1544年(天文13年)4月27日、岩槻太田領を巡る和議交渉が始まります。立花義秀の思惑は?
長尾憲長の想定していた展開は舎人城が2日目の攻撃に持ちこたえて、長尾憲長から和議提案を持ち出すつもりでした。
舎人城(とねり城)が想定より早く落ちて、逆に立花義秀から和議が提案され、意外な展開になりました。
1544年(天文13年)4月27日~
前日、26日の夕刻に立花義秀の舎人本陣に招かれた長尾憲長は越後国主の弟、上杉英房、重臣の本庄実政、上田朝直の三名を連れて現れました。
立花義秀は四名と対面しました。
長尾憲長の思惑は、越後上杉家が背後にありますから、理不尽な和議内容には応じません!
との意味があり、上田朝直は川越の扇谷上杉家の代表として連れてきました。
立花義秀はこの席に岩槻太田家から代表として鳩ヶ谷城主、太田正義を招きました。
古河公方家の代表が長尾憲長なら、岩槻太田家の代表を連れて来ないと想定していました。
立花義秀は降伏勧告を拒否する気概を気に入り、和議交渉の証人として来て欲しいと依頼しました。
立花義秀から岩槻太田家から和議交渉の証人として太田正義を引き合わせました。
一通り形式的な挨拶が終わると食事が運ばれ、腹を満たしてから和議交渉にすると、義秀が宣言しました。
前菜に山菜と燻製豚肉のサラダ、屋台が運ばれ、焼そば、お好み焼きを焼き始め、初めて見る立花家の料理に驚く一同に青梅の澤乃井酒蔵の大吟醸が配られ、初めての清酒の旨さに驚きます。
焼そば、お好み焼きの旨さに驚き、鹿肉のステーキ、豚肉の煮込み、チャーハン等が振る舞われました。
立花家の食文化に驚き、清酒の旨さに驚きました。さらに焼酎が振る舞われ、太鼓の音が響き、府中囃子の演奏と踊りが披露されました。
和議交渉の事を忘れて楽しむ交渉役の五名は接待役に義秀が用意した若い娘(忍びです)達に気を許し、古河公方軍の内情をついつい話してしまいます。
後から忍びからの情報が交渉にも役立つかも知れません。笑顔の接待に交渉役の五名が気を許してしまえば立花家の利益に繋がります。
賑やかな宴になりました。
この夜に和議交渉は行われず、交渉は翌朝になりました。
─4月27日─
二日酔いの交渉役の五名は早朝から立花家の朝に儀式に起こされてしまいました。
祝詞、君が代斉唱、応援歌の儀式に驚き、目覚めました。
ダダダン!ニッポン!
ダダダン!ニッポン!
おぉーぉー!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
ハイハイハイハイ!!
おぉーぉー!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
にぃーぃーっぽぉーぉーん!
ハイハイハイハイ!!
