有罪の君
『冷静たれ、冷静たれ、冷静たれ、冷静たれ』
どうしてこうなった。
誰が悪かった。
崩れたビルの屋上で、地に頭をつけながら考える。
現状を最適な状態に持っていくための手段を、こちらが出せる手札を。
なのに何故こうなった。
『冷静たれ、冷静たれ、冷静たれ、冷静たれ』
ここまでの状況を作るために俺がどれだけの時間と労力と人間を犠牲にしてきたと思ってるんだ。
今かける言葉はそんなことじゃないし、今やるべき行動もこんなことではない。
ここまで最高とは言わなくても、素晴らしいまでに物事を運んできたじゃないか。
それを、こんなところで無駄にしていいほどの人間でもないし、高望みをしていいほどの高尚で高位な人間でもない。
それなのに---
『如月家として 如月家として 如月家として』
こんな人間に何を求めてるんだ。
なら異才である兄貴に頼めよ。
そもそもなんで俺がこんな事してるんだよ。
凡人の俺に、凡愚な弟に、凡才な兄に。
ふざけるなよ。
ゆっくりと腕を地面に置いて体を持ち上げる。
その怠慢極まりない動きをさらしても、後方にいる帽子屋も、目の前に立ちはだかるアリス一派も手出しはしてこない。
イツキに明確な敵意も殺意もなく、またこの兄弟が目指す大儀と目的を知っているからこそ手出しをする必要性が全くないのだ。
目元を赤くし、今にも泣きだしてしまいそうな顔でアリスを正面から見る。
冷静たれ---
今になって過去からずっとされてきた教育を生かさなければいけない。
そう思って息を吸い、震えた声で微かに言う。
「…どうか、どうか、殺してくれ…。これ以上、人間じゃなく、なる前に」
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さて、兄妹水入らずの時間を過ごしているのもいいが、気になるのはあの二人の私生活だ。
治験の中ではあれだけ傲慢に振るまっているキサラギなのだ、私生活で一体どのような態度で生活しているのか気になってしまうのはしょうがないことだ。
しかし、離れた位置に移動されてしまったためにテラス席からは肝心の二人の姿が全くもって確認できない。
由々しき事態だ。
「気持ち悪いね~。こちらは食べ終わったから早いところ出たいんだけど」
「まて、気にならないのか?だってあの女王様だぜ?」
「僕はその女王様を知らないんだよね~」
決してやましい理由などはなく、私生活の姿を知ることによって本来の彼女の姿を理解し、治験での戦闘において十分な信頼をよせることができるのだ。
普段見ることのできない私服姿を見たいとかいうやましい理由ではなく。
対面に座る兄貴が溜息をついているが、そんなことは知ったことではない。
まずはどのようにして観察しやすい位置に移動するかを考えなければ、どうすれば自然に怪しまれない位置に移動することができる。
昔から教えられていたろ、こういう時こそ冷静たれと。
今、その教育の真価を発揮するとき!!!
