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22隠れ家


 身体にまとわりつくうぞうぞとしたものを振り切るような気持ちで走り出して、もう二度と止まれないような気がしたけれど、結局震える喉を忘れられずに足を止めた。

 勧誘なんてどうでもいいけど、だけどあの人の言うような顔をたぶん私はしてたんだろう。

 誰かにどうにかしてほしいって思ってるんだ。

 今も。


 広場を飛び出して、知らない道に立っている。息切れしながら立ち尽くす私を、知らない男女の目が通りすがりに追いかけた。人目を避けてふらつく足取りで街路の脇に入ると、石造りの小道が上へ向かって細長く延びている。陽炎の立ちそうな遠くに、緑の林が続くのが見えた。

 私は一歩一歩、不揃いな高さの石段を登った。



 辺りが暗くなる。もともと明りのない路地だ。埃にくすんだ外灯が壁から生えている。狭い壁と壁の間にいると、夕暮れの色を遠目に、もう足元が陰る。身体が影に覆われて、夕闇が細い線になってずっと上の石壁を裂くのを見上げて、背筋が寒くなる。

 足の向くまま目指した緑は黒い闇に飲まれている。

 腋の下にかいた汗が冷たい。

 夜の空気だ。


 あとどのくらい登れば、この道を抜けるのだろう。

 ユクさん、心配しているだろうな。


 夜に慣れた目で前を見て歩く。登れど登れど景色の変わらないことが分かるから、この新しい目はかえって損かもしれない。

 足だって、疲れて動けなくなれば倒れこんで気を失えるかもしれないけど、息は上がっても歩みを止めるほどの疲れはやってこない。


 ――気持ちだってタフになったと思った。

 だって平気だった。覚えていなくても、人でないといわれても。たくさん泣いたけど、それだけで全部なんとかなってた。

 どうして今こんなに自分がいやなんだろう。私のようじゃなかったのは、むしろ鬼の里にいた、あの頃の私なのに。


 考える。考えよう。

 時間はある。変わらない景色は気持ちを動かさない。

 これから何をしようにも、今の私ではダメだ。


 私にとっておかしいのは今の私。

 グズグズでめそめそ、泣いても治らない私。

 何が違うんだろう。

 鬼の里にいたころと、人に会った今と。


 人と言ってすぐ浮かぶのは、リオールトさん。次にイーシャ。人は優しくてずるいと思った。トリトさん、ヘイミイ、よく分からない。ユクさんを入れて、三人とも蛇という人形。嘘みたいだけど、本当の話。それに、私も同じ、蛇だという。

 だけど、この時は、いやじゃなかった。人でも鬼でもないって、そんなの分かっていたことだ。すんなり受け止めたはずだ。


 何があった? いやなこと、いやなこと、何があって、私は悩んでるんだろう。

 あのあと話したのは……ユクさん。

 ユクさん。

 『同郷』の人。


 頭が痛い。耳が痛い。

 考えたからだ。聞いたからだ。

 自分に今じゃない昔があったことを、ずるずる引き出して教えたからだ。


 私は足を止めた。

 階段が終わったことに気付く。



 分かった。


 ――忘れていたからだ。


 記憶のない、まっさらな鬼の里の子どもでいたかった私の薄皮が、ユクさんに会ってはがれたからだ。

 覚えていない自分に戻れないのが苦しくて、受け入れたくないんだ。


 ――蛇がいやなのは、思い出させようとするからだ。過去の存在を植えつけてくるからだ。掘り返すからだ。


 突然光が視界を取り去った。ショックで目がおかしくなったのかと思ったけれど、柱の影から現れたそれは、いぶかしむようにこちらへ差し向けられる。どうやら人であるらしい。