太鼓と元気な声、跳び跳ねる兵士達数千名が早朝から大きな音を響かせて来訪者の五名は驚きました。
朝の儀式が終わり、五名には朝粥の朝食が出されました。
食べ終えた頃、饗応役の鹿島政家から和議交渉の中身について立花家からの要望を書状に纏め、五名に手渡されました。
─立花家からの要求─
─岩槻太田─
古河公方軍が岩槻太田家の領地に侵攻した事により、岩槻太田家当主、太田資正殿から救援要請があり、我が立花家は同盟国の救援の義軍として援軍を派遣した。
しかし、太田資正は立花家からの援軍を受け入れながら、戦いの最中に古河公方軍に鞍替えして、立花家の援軍を全滅の危機に追いやり、反省の色も無く、古河公方軍の利益の為に行動を続ける故、立花家は岩槻太田家、及び古河公方家の軍勢を賊軍と判断して成敗するに至った。
依って岩槻太田家に賠償を含む領地の要求を行う。
①立花家が攻略した城、花畑城、中曽根城、舎人城、蕨城、と付属する領地を要求する
②鳩ヶ谷城、浦和城、赤山城、草加城、八潮城、三郷城、越谷城と付属する領地を要求する。
③兵士の中には農民から挑発され、故郷に帰りたい者が多数あり、田植えの季節の事情を考慮して和議を提案したが、不満なら直ぐにでも戦いを続行する。
④川越、扇谷上杉家
3月の石神井の戦いの後に扇谷上杉家との和議にて扇谷上杉家は本年の12月31日迄、立花家に敵対行為をしない約定を交わしたにも関わらず、古河公方軍に加わり、敵対行為に及んだ故、志木城、朝霞城を攻め落とし、赤塚城、戸田城を調略した
故、立花家の領地に編入した事を通告する。
扇谷上杉家の征伐については改めて考える故、覚悟して待つ様に通告する。
⑤山内上杉家
3月に滝山城の戦いの和議の約定にて二年間立花家に敵対行為をしない約定にもかかわらず、たったの一月で約定を破った関東管領、山内上杉憲政宗の行為に対して謝罪文提出を要求する。
書状を手にした五名は厳しい内容に驚きました。
しかし、長尾憲長は越後国主の弟、英房を連れてきて良かったとほっとしています。
昨夜の饗応も計算ずく、厳しい要求もかなり張ったり咬まして来たな?
と腹を括りました。
岩槻太田家の領地が削られるのはしかたが有りませんが、取られすぎては古河公方軍が大敗したイメージが大きくなります。
岩槻太田家が弱くなりすぎても困ります。立花家に取られる領地をなんとか押さえる必要があります。
饗応役の鹿島政家から和議交渉は昼から始めると知らされました。
暫く考える時間を与えられました。
昼の交渉が始まる前、交渉には直接関係の無い越後の上杉英房、本庄実政が立花義秀に呼び出されました。
二人は越後から来た事を労われ、府中で流行りのモンブランと緑茶を勧められ、初めて味わうモンブランに驚きました。
緑茶は戦国の当時にはまだ一般的では無く、ましてや立花家にしか無い製法で作られていました。
その旨さに驚き、岩槻まで来た訳を聞かれると、長尾憲長に口止めされていましたが、上杉英房は関東管領職、山内上杉家の家督を相続する約束で長尾憲長に誘われた事を話してしまいました。
義秀は少し驚きながら、長尾憲長は越後の国から当主の入れ替えを約束して援軍を引き出しす裏技を使った事が解りました。
義秀が理解したのは、山内上杉憲政は史実通りなら、越後に逃れ、長尾景虎に家督を譲り、関東管領、上杉謙信誕生に関わります。
しかし、上杉憲政が隠居すれば長尾景虎は越後守護代で生涯を終えるか?良くても越後国主?
