1544年(天文13年)12月上旬、近衛中将府の普請が始まります。
立花家の近衛中将府の普請が始まりました。
府中の街にたくさんの働き手が集まります。
立花家の組立式工法なら早くに完成しそうです。
1544年(天文13年)12月上旬
立花家は帝、後奈良天皇からの関東静謐の綸旨を戴きました。
古河公方家、関東管領家が関東を平穏に納める事が困難であれば、立花家に関東静謐の任務を与えると、室町幕府と出先機関の古河公方家、関東管領家の権威を否定する命令が与えられました。
朝廷からは近衛中将府を開き、関東の安寧の為に軍事行動、外交活動の自由が認められました。
立花家は領内全域と同盟大名の領内で紙芝居を使い、立花家の評価が高まり、敵対する古河公方家、関東管領家の評価が下がりました。
紙芝居の宣伝効果が波及します。
噂は関東を超えて甲斐国、信濃国、駿河国、越後国まで広がりました。
府中城の近くに近衛中将府の敷地の普請が始まりました。
同盟大名家の大使館と大使公邸、兵士や職員の宿舎が立花家の負担で用意されます。
完成すると同盟大名家から大使と商務奉行、商人達が働く場となります。
─府中城─
─立花義秀、鹿島政家─
「政家、堺にご老公がいらしたお陰で近衛家の奉行が奔走してくるたみたいだな?」
「はい、最近の幕府は都から足利家の将軍足利義春様が追い出され、近江周辺を転々としてる有り様で領地を家臣に横領され、率いる軍勢もありません。
三好、細川、畠山、六角、朝倉などの大名が争い、都周辺は戦乱に乱れておりました。とても我々が上洛出来る状況にありませんでした。」
「そうか、将軍家が不在か?噂には聞いていたが、事実とは呆れたなぁ。それで近衛家には世話になった様だな?」
「はい、近衛家の計らいで帝から綸旨を戴きましたが、綸旨は帝の言葉を蔵人の役人が作成した書状ですから、早く発行されます。」
「書状が勅書ならば関白、太政大臣から何名もの朝儀に参列する公家達の署名が必要になり、大幅に遅れたでありましょう。」
「近衛家は早急に出せる綸旨を帝にお願いしてくれたのです。」
「左様であったか、近衛家や世話になった方々へのお礼を弾むぞ!」
「はい、承知致しました。」
後日、堺で世話になった人々や皇室、近衛家、九条家に大量の感謝の品物が贈られました。
紙芝居の宣伝効果のお陰で古河公方家、関東管領家の評価が下がりました。
彼らが黙ってるとは思えません。
さて、どーなりますか?