「誰だ」

 声が光の元から誰何する。何も言えずに、言いたくなくて、私は黙った。


「どうして黙って……」

 男性の声。手元の明かりと同じに、その語尾が震えた。光が目に刺さって涙がにじむ。腕を引かれたけれど、頬を伝うものに気を取られて抵抗できなかった。


 目を眩ませた灯りは、その中核で男の指を赤白く照らした後すぐ消えた。片手は私の腕を引くのにふさがっているというのに、ずいぶん器用だ。

 男は鼻先まで覆うフードを被っている。腰まで隠す長衣と揃いの黒色が、闇との境界線を曖昧にしている。腕を掴む手だけが浮かび上がって白い。

 その指は細長くて、暖かい。私は状況を思うと絶対におかしいんだけど、腕に繋がる手に安心感を覚えてしまう。

 引っ張り込まれた垣根と林との狭い隙間の奥へ入るよう促されて、大人しくそこへ腰を下ろす。乾いて柔らかい草の束にお尻が当たる。家畜の飼料か何かかな。懐かしい匂いに、余計に肩の力が抜けた。

 男性の背中が垣根の端から外を伺っている。その目が吐息とともに伏せられて、ちらとこちらを振り返る。見返すと、いきなり肩を竦められる。急な動きに身が竦む私に、男性は垣根の向こうを指差してから、その手で自分の口を塞いでみせた。

 ――声を出さないで。

 もとからそんなつもりはなかったけれど、私はこくりと頷く。

 じっと黙って男の背中を見つめていると、その肩が溜め息とともに下ろされた。もういいよ、と言われた気がして、私はまた頷いた。

「手荒な事をして悪かった。見つかるわけにはいかなかったのでね――」

「平気で――くしゅっ」

 鼻がムズムズする。連続でもう一度くしゃみをして鼻をすすった。男性の申し訳なさそうな声が言う。

「すまない。信用できるわけはないだろうが一応誘わせてほしい」

 何の事だろう。首を傾げると、男性は表情を隠していたフードを外す。茶色の長い前髪の奥で、青い瞳が瞬きをした。

「お茶を一杯どうかな」


「あばら家で申し訳ないんだが……適当に休んでくれ、ああ違う、椅子は二脚しかないんだった、どちらでもいい、座ってくれ」


 姿を隠した垣根の前を横切って、細い通りを二つ、林に沿って過ぎる。いびつな道は緩やかな坂道だったけれど、男性は自然と手を引いてくれた。ますます細くなる小路に入って、少し気が小さくなるけれど、壁の脇に花かごが点々と白く咲いているのにほっとした。

 道の終わりに屹立する外灯が照らす木の扉が、彼の隠れ家だった。

 扉を開けて、ランプをテーブルに載せると、それを挟む椅子の片方に私を座らせて、自分は室内の灯りに火を入れていく。まじまじと見た事はないけれど、鬼みたいに原始的な灯りではなくて、スイッチを捻ると灯る仕組みらしい。電気とか、あるのかな。

 火よりも明るく白熱灯よりも暗い照明に照らされた室内を見渡す。つるつるに磨かれた茶色い石の床に、私も座る木の椅子が二つ。カウンター越しに火床が一つ。薬缶が乗っている。これにも捻りがついていて……もしかするとガスが通っているのかも。

 気が付くと部屋の中をかなりまじまじと見ていたらしい。いきなり目の前に柄のない白いカップが現れて、ぎょっとした。

「見て面白いもの、ある?」

「え、あ、す、すみません!」

 顔を上げてさらに驚いた。男の人は黒い外套を脱いでいて、白いシャツと薄手の掛け物だけになっている。それはいいんだけど、長い茶色の髪を赤い簪で高くまとめて、耳には金色の飾り、カップにお茶を注ぐ手にも、片方ずつカラフルな石の指輪をはめている。

