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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1544年(天文13年)4月25日、岩槻太田領の戦いは、長尾憲長と立花軍の戦いが始まりました。

岩槻太田家の荒川沿いの地域が戦場になりました。実質的主将の長尾憲長率いる軍勢36000

は立花義秀率いる軍勢36000と立花義國が率いる軍勢24000と二方面から迫る軍勢と対決します。


長尾憲長は大きな兵力差をどの様に対処するのでしょうか?

1544年(天文13年)4月25日~


─古河公方軍─


前日に前川ケ原の戦いで立花軍と戦った太田資正と長尾憲長は引き分けに近い優勢勝ち?

微妙な形で日没になりました。


古河公方軍、岩槻方面軍の実質的主将の長尾憲長は足立方面から立花義秀率いる36000、戸田方面から来る立花義國の24000の軍勢を相手に戦略を練ります。


志木城(柏城)を攻略した立花軍が荒川を越えて浦和城を攻撃する噂が流れています。

浦和城は岩槻太田家の西の要の城です。岩槻太田家当主、太田資正は憂慮していましたが、長尾憲長には切り捨てる城でしかありません。


浦和城に配備した越後勢10000を赤山城(川口市)に呼び寄せました。浦和城は守備兵力500だけになりました。

立花軍が浦和城を攻撃に兵力を割いてくれる事を願っています。

主力同士の戦いから兵力が分散する事になる故、長尾憲政が歓迎する事になります。



長尾憲政は太田資正の軍勢4000を4キロ南の鳩ヶ谷城に配備して立花軍の接近に備えました。

鳩ヶ谷城の東5キロに草加城があり、野田、一色勢10000が連携出来る態勢になりました。


長尾憲長は地図を眺め、城の配置、古河公方軍の配置、立花軍の配置を考え、重要な場所が舎人城だと感じました。立花軍が中曽根城を攻略すると北に5キロの舎人城が次に狙われます。弟の長尾秀長に大事な任務を与える事にしました。


─長尾憲長、長尾秀長─


秀長、お前に頼みたい事がある。

2000の軍勢を任せるから舎人城(とねり城)を守って参れ!

後詰めに太田資正の軍勢を差し向ける!草加城には野田勢、一色勢が控えて後詰めが出来る故、安心してくれ!


はい、兄上、解りました!

3日位ならなんとか出来ますが?


いや、1日で良いだろうが、和議に持ち込む故、最大でも2日だ!

まぁ舎人城と松戸に近い八潮城を与えて和議に持ち込む!

田植えが近い故、互いの為になるはずだからな。

和議の条件に城主以下全員の助命を

交渉する!

城主、舎人重貞の助命が成立したら

蓮田城を任せると伝えよ!

蓮田城なら文句あるまい!


しかし、立花義秀が城主の首を求めて来たら与えるしかなかろう。その時、城主達が抵抗したら鎮圧してくれ!


はい、兄上、お任せください!

任務をやり遂げて参ります!


お前も頼もしくなったな?

和議の提案は古河公方、足利晴氏の代理人、関東管領、山内上杉憲政の名義になる故、大義名分は民百姓達の田植えの季節に掛かり、民の安寧の為と、主張すれば立花家は受け入れざるお得ない!

和議成立の要の役目だ!

頼んだぞ!


はい!行って参ります!


