1544年(天文13年)5月2日、立花義秀、2ヶ月に渡る戦いが終わり、戦後処理、論功行賞、外交に忙しくなります。
里見家から房総半島の状況を変える再建策、請願書が届きました。
立花義秀の判断は?
1544年(天文13年)5月2日
─府中城─
里見義堯から届いた請願書は小弓公方家が敗れ、敗戦から立て直す再建計画の請願書でした。
名称を上総公方家に改めます。
本拠地の城を上総城(市原市)と名称を新たにします。
─誓願内容─
①上総城拡張費用
②領内の城の修繕、改築費用
③椎津湊の整備費用
④立花軍の常駐要請
⑤立花軍常駐用の城の新設
⑥楢島、平山、久良岐三名の常駐要請
⑦里見家の財政支援要請
─立花義秀、鹿島政家─
「やはり、来たな、費用は出すぞ!
先行して上総公方家、里見家に支援金5000貫(5億円)届けてやれ!」
「はい、手配いたします。」
「政家、これはかなり大掛かりの支援になるぞ!
現地であれこれ采配を振るう人物が必要だな?軍勢の指揮から築城、湊の整備から上総公方家、里見家家との外交まで扱える人物を派遣したいが、誰が良いか?」
「殿、宿老なら、奥住利久、中老なら伊集院忠久、新納忠義、畠山忠國の4名なら軍事、外交、諸々対処出来るでしょう。」
「良し、これは宿老から奥住利政に任せる!」
「あまり目立たぬが何事も堅実に出来るからな。」
「普請奉行など必要な人材を選んで活躍して貰うぞ!」
「はい、承知いたしました。」
「それから、戸塚の戦いで軍規違反の処分については本人二人が戦死して後継者の平山広季、久良岐康成の活躍次第になっておったな?」
「はい、後継者の活躍次第で審議する事になっております。」
「さらに継続審議中にする!あと半年すれば事件を忘れて文句言う者も消えるだろう。皆で忘れてしまえば良い!」
「はい、二人に伝える手配を致します。」
「殿、川越の扇谷上杉家が和議交渉を破り、古河公方家に加担した事については如何いたしますか?
「政家、青梅の三田綱秀、綱重親子に飯能、入間、秩父辺りの小規模領主から調略して扇谷上杉家の重臣を調略する様に頼んでくれ!調略資金の名目で5000貫(5億円)ほど出してやれ!」
「はい、手配いたします。」
「まぁ、しばらくは調略中心で良いだろう。」
里見家の請願を受け入れて宿老を派遣する事になりました。
川越の扇谷上杉家には調略を仕掛ける事になりました。




