1544年(天文13年)4月26日、古河公方軍本隊は岩槻太田領へ向かわず、立花家に服属した高城家を叩く事になりました。
古河公方軍本隊は立花家に服属した高城義春に痛撃を与えて、岩槻方面に向かう予定でした。
情報が数日遅れて岩槻太田家が古河公方軍側に鞍替えした事を知りました。
岩槻太田家の荒川沿いの地域が戦場になった事で岩槻太田家が滅びない限り、古河公方家の本拠地、古河城が大いに安全になり、古河公方家の頭脳、梁田高助は岩槻太田領に急ぐ必要無しと判断しました。
1544年(天文13年)4月26日~
古河公方軍本隊と千葉家の武将、原胤貞、酒井勝春の軍勢は吉橋城、八千代城、高津城、幕張城を攻略しました。
梁田高助は原胤貞、酒井勝春と協議しました。
千葉家としては宿老、原一族の家臣だった高城家が立花家に臣従して激怒していました。
彼らは津田沼城、花輪城を攻略して船橋城又は夏見城に侵攻して高城義春を引き込み、決戦に持ち込む事を望みました。
高城義春の軍勢4000は金杉城に布陣しています。そこから5キロ北の鎌ヶ谷城に立花家の本多勢5000が布陣しています。
本多勢を引き離す必要があり、梁田高助は柏方面に囮の軍勢を行軍させる事にしました。
作戦が決まると各々行動を開始しました。
原勢4000、酒井勢3000は津田沼城に向かいました。津田沼城(別名、鷺沼城)は小高い丘に作られた城です。
城兵400に馬込和幸の1000が守りを固めます。
原勢、酒井勢の7000の軍勢は北、東、南から攻撃します。故意に西を開けて船橋方面昼頃へ逃げる道を残しています。
寄せ手は疲れた部隊を次々交代出来ますが城方は次第に疲労してしまいます。交代しても切りなく戦い、昼頃に始まった戦いは3時間ほど過ぎた頃、城内各所に寄せ手の軍勢が侵入、一気に中から城門が開けられました。
援軍の主将、馬込和幸は城兵に西へ3キロの花輪城へ退却を命じます。
馬込和幸は城から出ると殿軍の指揮を取り、最後尾で死闘を続けました。
原勢、酒井勢が追撃しますが、1キロ先まで追撃した処で引き上げました。
馬込和幸はなんとか花輪城に辿り着きました。
花輪城に着いたのは600名、後は消息不明となりました。
津田沼城が原勢、酒井勢の活躍で攻略した頃、古河公方軍本隊は八千代城から北に6キロ進み、小野田城を攻略しました。
小野田城から金杉城まで12キロの金杉街道が繋がっています。柏方面に繋がる街道が北に伸びています。梁田高助は柏方面に向けて囮役の小田勢3000を行軍させました。
鎌ヶ谷城に布陣する立花家の援軍、本多勢5000を柏方面に導き、金杉城の高城勢と引き離すのが任務です。
本多勢が鎌ヶ谷から北に動けば金杉城の高城義春の4000を分断して攻撃可能になります。
古河公方軍本隊9000は単独攻撃、又は原勢、酒井勢と合流して攻撃する選択肢もあります。
─小野田城─
─足利晴氏、梁田高助─
「高助、作戦通り原勢、酒井勢は津田沼城を攻略して明日は花輪城を攻撃するみたいだな?」
「はい、これで金杉城の高城義春は南の花輪城を救いたくても小野田城に布陣する我が本隊9000の動きが気になり助けられないでしょう。
明日はゆっくり柏方面に向かう振りをして高城勢、本多勢の様子を観察します。」
「まぁ高助の作戦が嵌まれば最高の仕返しが出来そうだな?」
古河公方、足利晴氏は安心して梁田高助に丸投げしています。
─金杉城─
─高城義春、馬込和長─
急使の知らせがあり、津田沼城の落城と馬込和幸の援軍が3キロ西の花輪城に逃れた事が判明しました。
「殿、我が弟が支え切れず申し訳ありません!」
高城義春は宿老馬込和長の弟、馬込和幸をを信頼して津田沼城の援軍に向かわせました。
「いや、敵勢は7000、兵力差が有りすぎたから仕方無し、玉砕するより、花輪城に退却する方がはるかに難しい事だ!」
「花輪城の兵力が増えたと考えれば良いではないか?」
義春は落城の責任を責めるより、花輪城に辿り着いた事を重く評価しました。
「殿、明日は花輪城が攻撃されますが、古河公方軍本隊が小野田城を攻略しました。」
「柏方面から岩槻太田領に向かうなら良いですが、金杉街道から一気に我が本陣を狙う可能性があります。」
馬込和長は古河公方軍本隊の動きと千葉家の武将、原勢、酒井勢の動きに微かな疑念がありました。
「そうだな、原胤貞はつい先日まで我が高城家の主家の若君様だから、我ら高城家が憎くて堪らぬだろう。」
「千葉家の武将二人が高城家の領地を狙うは当然だろう。古河公方足利晴氏の宿老、梁田高助が何を考えているかを探らなきゃならん。」
ここで、高城義春は閃く策が浮かびました。
「今から花輪城に向かうぞ!」
「鎌ヶ谷城の本多広孝殿に花輪城救援に向かうと知らせる!」
「だははは!古河公方軍本隊の動きは本多殿に丸投げする!」
「本多殿は立花家の宿老で我が高城家の支援を任された責任者だ!」
「後は任せて援軍に参るぞ!」
(笑)
「殿、それが正解みたいです。」
「丸投げ?最善策でございます!」
(笑)
金杉城の高城義春から鎌ヶ谷城に布陣している本多広孝に連絡が入りました。
高城義春の軍勢4000は花輪城救援に向かう、古河公方軍本隊の動きを任せると知らせて来ました。
使者の口上に笑いながら、引き受けたと返答する本多広孝は笑いながら面倒を押し付けられた事を悟りました。
古河公方軍が高城領に侵入した事は立花義秀の本隊へ連絡しています。凡そ30キロ離れ、連絡には馬を使いますが荒川と中川を渡り、半日掛かります。
援軍が来るとしてもかなり時間が掛かります。
最善策を搾り出す必要があります。
鎌ヶ谷城の本多広孝勢は5000、
搾り出した策は南に4キロ、金杉城に移動する事でした。
─鎌ヶ谷城─
─本多広孝、本多広家─
「父上!高城義春が古河公方軍本隊12000を我が本多勢に任せて花輪城に向かうなんて、酷いじゃないですか?」
「いや、気にするな!高城勢が南の花輪城に向かって離れたなら、我らも南に向かい金杉城に入るぞ!」
「金杉城と花輪城の距離は1里強(5キロ)、直ぐに連携出来る距離になるじゃないか?」
「父上、ならば我らも孤立せずに安心です。」
「広家、直ぐに移動するぞ!」
日没後に金杉城から高城勢4000が花輪城に移動しました。
鎌ヶ谷城から本多勢5000が南に
4キロ、金杉城に移動しました。
古河公方家の宿老、梁田高助と高城義春、本多広孝の頭脳戦になりました。
高城義春は本多広孝に古河公方軍本隊の相手を本多広孝に丸投げする事に決めました。
丸投げされて本多広孝も動きました。
さて、明日からどんな展開になるのでしょうか?