樹が顎に手を当てながら深々と考えていると、冬馬が立ち上がり眉間めがけてチョップを放つ。
ゴツっというおおよそ人がチョップを打ち込んで出るとは思えない音を発し樹もそれで我にかえる。
「ここまでしないと我に返らないとは、愚弟の変態さ加減には呆れてしまうよ」
「がっ…てめぇ、お前の軽くは軽くねぇーんだよ!」
この異才がその天才ぶりを発揮するのは何も学問分野だけではなく、武芸や経営その他諸々の範囲まで全てを理解して己の力として誇示できるレベルにまで習得する。
その武芸を極めた人間のチョップを生身の人間がくらうとどうなってしまうのか。
脳震盪でも起こしたのか(起こしているのかもしれない)という程までに視界がぶれ、平行感覚を失ってしまう。
文字通り重いのだ。
手のみのくせにダンベルでもぶつけられたのかという重量感。
頭部がへこんでいないかの確認のために左手で横から真上を通すように撫でる。
幸いなことに変形はしていないようで、この美麗な顔が残念なことになってはいないことに安堵する。
さて、冗談はこの辺までにして。
問題としてはここからどのように立ち回るのが正解なのかという事だ。
正直言って、ここであの二人に出会えたのは好都合ではある。
なんせ家にはチェシャ猫という神出鬼没の存在が居座っている可能性があるため、治験関連の発言が迂闊にできないのだ。
しかして、このままJKに近づいて行って話しかけるのは不審者の極みだ。
知り合いではあるが、あちらにあそこまで不満な顔をされてしまうと行くのが不安になる。
通報されはしないだろうかという点で。
「お兄ちゃん?」
それに、俺が動けば必然的にこちらの席にも目が向く。
先程は兄貴の陰に隠れて見えなかったようだが、俺が動いたせいでアリスが二人に気づかれるのは避けたい状況だ。
「それじゃあ僕達は先に出て待ってるよ。車のキーを」
「んー。まぁそうだなー。そうするわ」
ポケットから取り出したキーを投げ渡し、正反対に移動するように分かれる。
少なくとも席に着いているよりも注目はされないはずなのだが、あとは居やしないであろう神に祈るしかない。
兄貴とアリスが動き始めたのと同時に、隠すような角度に調整しながらキサラギらの元へと歩いていく。
これでもかなり緊張しているし、何から話したものかと未だに悩んでいるのも事実である。
ゆっくりと歩いていったとは言ってもせいぜい数メートルの距離だ。
否が応でも数秒でたどり着いてしまう。
多少背の高い椅子の上からキサラギの顔が見えたと思えば、あちらも気づいたらしく食べていたワッフルをどこか気管支にでも詰まらせたのか激しくむせる。
こちらから接触してくるなど思ってもみなかったことなのだろう。
本名割れは防ぎたいところだっただろうし。
どこから情報が洩れるかもわからないのに、治験以外の場で会うメリットも大して感じない。
置いてあったコーヒーか紅茶を急いで飲んでいる間に、パイルバンカーの隣へと腰を下ろす。
「そんなに急いで食べなくても問題ないぞ」
「だ、誰のせいだと…。というよりも、何平然と座ってるんですか」
「いいじゃん、俺たちの仲だろ?」
「いつそんな仲になりましたっけ?」
なんと非情なことか。
いくつもの修羅場をともに乗り越えて、己の大志すら共有した仲だと言うのに、さも他人のように話すなんて。
「いや、くくりで見たら他人でしょう」
そこまで否定されてしまっては思わず認めてしまいそうになるじゃないか。
僕たちの絆はそんなものだったのかい?
と、この衆目がある中でこのテンションに持っていくのも気恥ずかしいので流石に自重するが、それでも少しは不満がある。
奢ってやろうと思ったのに、残念なことをしたな。
机に肘を着き不満を表情にわざとらしくだす。
そんな男の、はっきりと言って気持ちの悪い顔にツッコミも何も言わずにワッフルを頬張るキサラギとコーヒー(茶色いからカフェオレだろうか?)を飲むパイルバンカー。
