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26再会と


「……ほら、行くぞっ」

 『もしも』で行動が起こせない私に痺れを切らしたのか、男はぐっと手を伸ばしてきた。

 振り払うのをためらった結果、手首をつかまれる。

 ――え?

 ざわり、と、つかまれたところから、冷たいものが上がってきて、鳥肌が立つ。

 ――え? ええ?

 突然の感覚に困惑を覚える間に、体が震え始める。それまで穏やかだった室温が、いきなり肌を冷たく刺し始めたのだ。

 ……寒い。

 腕を引かれるまま、扉をくぐるのと同時に、目の前が白黒とした。

 ――寒い!

 触れられたところから這い上がってくると気づくと、今までためらったことがうそみたいに、男の手から自分を取り返していた。

「な、何をするっ」

 無理やり引き抜いたせいでよろめく男の、その手指から目が離せない。

 ――これは自分を安全な場所からさらう手だ。


「何をしてる?」

 外野から飛び込む声。目の前でためらっていた手が離れて、男は焦った目で私を捉え、すぐに背中を向けた。通路の先へ小走りに逃げる姿にため息をつきながら、現れた人物は、私の前にひざを着いた。

 ――差し出される手。

 この手は、いやじゃない。

 そっと重ねて、その主を見上げる。私は目を見張った。


「リリ、トレ……」

「ハル、平気かな?」

 長い茶色の髪に、青い瞳。

 力が抜けた。リリトレラさんは、今日見かけた人形師の人たちのように、この間よりも大仰な服装をしていた。耳や腕の装飾も重そうで、すごく動きにくそうなのに、私を引き上げる動作はそれを感じさせなかった。板についている。

「この部屋は開錠されたから、他へ行こう。君の主人には連絡しておいてあげる」

 開いたままの扉を閉めて、苦い顔のリリトレラさんに頷きながら、私は自分の腕をさする。まだ怖気が抜けない。

「ありがとう、ございました」

 リリトレラさんは首を振る。自然な動きで手をとられた。後に従いながら、私は尋ねた。

「あなたも、人形師なんですか?」

「……君の主人と同格に呼ばれるほどじゃないけどね」

 あざけるような声の響きに目を見張る。

 嘲笑の色が彼自身かイーシャか、どちらへ向くのかわからなくてとまどった。彼は私の反応には取り合わず手を引く。

「怒っていますか?」

「わかるの?」

「その、なんとなくです」

 ふわふわした気持ちで、踏み込んだ訊き方をしすぎたのかもしれない。罪悪感に、言葉が湧かなかった。

 ある一室の前で彼は足を止めた。施錠されていない中へ招き入れる表情は、どこか切なそうだった。

「さあ、座って」

「あの、鍵は……」

「かけないほうが安心だろう」

 椅子をすすめながら、リリトレラさんは確認するように訊ねる。

「え?」

 とまどうと、彼は笑って言い換えた。

「ここに入るには、鍵よりもいくらか強い許しがいるね」

「……おまじないのようなものですか?」

 開けゴマ、とかそういうたぐいだろうか。

「お茶を淹れようかな」

 私の精一杯の答えだったが、リリトレラさんは笑って応じなかった。


 警戒していたのに、差し出されたカップは透き通ったあめ色をたたえている。あの濁ったお茶じゃないのか。

「残念ながらあれはここにはおいてない。残念なことにね」

 わかっていて言っているなら、意地が悪い。かなり。

 見た目は普通なそのお茶を口に含みながら、向かいの男性は渋い顔をした。私はそろそろ手を伸ばしていただく。甘みが口の中から喉へ降りて、からだの中が暖かくなるかんじ。

 ――ふつうにおいしい。

「おいしいです」

「それなら、いいけど」

 率直に伝えた感想にたいして、不満そうに応じる。彼の味覚は本当にあの濁ったオレンジ色を求めているのだろうか。味を思い出して顔のゆがむ私に、リリトレラさんは微笑んだ。