長尾秀長の軍勢2000が舎人城に向かいました。


─立花軍、戸田周辺─


立花義國の軍勢は前日から25日の午前中に戸田の渡しを渋川家の船で荒川を渡りました。

午後には志木城から三田勢が戸田の渡しから荒川を渡りました。


蕨城には佐伯勢7000、戸田城に立花義國の軍勢12000と三田勢5000が布陣しました。

合計24000




─立花軍、足立方面─


─花畑城、新納勢12000─

花畑城の北5キロの草加城に古河公方軍野田勢、一色勢の10000が布陣しています。

高城勢2000を花畑城の北2キロに配置して草加城の野田勢、一色勢の監視をしています。


─中曽根城(足立区本木)──


江戸太田家の新当主、太田景資の初陣を飾るべく、前日から攻撃中。

太田勢4000、畠山勢8000


前日は逆茂木に苦戦した包囲軍は前日同様に門前に攻撃を集中します。

逆茂木に苦戦するのを承知で攻撃します。城方の集中を集める間に忍びの部隊が侵入を計ります。


立花軍の忍び部隊が、土塁の壁からの侵入に挑みます。

三名が土塁の壁沿いに立ち、腕を組みます。土塁に手を添えて斜めの姿勢になります。その上に三名が肩に足を乗せて立ちます。


さらにその上に三名が肩に足を乗せて立ちます。三列の人間梯子が出来ました。

その背中を伝い、後続の忍びが鍵縄を投げて塀を登ります。城内に入ると壁を壊して侵入路を確保しました。

人間梯子から続々と忍び部隊が侵入します。100名程が侵入すると東門に向かい、東門を守る城兵を蹴散らして門を開放しました。


午前9時頃、江戸太田勢が東門から一気に侵入すると二の丸が呆気無く陥落、城主、千葉正胤が抵抗を止めて降伏しました。

中曽根城が落城!

太田景資が初陣を飾る事ができました。


2時間程休息後、太田景資と畠山忠國の軍勢12000は中曽根城の北5キロにある舎人城へ向かいました。


─中曽根城─

─立花義秀、鹿島政家─


殿、太田景資殿と畠山勢が舎人城に向かいました。

鳩ヶ谷城には太田資正の4000、

草加城から野田、一色の10000の軍勢が後詰めに現れる可能性が有ります。


政家、鳩ヶ谷城の太田資正の軍勢には西から蕨城(鳩ヶ谷城迄6キロ)、戸田城(蕨城迄3キロ)に、義國(嫡男、立花義國)と将広(立花将広)の軍勢24000が隙を伺ってるはずだから、心配は要らぬだろう。


草加城から後詰めが来るなら花畑城(草加城迄5キロ)の新納勢に任せる!

さて、太田景資の初陣第2戦が舎人城で始まるぞ!

我が本隊12000が後詰めに参り、観戦するぞ!


はい、秋には立花家の養女を迎える婿殿ですからなぁ。

随分豪華な初陣になりました。

幸せな婿殿ですな?


─立花義秀の本隊12000の軍勢が舎人城攻撃部隊の後詰めに向かいました。


─舎人城の城兵は500、長尾秀長は兄の命令で2000の軍勢を率いて舎人城に入りました。

この城に後詰めの援軍を送ると励ました兄の嘘を見抜いていました。

立花軍の軍勢に囲まれた舎人城の後詰めの起点、鳩ヶ谷城も草加城も立花軍の軍勢に阻まれて援軍に来る可能性は低いと見ています。

それでも、兄には何か、思案があると信じて戦う決意を固めました。


─舎人城、舎人重貞、長尾秀長


秀長殿、援軍に感謝致します!


重貞殿!兄からの伝言をお知らせします。

和議に持ち込む故、3日耐えろ!

これは田植えが迫る時期故、兄から和議になると聞きました。

和議の内容にもよりますが、舎人城を明け渡す事になれば兄は貴方に蓮田城を任せるそうです!


ありがたい事です!

3日耐えろ!ですね。

解りました。弟君を遣わす程ですから信じて戦います!


では、重貞殿、3日耐えましょう!


─長尾秀長は兄の意向を彼なりに解釈しました。3日耐える覚悟さえあれば籠城戦に耐えれると判断して初対面で秘密を打ち明けました。



─戸田城、立花義國、立花将広


叔父上、舎人城に援軍2000が入りました!

太田景資殿と畠山の軍勢12000が間も無く攻撃します!


義國、やっと始まるな?


はい、叔父上、蕨城の佐伯勢と三田勢12000を前川ケ原の先、芝川迄進め、鳩ヶ谷城の西に配置します。


我らは鳩ヶ谷城の南に参りましょう。舎人城との中間に入るだけで敵の後詰めに威圧を与えられます。


良し!参るぞ!



─立花義國、立花将広の12000

の軍勢が鳩ヶ谷城と舎人城の中間地点に向かいました。













舎人城を巡る戦いがはじまります。


現在の舎人公園に実際にあった城ですが、戦国時代まで舎人氏が周辺の領主でした。

史実では北条氏に滅ぼされています。


山内上杉憲政と長尾憲政が布陣している赤山城は川口市にある陣屋の跡地です。

江戸幕府の関東郡代、伊奈忠治が建てた陣屋ですが、

残された絵図には本丸、二の丸と曲輪の表示があり、戦国時代の城だったらしいので、赤山城として作品に採用しました。




長尾憲長の頭脳と立花家の戦いが始まります。

さて、次の展開は?


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