まぁ特に気に留めずにスマホを取り出してその画面をキサラギに見せる。
「実は、さっきの戦闘中にこんなメッセージが届いてな。そ
れの相談をと思って。タイミングよかったよ」
「これは……」
訝しげにスマホの画面をのぞき込む2人の表情が曇る。
その画面に映し出されているのは帽子屋という名前と、それに連なるメッセージ。
『次の治験にて、ボスが女王と決着をつけたいと申し出ております。よろしければそちらから女王
にこの件について説明して頂けないでしょうか。了承を頂き次第、詳細をお送りします』
帽子屋がボスと呼ぶ存在は1人しかいない。
異形種。
一番最初に出会って、最初に殺されかけて、インパクト絶大な登場をされた人物だ。
正直言って本当に強烈すぎて会いたくないのが本音ではあるのだが、今回ばかりは出会うのもしょうがない。
ワッフルを食べる手を止めてまじまじとメールの内容を反芻するキサラギと、怪訝な顔をしてその表情を見ているパイルバンカーを頭1つ分ほど上から眺める。
このお誘いをキサラギが受けるかどうか別として、オフの2人という貴重な姿を脳内に焼き付けなければならない。
「貴方の瞼を溶接してさしあげましょうか?」
「わあ、怖い」
「そんなことより、何故貴方が帽子屋の連絡先を知っているのかの方が気になりますけど」
「出会ったときにスマホをいじられたんだろ。俺だってさっき気づいたんだから」
このカフェに来るため、車に乗り込む寸前で気づいたのは本当なのだから、そんな疑問に満ちた目で見るのはやめてほしいと思う。
まだ欺瞞も何もしていないのだから。
持っていたスマホをこちらに返してきて紅茶を一口飲んでからキサラギは口を開く。
「まぁ、異形種を敗北させればいいことも多いですし。負け ることもなさそうだから、受けても
いいかもしれません」
「……わざわざこんなメッセージを飛ばしてきたんだから、罠の可能性も」
「それもそうですが。罠があると分かったうえで戦えれば問 題はないでしょうし、いざとなれば
心臓を放ちます」
心臓の女王の具体的な効果をいまだに理解できていないが、いかなる事が起ころうと対処できるだけの自身は持っているようだ。
頼もしいところではあるが、俺を助けてくれるのだろうか。
彼女の性格からして敵まで助けてしまいそうな感じがあるから離れなければ問題はないだろうが。
メッセージを一通り見たあとゆっくりとした動きで丁寧にスマホを渡してくる。
再び紅茶を一口飲み視線を真っ直ぐにこちらに向けて話し始める。
そんなに見つめられたら照れるよ。
などと、チェシャ猫なら言うであろうが真っ直ぐと姿勢を正し、あまりにも真剣な眼差しで見られてしまっては冗談の一つも言いづらい。
思わず視線を反らしてしまいそうになるが踏みとどまりこちらも瞳を見つめ返す。
「その申し出を受けます。ただし次の治験にて、開始されて
からすぐに座標を送ります。と、返信してください」
「ああ。あくまで俺達のフィールドでってことね。だった
ら速攻で罠でも何でも用意しないとな」
「罠?」
「?俺達が場所を指定するんだから、当然迎え撃つ形になるだろ。だから、罠でも張っとくのかな
って」
地の利を生かして戦う。
そういう話だと思っていたのだが、どうやらキサラギと俺の意見には少し食い違いがあるらしい。
嘲笑気味に鼻を鳴らしたあと、キサラギがあまりにも愚かな発言をする。
「罠なんていりませんよ。以前の戦いを見てたなら分かるでしょ?」
「は?以前の戦いって、逃げただけだろ」
「その前までですよ。貴方が居たからしょうがなく逃げましたけど、心臓も能力も大して使わずに
攻防を繰り広げてたんですから」
自信満々にその大層薄い胸板を張り自慢げな顔をしているが、いくらなんでも慢心がすぎる。
どこぞの英雄王よろしく、同じような結末を迎えるぞ。
深いため息を我慢せざる終えず、幸せが裸足で逃げていくような大きさと長さの嘆声をつくが、当のキサラギは気にする様子もなくテーブル上にある残りを食べきる。