「ご、ゴージャス」

「え? 何?」

「あの、えっと、おしゃれ、ですね」

「おしゃれ……」

 男性は一瞬動きを止めてから、中身の入ったカップを勧めてくれる。自分の分を注ぎながら、思い出したように笑った。

「おしゃれか……男なのにね、面白いでしょ」

 なんと答えたらいいやら。

 沈黙して差し出されたカップをただ見やる。中身の橙色は、甘いようなすっぱいような、それでいてこくのあるふしぎな匂いの湯気をあげている。なんだこれ。

「これ、好きなんだ。気に入ってもらえるといいけど」

 言いながら、向かいに掛けた男性はカップに口をつけている。その喉が満足そうに動くのを認めてから、私はおずおずとそれを手に取った。手のひらで持つとあつあつなので、縁と底に手を添える。ふうふうと冷まして、そっと口をつけた。

 甘い。と思ったのも束の間、舌の上から口いっぱいに酸味が広がる。じわじわと、まだ青い果物特有のえぐみが、お茶らしきものの苦味と混ざり合って、反射的に唇が歪んだ。

「まずい?」

 なんだか嬉しそうに尋ねられて、ただただ頷いた。オレンジジュースと秋刀魚の塩焼きを一緒に食べたような残念な気持ちになる。

「そうか、残念だ。なかなか賛同者が現れなくてね」

 言いながら、もう一口。悔しくて、青臭さの残る口で飲み物を啜る。『お茶』と『果物』で、なんでこんなに生臭いんだろう。なんか逆にすごい気がしてきた。

 せいぜい一杯のお茶、もといお茶らしきものの重量に負けて、私はカップを天板に置いた。向かいでは口に微笑をたたえたミスターゴージャスが指を組んでいる。悔しい。悔し紛れに、さっき以来手をつけられていないカップに口を尖らせた。

「……飲まないんですか?」

 実は嫌いなんじゃないかと差し向けるけれど、彼はああ、と首を傾けて、一層笑みを深くする。

「冷めた方が好きなんだ。熱くても匂いはいいんだけどね。その方が味に苦味が合わさって、かつ濃厚に――なんなら試して」

「いい! このままでいいです!」

「そう?」

 それは残念、と本当に残念そうな口ぶりでカップを揺らした。澄んだ水面に沈殿物が舞い上がって再び濁りを与えている。たぶんあれが生臭成分。舌にこってり貼りつく感じは、きっと水溶性じゃないからだ。私はなるべく慎重にカップを持ち上げ、上澄みをすする。

 ……おいしくない……のは変わらないけど、味の衝撃は薄まった気がする。うん。

 思わず安堵の息をつくと、肩を竦めて笑われる。

「あったまったみたいだね?」

 そういう安心感じゃないんだけど、だけど、そういえばそういう目的でお家に上がりこんでいたんだった。

 ――忘れてた。

 思ったよりもかなり気持ちは緩んでいるらしい。

「はい、あったまりました」

「それならよかった」

 言いながら、湯気を上げなくなったカップを持ち上げてあおっている。ごくごく動く喉を思わず凝視してしまう。うわあ、うわあ。飲む生臭を一気飲み。

 ……と、私もさっさとやっつけてしまわないと。

 しかし、確かに温度が逃げるにつれ、こう、じったりべったりしてくる飲み物だなあ。



 私が最後の一口を根性で飲み下すのを待って、男性はさてと席を立った。

「そろそろ送るよ……おや」

 続いて立ち上がろうとして、わふっと大あくびをしてしまう。お茶を飲んだ直後って、眠くなる。

「……あまり気を抜かれると、なんだか申し訳ないね」

「え?」

「なんでもないよ」

 さっき着ていたのとは別の上着を羽織りながら、にっこり首を振られる。そのまま衣装箪笥をあけて、物色していたけれど、しばらくすると一着引っ張り出し て、どうぞと肩に掛けられる。戸惑い半分に、彼のと同じ黒い色のコートを羽織った。どう考えても、袖やらウエストが女性もので、もちろんこの背の高い男性 に合うサイズではない。

「あの、これ……」

「ああ、あげるよ。しばらく使う予定もない……」

 言いながら、私の目線から何を汲んだのか、その青色の目を楽しそうに細めて見せた。

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