1544年(天文13年)10月下旬、立花将広率いる花嫁行列が小田原を目指します!
立花家と北条家の婚礼の時が来ました。
立花将広の泥酔外交が始まります。
1544年(天文13年)10月下旬
立花将広が率いる花嫁行列は府中から南下して多摩川を渡り、関戸城を通過、鎌倉街道から小野路城を抜けて町田街道に入り、原町田近くに新築中の芹ヶ谷城を眺めながら、座間城に入り、宿泊しました。
2日目は海老名の渡しから船で相模川を渡り、平塚城に泊まり、3日目にようやく昼過ぎに小田原に到着しました。
小田原の街は花嫁行列を多数の領民が迎えました。拍手と歓声に包まれて歓迎を受けました。
小田原城から駿河湾の眺望が素晴らしく、夕陽が落ちる頃は最高に綺麗な空と海の絶景を見ながら、太鼓や祭り囃子の音が響きます。
夕陽が落ちました。
婚礼が始まります。日没しても小田原名物、大きな小田原提灯の明かりが派手に飾られ、賑やかな宴が始まりました。
一通り初日の儀式が終わると、立花将広の周りには北条家の武将達が集まり、座間城の戦いの時の戦略、戦場の駆け引き談義が盛り上がります。滝山城の戦い、古河公方軍との岩槻太田領の戦いなど時間を忘れて盛り上がりました。
北条氏康、北条玄庵とも親しく談笑しながら、木更津湊拡張の支援や上総公方家の支援の件や、里見家と北条家の経済交流の話題など、泥酔しながらもしっかり将来を見越した話題を話し合いました。
婚礼は和やかに3日間続きました。立花将広の泥酔外交は北条氏康、北条玄庵と親密になった事で大いに成果が上がりました。
立花将広が北条氏康、北条玄庵と親しく語れる関係になりました。
立花家、北条家の絆が出来ました。