計画性のなさは以前から感じていたが、ここまで無鉄砲だとは思っていなかった。
「お前は万が一とか考えない訳?」
「万が一の時の【心臓の女王】ですよ」
このまま危険性に関して喋っても俺からの一方通行であることは想像にたやすいので諦めて兄貴に車に戻ったかを確認する。
メッセージを送ってから数秒で随分シュールなスタンプが送られてきた。
この状況下で送られても目の前の女の方がシュールすぎる。
現実でこんなアホがいるなんて信じたくなかった。
ともあれ、車にアリスが戻ったのであれば用事はすべて済んだと言っていい。
「そうかい。んじゃ、俺は帰らせてもらうよ」
「ええ。次は戦闘になることが確定しているのですから、チェシャ猫戦の二の舞は勘弁してくださ
いね?」
「……」
もう一言二言言ってやってもよかったが、それこそ面倒な二度手間だ。
愛しいアリスのための時間を使う暇など、本来であれば数秒もないのだ。
席から静かに立ち上がり、さようならの一言もなく、ただ軽く手を挙げて出入口を目指して歩き始める。
次の異形種で自分ができる最大限の動きをするにはどうすればいいか。
先ほどのキサラギとのやり取りで本当に考えていた通りでいいのか分からなくなってしまったが、大枠は変わらないのだ。
冷静たれ。
如月家にとっては簡単なことじゃないか。
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罪を犯すとはどのようなことだろうか。
正義を行うとはどのようなことであろうか。
数年前から止まってしまった私には何もわからない。
反芻するたびに激痛が走る。
自身の大義に不安定さを感じる。
手の震えは止まらないし、呼吸も段々と荒くなってきた。
そんなことはできるのだろうか。
やらなければいけないのは理解している。
しているが。
そんなことを考えていると、左耳から聞き覚えのある声が。
次の瞬間に私は、その凶器を、その狂気を、その狂喜に至る最悪の選択を、自分で選んだのだ。
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ゴウンゴウンと低く腹の底に響く音色と、先ほどまで居たはずのキャンバスの景色とは全く異なったコンクリと錆色のタンクや煙突。
たち煙る黒煙が肺を濁してしまうのではないかと考えてしまうが、何はともあれ、現在時刻は21:00分。
誰しもにとって待ち望んだ時間が到来したわけだ。
スマホを取り出して物陰に隠れながらキサラギにメッセージを送る。
『工場地帯のタンクのところに送られた。煙突とか見える?』
『ええ。問題なく。数秒でそちらに向かいます』
流石は女王様、ありがたいっす。
周囲に警戒しながら待っていると、スマホがもう一度鳴る。
『場所もそこで問題ないです。異形種達へもメッセージを』
本当に何も準備しないのかよ。
カフェでのやり取りで諦めてはいるが、それでも念のため確認しておく。
『罠とかはらなくていいわけ?』
「しつこいですね。この一帯はすべて把握しましたし、問題ないですよ」
いつの間に来たのか、隠れていたタンクの上に堂々と立っているキサラギとイノリの両名を見上げながらスマホをポケットの中にしまう。
帽子屋に対して周辺の景色に関する情報は送っておいた。
何も問題はなく、この周辺は戦場に変わるだろう。
キサラギが見晴らしのいい上の方で待つというのでわざわざ階段をつかって建物を上っているわけだが、その優れた身体能力で持って行ってくれてもいいのにと悪態をつく。
それでも、素知らぬ顔で淡々と歩いていく。
やがて工場のライトが明るいせいで星は見えないが、黒い空とライトを打ち消す光を出す月が見えてくる。
地上は錆なんかの汚さを除けば中々の景色だ。
そんな小さな感動を覚えているとキサラギが不意に口を開く。
「貴方が、私をよく思っていないのは知っています」
「随分と突拍子もないな」
