余命二十一年と三ヶ月
不幸というものは私たち人間が知らない間に爪を研いで、私たちのことをいつ、研いだ爪で刈り取ろうかと、待っている。
本当に酷な話だと思った。
自分の運命を、自分の体に、憤懣遣る方無い気持ちになった。
「杉音さんの寿命は三ヶ月です」
医者の声が私の耳を貫いた。最近、どうも体の調子がおかしいと思っていた。だけど、流行病ではなかったし、疲れとかの熱だとしても、こんなに続くのはおかしいと思った。
結果として、私は寿命三ヶ月。しかもこれは、膵臓癌ステージ五。彼と一緒に泣いた。長かったはずのこれからを、彼と生きることができないと、現実がこんなにも酷いものなのかと思い知らされて泣いた。いや、泣かされたと形容した方が正しかった。
確か、私以上に彼がわんわん泣いていたと思う。顔面から、涙やら鼻水やら、もう何から何まで垂れ流して、
「どうにかならないんですか」
なんていって泣いてたっけ、
「方法はあります」
癌のステージ五で、ましてや、直すのが不可能に近い膵臓癌なんて、どうやって治すんだと思った。
「葛さんの寿命を、杉音さんに譲渡するのです」
何を言っているのか分からない私たちは本当に、文字通り口を開けていたと思う。
「最近の医療の発達で、寿命というものは分け与えることができるようになりました。前まででいうドナーのようなものですね。これは、本当に世紀の大発見で健康な体から寿命をもらえれば、癌でも、流行病でもなんでも治せるのです。」
「それじゃあ!」
体を前のめりにした彼を先生が口元に人差し指を立てて落ち着かせる。
「これは、メリットだけではありません。デメリットがあります。まず、寿命を与えた方は、確実に、例外なく、六十六歳で死にます。そして、寿命を分けられるのは健康な人に限ります。その人がどんなに健康でも、六十六歳で死にます。そして、余命が六十六歳になった状態から寿命を分けることになります」
先生はそのまま続けた。
「たとえば、葛さんが杉音さんに二十一年寿命を分けたとしましょう。そうすると、葛さんは今の二十四歳で六十六歳を引いて四十二。そこから半分を杉音さんに寿命を分けると二十一年。つまり、葛さんは二十一+二十四の結果から四十五歳で死ぬことになります。」
私は唾を飲んだ。だけど、飲んでも飲んでも唾は止まらなかった。怖かった。自分が、彼の、最愛の葛の寿命を削ってまで生きるのが怖かった。それと、これは本当に自分でも嫌になるのだけれど、彼が
「じゃあいいです。僕長生きしたいので」
なんて言って、私のことを捨てて、どこの誰かか知らない女の人と幸せそうになってしまうのが怖かった。
私は、本当に弱い。他人のために生きられない。彼の幸せを願うのだけれど、その幸せは、私がいないと成り立たないものになればと思ってしまう。他の人が、彼の隣に並び立って、彼が幸せそうにしているのを想像すると、発狂してしまいそうになる。
「彼のためなら死ねる。」
なんて言ってしまえない。私も死ぬと思う。それぐらい、私は弱い。
そんな自己嫌悪と不安を吹き飛ばす風が吹いた。
「お願いします!」
その風は、彼の声だった。
「僕の寿命が削れようが、どうなろうが関係ない!すぐにお願いします!」
私は弱いから、そこで、やめて。あなたの命だから、私のために使わないで。なんて言えなかった。出てきた答えは嬉し涙。彼が、私のことを思っていてくれた。自分の命を投げ打ってくれたのが、たまらなく嬉しかった。
「いいんですか?」
「いいです!お願いします!」
二人の会話が私の耳をずっと刺激した。耳から私の体をめぐって心を刺激した。体は、冷たくなって死んでいくはずなのに、彼の言葉で心が温かくなっていた。その心の熱のおかげで、私の体は、また熱を持てるような、まだ、彼と生きていける気がしていた。
「杉音さん。あなたはどうですか」
究極の一言が先生から通告される。
「あなたは葛さんの寿命をもらって、生きたいですか?」
おそらく先生はこの言葉に悪意なんて含んでいなかったと思う。最近できた発見といえど、私より前にこの制度を使っている人がいると思う。先生は、その人にも同じ質問をしていると思う。
それでも、私は自分の心臓を掴まれている気がした。いや、心臓というよりも、心、もっというなら脳かもしれない。心なんて脳の信号だから。
あなたは、人の命を犠牲にしてまでも生きたいと思う欲深い人間ですか?パートナーのことを思わないのですか?と、心理テストを受けているようだった。
「杉音」
彼の声がして、私は彼を見た。
「何も考えなくていいんだ。僕は、勝手に君を助けたい。勝手についていって勝手に支えているようなものなんだ。僕の命がどうとか、これからがどうとか、何も考えないで欲しい。素直に君の心を聞きたい。添い遂げるとか、恩だとか、そんなものは考えなくていい。それに、僕は、君のためなら死ねる」
彼は一呼吸をおいて、息を吸って私の肩に両手を置いて目線を合わせて、そして、聞いた。
「生きたいだろ?まだ」
私は、顔をぐちょぐちょにしながら頷いた。
コンコンと、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
扉が開いて彼の姿が目に入った。
「調子はどう?なにか変なところある?」
私は首を横に振った。
私が生きたいと首を縦に振ったことにより、寿命譲渡手術の同意とみなされ、彼は精密検査を受けて、私の同意から三日後に手術が行われた。
精密検査の結果、彼の体は何も問題がなく健康体とされたので、彼の寿命をもらった。健康な体から寿命をもらうと、病気が治るというのは本当で、熱が出ることも、X線や、レントゲンから私の体を見ても、何も異常がなかった。本当に、私は健康体になった。
寿命を分けた人は手術が終わったら返されるが、寿命を分け与えられた人は、一応経過観察で二週間の入院とされた。ちょうど二週間前が退院の日だった。
「あのさ、本当にありがとう」
「いいよそんな、改まらないでよ」
彼は恥ずかしそうに笑うが、ありがとうなんていう五文字で感謝を終わらせて良いものではないものを、彼からもらった。
「杉音がいない世界で生きていく自信がなかっただけだから。僕のエゴだよ」
そんなこと言ったのにさ、先にあなたが死んじゃうなんて皮肉だよね。
本当に酷な話だと思った。
退院して、彼が迎えにきてくれたから一緒に帰路を辿っていた。そしたら、飛び出してきたトラックに私が轢かれそうになったところを、君が私を突き飛ばして、君が轢かれて。
最後に君が言った言葉が、今でも頭に響いているんだよ?
