらに冷たい荒川を渡り援軍を出すとは考えられず、古河公方軍の支援は見込めません。立花軍が鉢形城を攻撃しない事を祈るしかありませんでした。
─川越上杉家─
─上杉朝定、長尾信忠─
「信忠!立花軍が秩父に大軍を向かわせたらしいじゃないか?どーなんだ?」
「はい、秩父の藤田家の相続に介入したらしく、大軍を秩父に送りました。立花義秀が軍勢を率いております。秩父から北に侵攻して鉢形城を攻略したら川越城の西側を守る藤田家が消滅、西側から立花家の軍勢が川越に向かう恐れがあります。」
二人が意見を交換している最中に川越城の南8キロの難波田城から急報が入りました。
「申し上げます!志木城に立花義國の軍勢15000が布陣しました。先鋒部隊が難波田城に接近中故、援軍をお願い申し上げます。」
「何ぃー!信忠!どーする?」
「殿、城外に広沢政弘の即応部隊2000が待機しております。直ちに難波田城に向かわせ、川越城に軍勢の招集を始めます!」
「信忠!任せたぞ!」
立花家は川越上杉家を牽制する為、時期当主、立花義國が大軍を率いて川越城を脅かしました。川越城と志木城の距離は16キロほどになります。難波田城はその中間に位置しています。
─古河城、古河公方家─
─足利晴氏、梁田高助─
立花軍が秩父に侵攻したと知らせが入りました。さらに志木城方面に立花軍が現れ、川越城が脅かされていると急報が続き、古河城内が騒がしくなりました。
「高助?立花軍が珍しく攻勢を仕掛けて来たぞ!どーするんだ?」
「公方様、まだ情報が少なく、ハッキリしませんが少なくとも川越城が攻撃されるなら援軍を出します。秩父なら前橋上杉家の領地ですから、采配を仕切る長尾憲長なら対応出来るでしょう。」
「高助、川越上杉の支援が遅れたら不味いかもしれんが?」
「公方様、春日部城の一色直頼、宮代城の野田弘朝、岩槻太田資正に大宮城に向かわせます。まぁ8000の兵力になりましょう。」
「そうか、高助に任せたぞ!」
相変わらず、丸投げする晴氏でした。
秩父に向かった立花軍を支援する為、次期当主、立花義國が川越上杉家を牽制します。
さて、この先の展開は?