武田信玄との川中島の戦いも無くなれば、武田信玄が史実より早く徳川家康、織田信長と戦い、上洛が早まる可能性もあります。
これは面白い事になったと喜びました。この楽しさを理解出来るのは嫡男、立花義國と松千代の二人だけです。転生経験者にしか理解出来ない史実の変り目に立ち会う事になります。
上杉英房は21歳、義秀には教養ある好青年、長尾憲長に利用され、どんな扱いになるのか、可哀想に感じました。
山内上杉家を相続したら越後勢は帰国します。側近を残し、付き添いの武将は誰も英房の側に残らない事が判明しました。
続いて義秀が呼び出したのは扇谷上杉家の武将、上田朝直でした。
先月、石神井城の戦いで上田朝直の奮戦振りを褒める義秀は劣勢な兵力に関わらず良く戦ったと讃えました。越後勢の配下で戦わされた経緯を聞き出し、長尾憲長の強引なやり方で扇谷上杉家が古河公方軍の戦いに引き込まれた経緯が判明しました。
長尾憲長の強引なやり方で石神井の和議の内容を知りながら立花家との和議を引き裂いた事が解りました。
次に呼び出したのは鳩ヶ谷城主、太田正義でした。
嫡男、立花義國の降伏勧告を1日引き伸ばして拒絶した姿勢を讃え、太田道灌の子孫の名に懸けて!と拒絶した事を称賛しました。
情報を漏らさない事を条件に鳩ヶ谷城は奪うつもりが無い事、岩槻太田家当主、太田資正が古河公方軍に鞍替えした背景も理解している事を伝えました。
岩槻太田家からある程度の領地を頂くが、太田正義に領地境の目付役を頼みたいと依頼しました。
今後、岩槻太田と交渉、連絡する場合の窓口役も兼任してくれる様に依頼しました。
太田正義は当主、太田資正(21歳)の従兄弟で3歳年上の24歳です。
母の身分が低い事から彼の父は太田家の男子の証、資の文字を貰えず、彼も資の文字を貰えず、正義と名乗っています。
太田家の中では文武に優秀なのに不遇の境遇にありました。
初対面で立花義秀に気に入られ、国境の、目付、外交係を指名されると岩槻太田家中での地位が自然に高くなります。太田正義は岩槻太田家より、立花家に魅力を感じました。
次に呼び出したのは草加城の古河公方家の直臣、一色直頼でした。
長尾憲長が、和議交渉に古河公方家の家臣から誰も連れて来なかった為、呼び出し、和議内容の書状を見せました。
一色直頼は頭を抱えますが、あまりに厳しい内容に唸ります。
義秀は長尾憲長が岩槻太田家の戦いに関わる事で悪意を持った行動が多々あり、憤慨した故、厳しい要求になったと説明しました。
古河公方、足利晴氏の不在で山内上杉家の宿老が岩槻方面の実質総大将になってる現状で良いのか?と問いかけました。
昨日は鳩ヶ谷城を巡る戦いに大敗したのに、謙虚にもならず、一色直頼も頭に来ている様子でした。
義秀は焼酎を直頼に勧め、つまみに鹿肉の燻製、豚の角煮を出して呑ませました。やがて旨いつまみと焼酎で酔いが周り饒舌になる一色直頼は長尾憲長への不満や、古河公方家の内情などついつい愚痴を晒してしまいました。
義秀は一色直頼の顔に免じて和議の内容は少し控えた内容にすると約束しました。
一色直頼も立花義秀、立花家に魅力を感じてしまいました。
やがて昼になり、和議交渉が始まり、長尾憲長、上杉英房、本庄実政、上田朝直、太田正義、一色直頼が呼ばれました。
立花家から立花義秀、鹿島政家、立花義國、立花将広、江戸太田当主、太田景資、畠山忠國が出席しました。
まず、立花軍が攻略した城は全て立花家に帰属、付属する領地含め、花畑城、中曽根城、舎人城、蕨城、戸田城、赤塚城、志木城、朝霞城の8つの城が決まりました。
残るは立花家が要求した7つ、浦和城、鳩ヶ谷城、赤山城、草加城、八潮城、三郷城、越谷城でした。
やがて浦和城、越谷城、三郷城の3つが外されました。
残るは鳩ヶ谷城、赤山城、草加城、八潮城の4つが焦点になりました。
そこに立花将広が焼酎を掲げて現れ、長尾憲長に呑み比べ勝負を申し込みました。勝った方が4つの城を取る勝負です。
義秀が余興に泥酔軍師、立花家最強の大酒呑みの立花将広に勝負する様に仕込んでいました。
その場に居合わせた立花家の者達が拍手と声援で盛り上げます。
鹿島政家が長尾憲長に勝負を受けるか質問すると酒豪の彼は勝負を受けました。
岩槻太田領の配分を決める和議交渉が再出発ました。
最後に4つの城の配分を焼酎の呑み比べで決める事になりました。
こんな決め方で良いのでしょうか?




