1544年(天文13年)4月28日、船橋周辺に立花家、高城家の軍勢と千葉家の軍勢が決戦の気配になりました。
船橋方面に立花家の援軍新納勢が到着、花輪城の高城義春の軍勢と合流しました。
新納勢は到着後、本多広孝から借りていた加賀美利久の軍勢3000を本多広孝に戻し、高城義春から借りていた高城義明の軍勢2000を高城義春に返して軍勢の再編成を実施しました。
3キロ離れた津田沼城に千葉家の軍勢が集結しています。
決戦の気配が高まりました。
1544年(天文13年)4月28日、
─船橋、花輪城、津田沼城周辺─
西の花輪城周辺に立花家から新納忠義の援軍が到着しました。高城義春の軍勢と合流して3キロ離れた津田沼城の千葉家の軍勢と決戦が迫ります。
─立花軍22000─
新納勢7000
高城勢7000
本多勢8000
─古河公方軍、千葉家12000─
千葉利胤勢5000
原勢4000
酒井勢3000
─津田沼城(別名鷺沼城)─
─千葉利胤、原胤清─
早朝、津田沼城本丸最上部から眺める立花軍の大軍を前にして千葉利胤が不安な気持ちになりました。
津田沼城から立花軍の花輪城まで3キロ、立花軍は城の前に布陣してるのが見えています。
「胤清、大丈夫かな?勝てるだろうか?」
「殿、敢えて死地を求めて意地を張ります!」
「千葉家が舐められては下総国、上総国まで離反する者が現れます。」
「胤清、意地を張るのも解るが、勝ち目はあるのか?」
「殿、津田沼城は別名鷺沼城、沼地や湿地に囲まれております。立花軍の大軍も沼地に引き込めばそれほど怖くありません。誘き寄せて叩きます。」
千葉家宿老、原胤清が先代当主の頃から千葉家を実質取り仕切っています。千葉家は数世代前から宿老、原一族が主人に代わり家政を握っています。戦いは原胤清が主導します。
原胤清は嫡男、原胤貞の4000を津田沼城の北側に配置、娘婿の酒井勝春の3000を津田沼城の南に配置しています。
千葉利胤、原胤清の率いる軍勢4000を津田沼城の西に布陣させて、津田沼城内に1000の軍勢を配置しました
早朝、津田沼城本丸に嫡男、原胤貞、娘婿、酒井勝春を呼び出して軍議を開き、作戦を確認しました。
─花輪城、立花軍─
立花軍の主将は次席宿老、本多広孝です。
新納忠義、高城義春、立花義秀の三男、加賀美利久、高城義春の弟、高城義明を加えて軍議を開きました。
津田沼城の周辺に沼地や湿地が多数あり、千葉利胤の軍勢は地勢を生かした策を用意してると推測しました。
南には海岸が迫り、大軍の攻撃に適して無い事が判明しました。
新納忠義から津田沼城の北東、8キロ高津城を攻撃する提案がありました。
高津城を確保すれば、千葉家の軍勢は退路を断たれる恐れから幕張城方面に退却すると主張しました。
高津城を攻略したら南に向かい、津田沼城の背後の幕張城に向かいます。千葉家にも情報が伝わり、津田沼城から退却すると予想されます。
新納忠義の提案が採用されました。
軍議が終わると新納忠義の軍勢7000が移動します。
その様子を津田沼城本丸最上部から
監視していた千葉家の兵士から本陣の原胤清に報告しました。
胤清は高津城に向かうだろうと考え、北側に伸びる成田街道から高津城に向かうだろうと考え、成田街道に伏兵500、高津城に援軍500を派遣しました。
物見を増やして新納勢7000が陣地を空にした事を把握すると作戦の変更を考えました。
津田沼城の西に布陣した千葉利胤の本隊を餌に立花軍を沼地に引き寄せて叩くつもりでしたが、高津城が奪われるのは時間の問題でした。
立花軍の正面に布陣していた本隊4000を撤収、城内に入り東門から抜けて正反対の東に布陣しました。
小雨が降ってきました。
津田沼城周辺が霞に包まれます。
北側に布陣している原勢も少し後退します。南側に布陣していた酒井勢も後退します。
暫く傍観していた高城勢が津田沼城の南に回り酒井勢をゆっくり追い始めます。本多勢も北側から原勢をゆっくり追います。
津田沼城の北側には田畑が多く、細い道を慎重に追撃します。
津田沼城の南側には海岸が迫り、強風を避ける防風林沿いの道を追いかけます。沼地に迫ると慎重に進みます。