「君のためなら死ねるって言っただろ?本当に、楽しい時間をありがとう」
何が私のためならなの?私のためと、私のことを思うなら死なないでよ。私のために生きてよ。君が言ったんんだよ?
「杉音のいない世界は生きられない」って。
私も同じことを思っているに決まっているじゃん。残される側の気持ちにもなってよ。
寂しいよ。
会いたい。
君からもらった寿命を投げ打ってでも、全て捨ててでも、君から嫌われてもいい、あの世で君に会いたい。また、声が聞きたい。また、目を見て欲しい。
今日も、彼の部屋を漁ってた。心が、また温かくなる気がしたから。今の私は寿命をもらう前と逆だ。体は暖かいのに、心が冷たい。こんなんじゃ、生きているのか分からない。
そんなことを考えていると、ポケットに入れてあるスマホが振動した。鬱陶しい。と思いながらも、確認すると、私は目を疑った。
「葛 一件のボイスメッセージ」
私は大慌てでスマホを開いて、葛とのトークルームを開いた。そうすると、本当に葛からボイスメッセージが届いていた。
「なんで」
そう言ったつもりだが、声が出ているか分からなかった。おそらく、嗚咽と言った方が良いかもしれない。だって、目を涙が覆っているし、スマホだって、濡れている。
続けて、メッセージが届いた。葛からだ。
「こんにちは。お元気ですか?葛の母です。杉音ちゃんにこのボイスメッセージを届けるかは悩んだのですが、送ることにしました。このボイスメッセージは葛が、寿命を分けた日に葛が撮ったもののようです。もしかしたら、後悔が増えてしまうかもしれない。それでも良いなら、葛の声に、耳を傾けてくれると、私としても嬉しいです」
何も迷うことなくボイスメッセージを再生した。
「あーあーあー。入っているね。どうも。葛です。寿命を分けて二人で生きていければ良いけど、もし、万が一のことがあったら杉音は立ち直れないだろうなと思ってボイスメッセージを撮ってます。まず初めに、僕が寿命を分けたのは、間違いなくエゴです。だから、杉音は気にしないでくれると嬉しいな。だけど、そんなこと言っても杉音は優しいから、ひきづると思うので。ここ笑うところね。」
本当に彼の声だった。真剣な話でも急に笑いを取ろうとするのも変わっていなかった。
「僕の名前の葛は美男葛から取って名付けたと母から聞きました。美男子の僕にぴったりな名前ですね。そして、この花の花言葉は再会や、また会いましょう。と言う言葉らしいです。なので、また会いましょう。僕は我慢強いのでいくらでも待ちます。待つ期間が長いほど嬉しいけど、長くても二十一年だからね。あっという間です。それじゃ、また会いましょう。大好きだよ。杉音。」
涙が顔を覆った。私は何も返せていないのに、彼からもらってばかりなのに、入れ物もない両手で受けて、溢れているのに、私は、何も返せていない。
とにかく、感謝を伝えなければと、葛に返信して、葛の母に感謝を伝える。
「私も、私も大好きだよ」
その言葉は、入れ物のない両手からこぼれたのではなく、私の、口から、心から溢れた言葉だった。
目を覚ますと深夜だった。どうやら、泣き疲れて眠ってしまったらしい。美男葛は、再会。そして、私の名前。杉音の杉の花言葉は「あなたのために生きる。」元々三ヶ月だった寿命は、葛のおかげで、余命が二十一年と三ヶ月まで伸びた。この命を投げるなんて、私は何を考えていたのだろうと、反省。
待っててね。あなたに持っていくから。
二十一年と三ヶ月のたくさんの思い出を。