1544年(天文13年)10月中旬、立花将広、花嫁行列を率いて甲府へ向かいます。
立花将広が花嫁行列を指揮して甲府へ向かいます。泥酔外交が始まります。
1544年(天文13年)10月中旬
早朝に八王子城を出発した花嫁行列は八王子の領民が沿道で歓声をあげ、手を振ります。百合姫は輿に乗り換えて進みます。
甲府までは60キロです。
高尾から小仏峠を超えて武田領に入ると大月の領主、小山田信有が出迎えます。
将広とは三年振りの対面です。
挨拶を交わすと馬を並べ、思い出話をしながら上野原に到着、2日目はここで宿泊します。
八王子から20キロほどですが、山道で花嫁の輿入れ道具やお祝いの品物を運ぶ為、長距離移動を避けています。3年前に甲府まで行軍した将広が花嫁行列の行軍予定を無理のない予定を組んでいます。
3日目、早朝に出発、大月を抜けて勝沼に到着、勝沼に宿泊、4日目の昼過ぎに甲府の街に入りました。沿道から領民が行列を歓迎します。躑躅ヶ崎館に到着しました。
婚礼は夜から始まり、3日に渡り続きました。
武田信繁19歳、百合姫17歳、立花家と武田家の絆が結ばれました。
立花将広は滝山城の戦い、座間城の戦い、岩槻太田家との戦いの体験を語り、武田家の武将達から大人気でした。
滝山城を改築する際に発覚した滝山城一帯がお寺の領地で賃貸契約、借地だった事や、お寺の和尚と泥酔しながらの買収交渉など、面白可笑しく暴露話をすると爆笑の連続となりました。
滝山城の戦いの準備の話題や、将広の次男が大石家の家督相続する経緯や、前橋上杉軍との戦いの作戦や戦いの様子、総大将同士の一騎討ちの様子から和議に至る経緯は大いに盛り上がり、味方の岩槻太田家が裏切られ、間一髪窮地を逃れた話や、古河公方軍の大軍同士の戦いを語り、武田家の武将達が盛り上がりました。
宴席の後は武田晴信、板垣信方、など、山県昌景、馬場信春と語らい、親交を深めました。
将広の話題は合戦から立花家の領国経営など多岐に渡り、晴信も泥酔軍師、立花将広の魅力に嵌まる事になりました。
3日に渡る婚礼は盛大に行われ
将広の泥酔外交の日々が続きました。
婚礼が終わり、立花家、武田家の同盟が固まりました。
花嫁より、もしかしたら立花将広の泥酔外交が目立ったかもしれません。
立花家、武田家の絆が強くなりました。