想定していた湿地で襲われる事無く、北側から本多勢、南から高城勢が湿地を抜けて開けた畑と原っぱが広がる場所に抜けました。
雨脚が強くなり、慎重に追撃した本多勢、高城勢は小競り合いしながら湿地を抜けて安心ししました。暫く進み出すと待ち構えていた千葉家の軍勢に包囲されました。
細い道幅から抜けた先に待ち構えた千葉家の軍勢が少数の本多勢、高城勢を包囲して叩きます。
後続の本多勢、高城勢は細い道幅から次々戦場に入りますが多勢に少数が包囲されてしまいます。
雨は本降りとなり、戦場の音を書き消し、本多広孝、高城義春も先鋒部隊が包囲攻撃を受けてる事が伝わりません。
軍勢の隊列が延びきり、雨が千葉家の軍勢に味方しました。
北東の高津城の攻略に向かった新納忠義は成田街道で伏兵に出逢い苦戦しました。
やがて高津城攻撃がバレたと判断して進路を変更、幕張城に向けて南に向かいました。
新納勢が幕張城に向かう事が原胤清の元に報せが入ります。
胤清は直ぐに撤収を決めました。
先に酒井勢を幕張城に向かわせ、嫡男、原胤貞に幕張城の北側の街道筋に布陣を命じました。
胤清は残る本隊の軍勢4000を率いて殿軍を務めて退却を開始しました。
雨はさらに強くなり、本多勢、高城勢も追撃を中止、万が一深入りして痛撃を喰らうのを恐れました。
暫く雨は強く降り続き、夕刻には雨があがり、晴れ間が現れ、幕張周辺が夕陽に照らされました。
本多勢、高城勢は津田沼城の2キロ西に布陣しました。
津田沼城の北側では原胤貞の軍勢が新納勢と戦い、突破されるのを防ぎました。
やがて日没になりました。
千葉家の軍勢は津田沼城から幕張城まで6キロの追撃戦を耐えて退却したのは見事でした。
両軍の兵士は雨に打たれずぶ濡れです。
千葉家の軍勢は疲労困憊、幕張城の東に流れる花見川が決壊して辺りは水浸しになりました。
花見川の決壊で本拠地方面の退路が断たれています。明日も戦いが続くなら厳しい状況です。
流石に図太い原胤清も不安になりますが、そんな顔など見せずに当主、千葉利胤を連れて将兵を励まして廻ります。
不安になっていた将兵が励まされ、精気を取り戻しました。
原胤清が鬨の声を挙げさせました。
エイエイ!おぉー!
エイエイ!おぉー!
エイエイ!おぉー!
エイエイ!おぉー!
幕張城の各部隊が鬨の声を挙げると次第に戦える気力が湧気あがり、将兵の顔が元気になりました。
城に残る兵糧から雑炊が作られ、兵士達は腹を満たしました。
─幕張城から西2キロ─
─立花軍陣地─
立花軍は追撃戦で花輪城から7キロ進んで来ました。兵糧を持たずに幕張城付近に布陣しています。
立花軍の将兵は一人一人が最低限の携行食を携帯しています。
さらに小部隊毎に乾燥させた固形食を数頭の馬で運びます。
緊急時はそれだけで食事を済ませます。
─本多広孝、高城義春─
見回りを終えた義春が報告に戻りました。
「本多様、兵士達に携行食が行き渡りましたが、腹を満たしてはおりません!携行食だけでは疲労の回復には不十分です。」
「仕方あるまい、急な進撃に補給は間に合わぬ、さらに土砂降りの後で道が悪くなり、明日の昼まで兵糧は届かぬぞ!」
「本多様、それでは明日の戦に響きますが…」
「まぁ、大丈夫だな。もう戦わなくても良いだろう。」
「これより、千葉家に和議の打診をしてみるつもりだ!」
「和議ですか…なるほど…」
「そうだ、両軍共に雨に打たれながら戦い、意地を貫いた!もう、互いに話し合いで国境を決めた方が良いだろう。」
「本多様?義秀様から和議の許しが得られるか?心配ですが?」
「だははは!心配無いぞ、緊急時には全て委任するとお許しを頂いてるからな!」
「それなら安心で御座います。」
本多広孝の決断で幕張城に使者が派遣され、和議を申し入れました。
千葉家が受け入れて明日、幕張城から2キロ離れた宝満寺にて和議交渉となりました。
高城領に侵攻した千葉家との戦いは悪天候の激しい追撃戦になりました。
両軍疲労困憊の状態に立花家次席宿老、本多広孝が和議に持ち込む決断をしました。
千葉家も和議に応じて明日、和議交渉がはじまります。




