1544年(天文13年)10月中旬、立花家と武田家の婚礼が行われ、同盟が成立します。
念願の武田家と同盟する事になりました。
豪華な行列が甲府に向かいます。
1544年(天文13年)10月中旬
立花義秀は武田家と同盟を組むにあたり、まず、経済交流を深めました。武田領の甲斐国、信濃から取れる高菜、行者ニンニク、葡萄、桃、梨、芋類、蕎麦の実、ほうとう、漢方薬を購入します。府中の民は信州産の高菜、行者ニンニクが大好きで高値で購入します。信州産の蕎麦の実は評価が高く、高値で購入します。葡萄は甲府に場所を借り、ワイン製造を目指して酒蔵経営の実験を始めました。ワイン造りに成功したら共同出資で拡大する約束を取り付けました。
ほうとうは甲斐国の自慢の麺類です。カボチャが未だ九州に伝来して間もないのでカボチャ無しで、ほうとう鍋を食べています。
立花家の商人が甲斐国のほうとう、松茸、漬物を領民から直接買い付けたり、甲斐国の商人から購入します。特に松茸を高値で買い付けますから甲斐国の庶民にも現金が渡る様になりました。
立花家からは塩、米、鰹節、干魚、清酒、焼酎、お茶、豚、さつま芋を輸出します。豚とさつま芋は薩摩島津家との貿易で史実より早く立花家に普及しています。
甲斐国は先代、武田信虎の悪政で特に貧しいとされています。
義秀が甲斐国の民を早く救いたいと考えて豚、さつま芋を普及させたいと考えて、豚の飼育、さつま芋の栽培技術を伝える人材を派遣しました。
その見返りに甲州流の治水技術の提供を依頼しました。河川の洪水対策の技術者の派遣を依頼して高額の技術提供料を支払いました。
10月中旬、武田晴信の弟、武田信繁に立花義秀の娘、百合姫が嫁ぎます。
─府中城─
─松千代、百合姫─
「姉うぇ、行かないで、はなれたくないから、行かないでぇぇ!」
大好きな姉(正確には叔母)が甲斐国へ嫁ぎます。
4歳には悲しい別れになります。
百合姫は松千代を抱き上げて頬擦りすると涙が零れました。
「松千代、泣かないで、涙がでちゃうじゃないの。」
付き添いの従者に促され、松千代を侍女に託して百合姫は父義秀、母や親族に最後の挨拶をして馬車に乗りました。
「百合ねぇだいすきぃぃー!」
松千代の声が響きます。その声が
親族達の涙を誘いました。
府中城から儀仗騎馬隊1000、
儀仗弓部隊500、儀仗長槍部隊500が百合姫の馬車を護衛して甲州街道から大國魂神社前を通り、沿道で見送る領民達の歓声に百合姫は手を振り応えます。
前日に大國魂神社の本殿にお参りしています。猿渡家の大宮司に結婚の報告をして、祝福のお祈りを頂き、挨拶を済ませています。
大國魂神社の大神様に手を合わせて涙を流しました。
甲州街道を西へ向かい、八王子に一泊すると、翌日早朝、八王子城主、立花将広が花嫁行列を率いて甲斐国、甲府を目指しました。
八王子城主、立花将広が花嫁行列を率います。
親交ある武田晴信とは三年振りの対面になります。立花家代表なんだから泥酔しなければ良いのですが……(笑)