「そうでしょうか?帽子屋のことといい、今回に関しては私を嵌めるつもりなんでしょ?」
「んー?だとしたら始末するのか?だったら隠れているときに不意打ちで殺せばいいだけだもん
な」
「言ってるでしょ。私は誰も殺さない」
治験中はなるべく丁寧な言葉を使おうと取り繕っているが、段々と日常生活で使用しているであろうフランクな口調になっていく。
本心から話そうとしているのか、自然となのか。
「だから、罠を張ろうと言った俺の提案に乗らなかったのか?」
「まあ、それもありますね」
存外愚かではなかったらしい。
敵からの提案を拒否し、イノリと今日のために話し合ってたのだろうか。
俺は人を見る目があるつもりであっただけだったようだ。
また才能の候補が1つ消えてしまった。
「イノリもこれに関しては知ってたのか?」
「……」
無言で静かに頷く。
精一杯の抵抗なのか、それで罪悪感をなくそうとしているのか。
「結果は変わんねーぞ?」
「それはどうでしょう。言ったでしょ、私には心臓がある」
キサラギが余裕の笑みをこちらに向けてくる。
それに対して不敵に口元をゆがめて返してみる。
お前の正義感と俺の使命感のどちらが勝つか。
轟音とともに向かいの屋上に大男とシルクハットをかぶったスーツの男が降り立つ。
「よお。心臓の女王」
「お久しぶり。異形種」
レイピアを抜き放ち静かに正面に構えるキサラギに対し、肉体を強化してさらに数十センチ大きくなった大男。
今にも戦闘が始まりそうではあるのだが、ここにいては俺まで巻き込まれてしまう。
さて、どうするか。
と、足首のあたりに妙な感覚を覚えて視線を下に向けるとガッチリと鎖が巻き付いている。
導線をたどっていくとそれはスーツの男が頭から外したシルクハットの中へ。
「見たことあるなー」
「心臓の女王。お借りしますよ。足手纏い同士仲良くやりましょう」
「ですよねぇえええええぇぇえぇぇ!?!?!??!?!??!?!?!?!?!??」
宙吊りにされて工場地帯の奥まで吹き飛ばされる。
風を切る音が耳を常に刺激し、歯茎が見えるレベルで顔面の肉が上に引っ張られるが今の問題はそこではない。
どうやって着地すればええねん!
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「随分と綺麗に飛ぶものですね」
「少しは心配してやれよ」
「まぁ、裏切り者ですし。あれくらいは罰として受けてもらわないと」
眉のところに左手を傘のようにして置き、遠くに飛ばされるイツキ姿を追うキサラギに対して呆れた顔で会話をする異形種。
味方が味方のことを面白がり、敵が味方を心配するという近年まれにすら見ないシチュエーションが広がっているが気を取り直すようにすぐさま正面を見合う。
いや、そもそもイツキが裏切っているのが判明しているわけだから正常なのかもしれないが、それは置いておいて。
再びこの1対2の状況になったが、異業種は楽し気に綺麗な白い歯を見せながら笑う。
彼にとっては上位者と戦えることはこの上ない喜びであり、闘争こそが我が人生という座右の銘にするほどの戦闘狂だ。
そんな彼にとっては、この状況は非常に楽しいのであろう。
一種のマゾヒスト的な性格と言っても差し支えない。
刺激がなければ生きられない、治験に参加した理由もこのスリルを味わうためであるのだから。
拳を強く握りしめて足を踏み出し加速する。
力任せに踏み抜いた地面はコンクリが捲れおよそ人が出すとは思えない空気が破裂する音とともにキサラギに接近する。
この速さを見切れるのは被験者を見渡してみても数えられる程しか存在しないが、その中にはキサラギが入っている。
だからこそ、異業種が最初に狙ったのは。
「パイルバンカーぁああああ!!!」
「させない!」
レイピアで突き刺しても止まらないことを確信し、突き出していた右腕を蹴り上げる。
どこかのタンクが爆発したのではないかという重低音を鳴らし異業種の攻撃は空を切る。