「ハル、ごめんね」

「何がですか?」

 変なお茶の話なら、もういいです。

「私は君が蛇だって知っていたんだけど、君にそのことは言わなかったから」

「別に、気にしていません」

 正直に言えば、気にしている。どうして教えてくれなかったんだろうって思う。

「あなたのことが知りたければ、ユクさんに訊いてもよかったんです」

 これは本当。あの後では少し訊きにくいけど、興味が強ければそうしても良かったのだ。 ユクさんと落ち着いて顔をあわせる機会がなかっただけで。

「……そう」

 リリトレラさんの笑顔がうつむいて深まる。

「ねえハル、これからもたまにこうして、一緒にお茶をしてくれるかい?」

 私は頷いて、そのまま口を開けた。知りたかったのだ。


「訊きたいことがあるんです」

「なにかな」

「……鬼のこと、どう思っていますか?」

 彼はわずかに目を見開いてから、首を傾げた。

「それは、好きか嫌いかということ? それなら間違っても好きじゃないけど」

「干渉しあわずに共存することは、無理だと思いますか?」

「……まったく関わらずに、違う土地で生きるということ?」

 頷くと、彼はさがった髪を耳にかける。

「無理ではない、確実に領域を守れると保障があれば。もともと人と鬼の間に利益のあるやりとりなどないしね」

「……無理じゃ、ない」

 彼の言葉を反復する私に、リリトレラさんは一瞥を投げてから、「だけど」、と卓上のカップに視線を落としてつぶやいた。

「私は、嫌だな」

「え?」

「私は鬼がのうのうと生きているとわかるだけで嫌になる」

 言葉をなくした。

「嫌いなんだ。すごく嫌いなんだよ」

 言い捨てる、彼の目は澄んでいる。嘘ではないとわかった。


「あのねハル、これも、君に言わなかったことなんだけど」


 言葉が踊る。


「私は、蛇人形師筆頭の息子なんだ」


 リリトレラさんの声は、少し悲しそうだった。



 扉がノックされる。部屋の主人が応じると、開かれた入り口から入室した少女は、私の隣に立って、腕を引いた。私の名前を呼んでいる。

「イーシャ」

 それだけ言った。彼女の言葉を思い出す。この子も、憎いって、言っていた。

 私の主である人形師は、正面でお茶をすする筆頭の息子を見据えた。冷たい表情の中、瞳だけが何かに燃える。

「リトベッテ。私の蛇を勝手に連れ出しましたね」

 それはちがう、と袖を引く。

「助けてくれたの。リリトレラさんは」

 呼んだ名前がすごく遠かった。自分が傷ついているのがわかる。

 ――館さまに似た彼に、鬼を否定されたことが辛いのだ。

「どうだか」

 言い捨てるイーシャに、リリトレラさんは笑いかける。

「イーシャ、君の仕事はすばらしいね。知らなければ人と見まごう」

 誰のことを言っているのかわからなかった。わかりたくもない。

「リトベッテ。次はありませんから」

 鬼を憎むと言った時より、ずっと冷たい声で彼女は宣告する。リリトレラさんは苦笑した。

「またね、ハル」

 言葉を返す気力も勇気ももてなかった。



 イーシャは怒っている。つないだ手を通して、彼女の中で今さっきの出来事がとても腹立たしいことであったとわかる。

 ――リトベッテ。

 リリトレラさんに対して、はき捨てるようにそう呼んだイーシャ。

 人形師の筆頭の子だといった。人形師を生業にする彼女は、どうして彼を厭うんだろう。


 ぐるぐるしていた。

 何がショックだったのか、もう一度、ゆっくり解く。

 リリトレラさんは人形師だった。

 それで、鬼が嫌い。関わらずに生きるのも嫌なくらい。


「イーシャ、どうして人は鬼が嫌いなんですか?」

イーシャは立ち止まる。鋭い視線が向いた。それは私を通して、誰かを憎んでいる。

「お前は馬鹿だな」

 本当に、馬鹿! と、正面から怒鳴られたけれど、そこにおかしむ色が混じる方に興味を引かれて、私は続く言葉を待った。

「憎いと、許せないと、言ったよ。まだ、何が知りたいの? 何が足りない?」

 一転して、柔らかい声。考えていると、手が伸びてきて、頬を包んだ。猫にでもするようなさすり方に、イーシャのわかりにくい動揺みたいなものを読み取った。

「何をされなくても、嫌いで、許せないんですか? 生きているだけで?」

 イーシャは笑って手を引いた。その目に侮蔑の色がともる。私が彼女の気持ちを理解できないことを嘆いているように見えた。

「不条理だと思っている?」

 その答えは「イエス」と言っている。私は急に情けない気持ちがこみ上げる。悔しい。それなら、どうにもならないじゃないか。

「思っています。……なんでですか? なんでこんな」

 思うとおりにならないんだろう。誰だろう。こんなことにしたのは。

 ……里を降りなければよかったのだろうか。

 ずっと鬼と一緒にいて、人とどうなろうと、ずっと鬼の側に気持ちを置いて、何らかの形で収まりがつくまで待てばよかった?


 ……だけど、だって、鬼の言い分だって、私にとってはおかしかったんだもの!

 何もしていない『人』を勝手に憎んで、恨んで、根絶やしにしようだなんて、そんな一方的な想いが発端で、たくさんの暮らしが失われるなんて、あってはいけないことだ。

 それで、どうにかしようって。


「ハル」

 宥めるような、包み込むような声が私を呼んだ。促された気がして、目の前の顔に告げた。

「私、鬼にも訊いたんです。同じこと。どうして人が憎いのって」

「それで?」

 言いたくないな、と思った。彼女は私の態度から、察しのつく答えを、形式的に待っている。その態度を偽善だ、と、罵りたくなりながら、実際口から漏れたのは、その答えでしかなかった。

「……同じです。同じでした。……みんな、同じなの」

「そう」

 イーシャは悲しそうにつぶやいて、私の手をとった。私の想いに共感したわけではないのは明らかなのに、彼女の慰めに気持ちが揺れる。


 会いたかった。


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