1544年(天文13年)4月22日、岩槻太田家滅亡か?!
岩槻太田家当主、太田資正は今年の1月、生き残る為に立花家と同盟を結びました。
しかし、4月上旬に古河公方軍から侵略されて宮代城、春日部城、蓮田城を失いました。
同盟軍の立花軍が到着しましたが、下総国の古河公方軍の躍進の情報から古河公方家に将来を託す方が生き残る可能性が高いと判断します。
古河公方家に従うと約束しますが、行き違いのアクシデントが重なり、内通を疑われ、大宮城、東大宮城を接収されました。
さらに岩槻城が包囲攻撃を受けて存亡の危機にありました。
太田資正は自分の選択が招いた事と責任を感じ、最後の覚悟を決めていました。
1544年(天文13年)4月22日~
─未明─
山内上杉家、筆頭宿老、長尾憲長は岩槻太田家を滅ぼすつもりでした。
しかし、弟の長尾秀長は岩槻太田家を生かして捨て石に使うなり、防波堤に使う方が便利だと進言しました。
岩槻城を攻略しても、まだ岩槻太田家の領地の半分を制覇したに過ぎません。
残された領地の城や家臣達を従わせるにはまだまだ時間がかかります。
長尾憲長は岩槻太田家を生かす事に決めました。
古河公方軍、足利晴氏が不在を良い事に勝手に采配しますが、文句を言える者が居ませんでした。
憲長は弟、秀長を岩槻城に使者として送りました。
─早朝─
─岩槻城、太田資正、立川明和─
殿!寄せ手の使者が参りました!
山内上杉家、筆頭宿老の弟、長尾秀長と名乗る者が和睦の使者として参りました!
何?和睦だと?
本当に?和睦?
解った、使者を通せ!
─長尾秀長から書状を受け取り、資正は内容を確認しました。
古河公方家に従うにあたり、行き違いがあり、誤解が生じた事は水に流す故、宮代城、春日部城、蓮田城は古河公方家が預かるが、大宮城、東大宮城は返還する。
正室と嫡男を預けるなら臣従を認め、古河公方家の先陣を努める事を認める。
差出人は古河公方家代理人、関東管領、山内上杉憲政と記載されています。
追い詰められた太田資正に拒否する余地はありません。
正室と嫡男を人質に取られます。
城内には2000の兵士と城で働く多数の使用人、裏方を支える者達の命が掛かります。
和睦の条件を受け入れ、署名して和睦が成立しました。
長尾秀長は意気揚々と寄せ手の陣地に戻りました。
和睦が成立した事で、長尾憲長は岩槻城の本丸を御座所に提供する様に要求、さらに祝宴の用意を命じました。
─山内上杉憲政、長尾憲長─
お屋形!御座所に移動だ!
岩槻城の本丸で休息するぞ!
おぉ、そうか、参ろうぞ!
今宵は宴会か?
まぁそうなるだろうな?
─川越方面─
前日、川越方面に移動した立花義國勢と佐伯勢19000は滞陣した古谷を出発して狭山方面に移動しました。
正午には狭山に着きました。川越城の南16キロの距離があります。
こちらに滞陣して国境から出動した部隊と合流を目指します。
平林寺城、清瀬城、八国山城、山口城、宮寺城、箱根ケ崎城、勝沼城からの部隊を集める為に時間を費やします。
夕方16時頃、目標の部隊の集結が出来ました。合計5000が集まりました。この軍勢を三田綱重に任せる事にしました。
合計24000の軍勢です。
─立花義國、立花将広─
─地図を広げています─
叔父上が呼び掛けた兵力が集まりました。川越城に向かいますか?
もしかして、岩槻方面に戻るなんて言わないですよね?
だははは!
解るか?
岩槻方面から逃げた形だからな?
お前は次期立花家の当主になる男だからな?
さぁどーするんだ?
はい、東に向かい、扇谷上杉家の領地を削ります。志木城、朝霞城を攻略します。その付近の戸田城、赤塚城は事前に調略済みですから、立花家に正式に所属させます。
これで浦和城を牽制しながら川口城、草加城を狙います。
ほぉ、岩槻太田家と江戸太田家との国境の城だから面白いじゃないか?
古河公方軍は補給を考えたら、川口城、草加城には援軍に行きたがらないだろうな?
はい、それが狙いです。
さらに、間も無く鎌ヶ谷、船橋方面の戦いも終わり、父上達の軍勢がこちらにも到来するでしょう。
良し、これで決まった!
明日早朝から志木方面へ参るぞ!
滅亡寸前から岩槻太田家が和睦に救われました。
立花義國、将広の軍勢は新たに目標を定めました。
明日から楽しみになりました。




