1544年(天文13年)4月20日、鎌ヶ谷、船橋周辺の状況は天候が悪化しました。
前日、4月19日は古河公方軍本隊が遂に到着、軍勢の再編成が行われました。
立花軍も同じく再編成と武器、兵糧の移動に時間を割き、決戦の準備が進みました。
1544年(天文13年)4月20日~
鎌ヶ谷、船橋周辺の天気は未明から風が強く、風が唸りました。
夜が明けると晴天になりましたが、海風が強く、畑から土埃や砂混じりの強風が吹き荒れました。
古河公方軍、立花軍、双方の陣地で物が飛ばされ、朝から炊事に支障を来す状況でした。
─夏見城、足利晴氏、梁田高助─
高助?強風で決戦には不向きな天候だな?
今日は無理じゃないか?
はい、外に布陣してる兵士達は朝から炊事も出来ない程です。城内で炊事しても万単位の兵士の食事は作れません。腹が減っては戦が出来ません。
立花軍も同じでしょう。
携行食の乾き物で皆我慢して貰いましょう。
そうだな、立花軍も同じだよな?
本日の決戦は無し、明日に持ち越しだな?
はい、このままでは目に砂ぼこりが入り戦うどころではありません。
立花軍の将兵も同じ気持ちでしょう。
高助?2日前に江戸太田家の当主が亡くなり、後継者は16歳らしいな?
調略は出来るか?
公方様、先日、高城胤春が当主の弟を調略に成功しましたが、立花軍に半日で鎮圧されました。
既に立花軍は松戸城と周辺を制圧して太田勢の影響力は落ちました。調略しても利益が薄い状況です。
そうか、仕方有るまい、諦める。
─上総の里見義堯から立花義秀宛てに書状が
届きました。領地が縮小して改善予定と支援要請が記載されています。
①小弓公方家の名称廃止
②新たに上総公方家と名乗る
③南市原城を上総城と名称変更
④上総城を本拠地にする
⑤立花軍の常駐要請
⑥上総城近くに立花家の城を築城要請
⑦楢島、久良岐、平山勢の活躍報告
⑧資金援助要請
⑨新当主、足利頼純の婚姻相談
─西船橋城、立花義秀、鹿島政家─
政家、土埃が凄いな?
炊事が出来ぬから今日はダメだな?
はい、この砂埃では目がやられます。
古河公方軍も同じでありましょう。
政家、小弓公方家は滅んだが、上総公方家と名乗るとは?良いではないか?
領地は1/3になったか?
はい、たっぷりと援助要請が来ましたな?
資金援助、立花軍の常駐、立花軍の城まで築城?
大活躍だったから楢島正臣、久良岐康國、平山信孝達に常駐して欲しい?
新当主の婚姻相手探しか?
殿、たくさんお願いが参りましたな?
(笑)
まぁ、古河公方軍に勝てば全部出してやるわぃ!
随分欲張りなお願いだな?
(笑)
はい、房総半島で古河公方家の配下で千葉家の軍事力が増大しました。里見家単独では上総公方家を支えるのは無理でしょう。
引き受けるしかありませんな?
(笑)
木更津湊の拡張も必要になるし、袖ケ浦に予備の湊を作るのも良かろう!
殿、こちらの決戦を先に考えましょう!
そうだな、目の前の古河公方、足利晴氏を叩かなきゃいかんな?
(笑)
鎌ヶ谷、船橋周辺の風が強く砂埃に見回れ、両軍の戦いはお預けになりました。