と同時に、パイルバンカーの鉄杭が腹部へ放たれるが、その部分が筋肉の変形で硬くなり刺さることもなく地面に落ちる。
異形種は上がった右手をアームハンマーとして振り下ろしつつも残った左手でキサラギに手を伸ばす。
確実にここでパイルバンカーを文字通り潰すために。
「罪隠しの兵隊」
盾と槍を持った兵隊を生み出してパイルバンカーの肉壁にするが、それも少しの間しか持たずに兵隊ごと叩き潰す。
叩いたところからコンクリが捲れあがりイノリの姿が消える。
「九つの剣」
キサラギはお構いなしに左手にレイピアによる9発放つ。
そして9発目に剣を突き刺したままにして、柄の部分を蹴り飛ばし左手も大きく引かせる。
しかし異形種もそれだけでは止まることなく、振り下ろしていた右腕を左腕が吹き飛ばされた勢いを使い手刀の要領で下から上に振り上げる。
数センチで届くといったところで下から巨大な鉄杭が左腕に刺さる。
そこで勢いが殺されて届く前にピタリと止まる。
「ん?どういうこったぁ?俺様は叩き潰したと思ったんだがなあ」
「それくらいで倒れるほど軟な子じゃないです」
下から次々と飛び出してくる杭をかすりながらも避けつつ開いている穴から下の様子を伺う。
ところどころ出血はしているが、それでも能力を使うのには苦もない様子だ。
あの威力のアームハンマーを食らって軽傷程度で済むはずがないと普段通りに饒舌に話しかけることも忘れて左腕を外していく。
大型の射出装置を出してその隙間に入って威力を軽減したのだろうか。
肉体強化を行っている最中は痛覚が鈍くなっているのでそんな些細な変化に気づくことができない。
と、風切り音が再びなり頬の横をレイピアが掠める。
切り払っただけで傷がつくような体ではないが何かあるか分からないので回避の姿勢は崩さない。
地面が盛り上がり鉄杭がそこかしこから発射されるが、避けれない分は叩き落しながら距離を取り再び強化を行う。
肉体の修復に関しても異形種の本領だ。
キサラギの隣にはトランプ兵がまたも3体出現しており、穴の中からは巨大なパイルバンカーとともにイノリが飛び出す。
「二対一でこんだけできたなら、俺様が十位でも問題なさそうじゃねーか」
「これだけでですか?手抜きしてるのも分からないなんて、知能が低いんですね」
「……キサラギちゃん」
「わかってる。心臓を展開します」
小声で意思疎通を図り目の前の男を無力化する術を簡潔に示し合わせる。
殺すだけなら簡単に済む。
今も全力で剣を振るっていないし、イノリにも致命傷を与えないように砲撃を行うように言っている。
しかし、手抜きで制圧できるほどこの男は弱くない。
左胸に手を当てて引き出すようにゆっくりと前に出していく。
徐々に空が赤く染まり、キサラギの足元から紅血が湧き出してくる。
建物を飲み込み異形種を飲み込まんと音を立てて迫り始める。
その時、上方で声が響く。
「掛け算で1であった場合、心臓の女王の能力を封印します」
「あいよ!」
カツーンという小さな音とともに百面ダイスが転がる。
出目は左右ともに1。
引き出していた心臓が途中で消えて、全ての超常現象がもれなく消滅する。
行くあてのなくなった右手を確認し、すぐに上空から妨害を行ってきた少年と青年を見つける。
まごうことなく上位者。
”白兎”と光雲寺と呼ばれた人物。
彼らが能力を発動し、自身の大技を止めたのは火を見るよりも明らかであった。
動揺を完全に隠せたとは考えないが、あくまでも気丈に振る舞いつつ尋ねる。
「貴方も異形種に協力するということでよろしいのかしら」
「ええ。その認識で問題ありません。というよりも、テメェの味方なんて一人もいませんけど」
淡々と答える白兎の言葉を気がかりに思い少し考えようと警戒の姿勢をとろうとした瞬間に横腹を衝撃が襲う。
体が横にくの字に俺ながら吹き飛びそうになるがすぐに右足をついて衝撃を逃がしその場に留まる。
自分の横に居る人物は1人しかいない。
だけど、なんで!?
