1545年(天文14年)3月、府中に春が来ました。
松千代の提案で同盟大名家と物産展を開催してみました。賑やかにたくさんのお客さんが集まります。
1545年(天文14年)3月
冬が終わり、3月になりました。先月の2月から梅が咲き、3月になると街の中に花の香りが漂い、春が来たと知らせます。
まだ、寒い日が続きますが、少しずつ気温が温かくなりました。
近衛中将府の普請は天気に恵まれて完成が早まりそうです。
昨年12月に近衛中将府の設立を公表した頃、古河公方家、関東管領家が、敏感に反応しましたが、紙芝居を通じて商業、物流同盟だと強調して宣伝した効果なのか、両家は今のところ軍事的な動きをしていません。
朝廷からも古河公方家、関東管領家を刺激して争乱にならぬ様に指導を受けています。
立花家は松千代の提案で同盟大名家の物産展を開催しました。
近衛中将府の近くに普請した商業施設は屋根付きの市場と、外に屋台を並べ、府中囃子の太鼓を響かせて祭りの雰囲気で来客を迎えます。
同盟大名家の産地から運ばれた野菜、漬物、酒、団子や地元で流行りのご当地食堂が出店して行列が出来ました。大名各家の鍋自慢大会が開かれ、旨さを競いました。審査は集まった客が実際に食べて投票しました。他には相撲大会、駆け足競争が行われ、子供から大人まで、年齢や対格別に行われ、大好評でした。さらに大名家の綱引き大会などの娯楽を提供して賑わいました。
松千代が考案した里芋コロッケ、薩摩出身の祖先を持つ新納忠義の家庭の味だった薩摩揚げ、などを出来立ての熱々を提供すると行列が並ぶ大人気になりました。
府中では松千代や義秀が昭和、平成時代の前世の記憶から思い出した物を再現して来ました。
最初は松千代がラーメン食べたいとねだった事がきっかけになりました。
立花領内にはラーメン屋、お好み焼き屋、たこ焼き屋、蕎麦屋、うどん屋、豚丼屋、トンカツ屋、豚鉄板焼き屋、焼肉屋、オムレツ屋、おむすび屋、和菓子店等がチェーン展開しています。
立花領内の飲食店は立花家の調理、衛生教育を受けて調理師の資格を持たないと店を出せません。
食中毒を出さない為、厳しく管理しています。
同盟大名家が出店する料理人達には事前に立花家の調理、衛生知識を学ばせて今回の催しに参加させました。
小田原、北条家の料理人が薩摩揚げの作り方を学ぶ姿を見た松千代は彼らに薩摩揚げの作り方に似ている蒲鉾作りを提案しました。
小田原はたくさんの魚が集まり、取れた魚をすり身にして蒸して保存食にもなります。
松千代と北条家の料理人、立花家の料理人が協力して蒲鉾作りに挑戦しました。
府中には品川湊の早朝の市場から仕入れた鮮魚が運ばれます。手軽に手に入る鯵、白身魚を仕入れて試作を始めました。
最初に出来た蒲鉾は緩くて形が崩れました。松千代は前世の記憶をたぐり、料理教室で習った時に卵白、片栗粉を使ってたのを思い出しました。
片栗粉は手に入らないので小麦粉を使い、卵白を入れて蒸し上げると蒲鉾が出来上がりました。
薩摩揚げを作る技術が蒲鉾作りに生かされ、立花家、北条家の料理人が協力して蒲鉾が出来上がりました。まだ、試作段階ですが、出来立ては温かく美味しく食べられます。松千代の護衛をしている4名の美人侍女達も美味しそうに食べています。
翌日料理人たちから呼ばれ、松千代に出された蒲鉾は綺麗に形が整い、商品として完成していました。松千代は小田原名物になるぞ!確信しました。
松千代が喜びの声をあげます。
「みんな、かまぼこおいしいょ!すごーい!ありがとぉー!」
「松千代様、こちらこそ、新しい商品が出来ました!感謝申し上げます!」
と言いながら、松千代の側に控える美人侍女4名の微笑に目が釘付けでした。
松千代の提案で、完成した蒲鉾を物産展に集まった客に山葵醤油で試食させると好評でした。
物産展は2日間、多数の来客で賑わいました。まだ、お試しの開催でしたが、今後の運営に参考になる良い結果に同盟大名家の関係者は安堵しました。
─立花義秀、松千代─
松千代が蒲鉾を手土産に義秀に逢いに来ました。
「お爺ぃー!おみやげ、かまぼこのおみやげ、食べてみて!」
「おぉー!蒲鉾だぁ!懐かしい味だな、松千代?どこで作ってるんだ?」
松千代から経緯を説明すると小田原北条家の為になると理解して喜びました。
「ぶははは!松千代、小田原名物の蒲鉾誕生だな?偉いぞ!史実より早くなったが、それも善かろう。」
お試し物産展が成功しました。
蒲鉾は平安時代から食べられてたみたいですが、小田原名物の蒲鉾は史実では江戸時代に誕生します。50年位早く名物になりそうです。




