1544年(天文13年)10月下旬、小田原にて、立花将広の泥酔外交が広がりました。
泥酔軍師立花将広が3日間呑んで語って北条家との距離を縮めわ絆を結びます。
1544年(天文13年)10月下旬
─小田原城─
北条氏康、北条玄庵の二人に加え、北条綱成も3日間の婚礼の間、立花将広と長い時間語り合いました。小田原名物と府中名物の物産展の開催や、互いの街に大店を出店したり、海上物資、陸上物資の輸送協力、宅配事業や郵便事業、相模川、境川から分水して相模原~町田~座間周辺に用水路を作り田畑を増やす話など泥酔しながら未来に繋がる夢を語りました。
「氏康殿!北条家と武田家は縁を結んでおらんが、互いに立花家と縁が繋がったのだ。両家は親戚と思えば互いに付き合い易くなるだろうが?如何かな?」
泥酔した勢いで将広が氏康に問いかけました。
「そうですなぁ、それも良いでしょうが、武田家は今川家と婚姻関係にあります。我が北条家は今川と手切れになっております。武田家が我らを嫌うでしょう。」
氏康はやんわり無理と表明します。
「ぶははは!やはり無理だわな?済まん氏康殿、忘れてくれ!」
試しに話をしてみましたが、北条家、武田家の間には溝がありました。3日間の婚礼の間に互いに多岐にわたり話をした事で立花家、北条家の繋がりが強くなりました。
婚礼が終わり、立花将広は行列を率いて帰国しました。
呑んで語って立花将広、泥酔するのが仕事です。
北条氏康、北条玄庵、北条綱成、史実の名将達と熱く語り合い、親交を深めました。