「ぴったしだ。吹き飛べよ!!!女王ぉおおおぉおお!!!」
踏ん張ることと突然のことに混乱し、無防備になった腹部に異形種が最大限まで強化した右ストレートが直撃する。
5tトラックに轢かれるという感覚を味わったことはないが、明らかに並の人間であればはじけ飛ぶ可能性もある威力を受けて、抵抗する術もなく広報に吹き飛ぶ。
夜だというのに視界が白飛びする。
意識を何とか保ちながら建物の上を見ると、ヤンキー座りで縁から見下ろしてくるイツキ。
微笑みを浮かべて、口を静かに動かし始める。
「お前は本当に酷くて、醜い、悪い奴だよ」
帽子屋の鎖がさらにキサラギに叩きつけられ地面へと勢いよく突っ込む。
いくら強化された被験者の身体だとしても、上位ランカーの二発をもろに食らっては肋骨から肩までが折れる。
痛みを我慢しながらも立ち上がらねばと残った腕で踏ん張りながら立ち上がるが、逃げることもできない。
敵の状況を把握するために元の場所に視線を戻すと、明らかに人影が増えている。
思わず目を見開く。
状況を飲み込むことができない。
何故、これだけの人数が互いに戦闘を行うこともなく……
「わあー、私初めて女王様見た」
「可愛くない?何か気が引けてきたかも」
「そんなん関係ないっしょ。邪魔するんでしょー?」
「某としても気が引けるが。しかも帽子屋の言葉だしな」
「でも、あのアリスお墨付きなんでしょ?」
「げぇー。怪物の名前なんてだすなよ」
「ぎゃはは。トラウマでも植え付けられてんのー?」
「遠くから見てただけだよ。それでもトラウマもんだけど」
「お。俺も、みみみ、見たことある」
「あたしのそばに何でお前がいるんだよ」
「ギャフ!?!?!?」
じゃれ合うように会話を続ける。
膝が震えて喉が渇いてくる。
肩の痛みなんて忘れてしまうほどに現実を受け入れまいと脳が機能を停止していく。
そんな中、真上でイツキが見下ろしながら高らかに声を出す。
「ここで会ったときの真逆の位置になったなぁ。ま、いいや。今からご高説を垂れてやるから、み
んなの相手をしながらよーく聞けよー」
喉の調子を整えるようにん゛ん゛と声を出してから、今度は周りに立っている被験者に対して声をかける。
「えー。本日はお集まり頂きありがとうございます」
「てめーは誰だよ!」
当然の反応であろう。
たった数日前に参加した新人のことなど大多数が知るはずもない。
イツキの隣で静かに立っていた帽子屋やいつの間にかパイプの上で寝転がっていたチェシャ猫が噴出して笑い始める。
それに対してムッとした表情を浮かべてすぐに消し、話の続きを始める。
「すまないすまない。帽子屋に頼んでお前らを呼んだのは俺なんだ。こんな不気味な奴よりかは多
少信頼度が上だろ?」
「私達よりも弱いのは確定してるからねぇ」
「其方はそのように新人を侮ったから斯様な傷を負ったのだろう」
「五月蠅いよエセ侍気取りの陰キャが!」
「喧嘩だけはやめてくれよ。今日だけは志を一つにした同胞だろ?」
歯を見せながら男に憤慨を示すパステルカラーの髪をした女性を宥めつつ、袴を着た男に視線を送り刀をしまわせる。
イツキはもう一度視線をキサラギに対して向け、手を上に向けて彼女に注目させる。
「彼女こそが、この治験における癌であり、取り除くべき腫瘍だ。そう判断したからこそ、今日、
本日、この時間から、女王の処刑を行うんだから」
狂気を滲ませたイツキの瞳を見てしまったがために、キサラギは膝から崩れ落ち唇を震わせることしかできなかった。